仄暗い指令
夜の汐路市。
遠くで遮断機のカンカンという音が鳴り、潮風に混じって車の走行音や人々の靴音がかすかに届く。
古びた雑居ビルの三階。悠は薄暗い部屋で、安物の椅子に腰を下ろした。
ノートPCを開くと、無機質なチャット画面が現れる。
そこには、ただ一行。
> 《進展は?》
悠は無感情に指を動かす。
> 《対象、表の顔に綻びなし。裏の線も掴めず》
数秒後、返答が返る。
> 《“手”に繋がる証拠が必要だ》
悠は片唇を歪めた。
「結局、そればっかりだな」
だが少し間を置き、追加で打ち込む。
> 《それと・・・通勤途中、少女とすれ違った。竺美咲と名乗る》
> 《端末検索で同じ苗字の人物を確認。最近の失踪事件の被害者。母親かもしれない》
カーソルが点滅し、また冷たく返ってくる。
> 《関連を追え》
それだけ。
悠は鼻で笑い、画面を閉じた。命令はいつも冷たい。
机の端に置いていた紙袋を手繰り寄せる。
赤い暖簾の店で買ったおにぎりを一つ取り出す。
海苔の香りと米の甘みが口に広がった瞬間、胸の奥で記憶が溶け出す。
――母の手。細く小さな手が、不器用に握ったおにぎり。
具は梅干しか昆布ばかりで、形もいびつだった。
だが、白い運動靴に砂埃を浴びながら食べたあの昼休みの味は、世界で一番温かかった。
花火大会の日、母に無理やり持たされた冷たいおにぎり。
恥ずかしいからと床に投げつけた。
母はそれを手で拾っていた。
おにぎりは持って行かず、花火大会の会場付近はどこも混雑で食べるものは買えなかった。
深夜家に帰ると、テーブルの上にはラップがかかったおにぎりが置いてあった。
良かったら食べてね。 とメモが貼ってあった。
病院のベッドで、痩せ細った母の横顔。握ってやったはずの手を、結局は仕事を理由に振りほどいてしまった。
思い出が脈打つように蘇る。
気づけば、頬を涙が伝っていた。
悠は乱暴に腕で拭い、吐き捨てるように息をついた。
「くだらねえ……こんなもんで」
ふいに真理子の顔が脳裏に浮かんだ。
窓の外でカモメが鳴き、海風がカーテンを揺らした。
モニタのカーソルはまだ、暗闇の中で点滅を繰り返している。
――仕事を急かすように。




