第9話 一緒に讃美歌を歌うことはないな
「カレン、君のおかげで助かった。この恩はお金で払うよ」
翌日イーサン・ジョブスは荷物をまとめて、ニューヨークへ帰った。早く入院している母親に会いたいのだ。カレン・ミヨシは何もしていないのだが、礼を言われて悪い気はしない。身体で払っていいとカレンがイーサンに勧めたが、きっぱりと断られた。
カレンはイーサンを見送り、ゴスペル高校に登校した。相変わらず多種多様の人種がお祭りのように騒いでいるが、カレンは一人ぼっちだ。彼女の場合は敢えて孤独を選んでいた。彼女は茶髪のおかっぱで赤い縁の眼鏡をかけている。どこかおどおどして猫背だ。灰色の上着を着ており、周りの生徒に比べてかなり地味だ。これは彼女が周りと壁を作るためだ。学校ではあまり人と関わることを嫌っていた。
教室に入ると、自分の席に着いた。カバンからタブレットを取り出す。この学校では教科書やノートの類はない。すべてタブレットを使っていた。
そこに金髪のロングヘアの少女が話しかけてきた。明るい雰囲気で全身から活発な空気が出ていた。あか抜けた服装でモデルのようである。
アンジェリーナ・ハサウェイといい、イングランド系移民の子孫だ。クラスメイトはアンジーと呼んでいた。
「あらカレン、今朝も辛気臭いわね。そのまま体からきのこが生えてくるんじゃないかしら?」
「あはは、アンジーったらうまいわね!!」
「カビが生えたチーズなら男が食べてくれるかもね!!」
アンジーと背後の取り巻きの少女たちが、げらげら腹を抱えて笑っていた。カレンは何も答えない。
赤毛のそばかすの少女はマデリンで、金髪に三つ網の少女はジュリエットだ。
(うふふ、今日もアンジーたちの罵倒が心地よいわ!! 下半身が熱くなりそう!!)
カレンはうつむいていた。その目は歓喜に震えている。アンジーたちの目には見えない。
そこにアンジーがカレンの頭を平手で叩いた。
「何か喋りなさいよ!! オジゾウサマのつもり!!」
アンジーはプロテスタント派で聖書のみを信仰していた。カレンは仏教だ。アメリカには全米仏教会というものがある。日本がハワイの真珠湾を奇襲した後、日系人は収容所に閉じ込められた。その後仏教からキリスト教に変えたものが多かったが、ミヨシ家は仏教のままだった。
「まったく昨日は散々だわ!! ブラッククノイチに仲間が二人もできたのよ!! そのくせ現代美術館にはナイトシェードとコマンダーとかいう犯罪者が暴れる始末だし、あんたが辛気臭いから悪魔が不幸を運んできたのよ!!」
「そうそう! 大統領は過去のベトナム帰還兵の犯罪をほじくり返すし、ワシントンの反捕鯨団体を潰すしめちゃくちゃよ!!」
「アンジーの言う通り、あんたが不幸を呼んだのよ!!」
アンジーたちは罵ると、アンジーはさらにカレンの頭を平手で3回叩いた。カレンは何も答えない。
(でへへ、アンジーったらサービス精神満点ね!! 絶頂しそうだわ!!)
彼女は悶えていた。うつむいた顔の下は、白目をむき、舌を出してよだれをたらしていた。
「そういえばアンタ今朝、男を見送っていたわね、どこの誰よ?」
「あはは、見た目が気持ち悪いアンタとお似合いだわ!!」
マデリンとジュリエットは大声でカレンをからかっていた。周りのクラスメイトたちは笑っていた。誰もカレンを助ける者はいない。その内担任教師のジョリーがやってきた。金髪で50歳の小太りの女性だ。アンジーたちは席に戻る。
「皆さん、おはようございます。昨日はブラッククノイチが現代美術館で暴れたようですね。犯罪者を二人退治したようですが、変態が変態を呼んだのでしょう。まったく我が国の大統領が好き勝手やってて気が重いのに、あの変態女は偉大なLAを荒らすと来てる。皆さんもブラッククノイチを見たら警察に通報するように」
そう言ってジョリー先生は授業を開始した。
☆
「ふぅ、今日も素敵な一日だったわ!! アンジーたちと仏様に感謝ね!!」
リトルトーキョー内にあるスキヤキドージョーで、カレンはカルフォルニアロールを食べながら、畳の上に座っていた。カレンは道着を着ており、稽古を終えてシャワーを浴びてきたところだ。
ドージョーの中ではカレンの他に、ダブルシニヨンの美少年と20歳くらいの黒人女性が胡坐をかいていた。カレンの親戚であるカイ・ウォンと、カレンの祖父の弟子であるアーミア・ブラウンだ。
さらにでっぷりとした体格の黒人女性がいた。ラトヤ・ブラウンといい、アーミアの母親でロサンゼルスのセントラル地区分署の署長でもある。
「お姉さまって、変わっているね」
「マゾヒストここに極まるか」
カイとアーミアは呆れていた。
「まったくあんたは悟りに至った仙人だね。この世の常識が通じないっていうか」
ラトヤもため息をつきながら呆れていた。テレビではブラッククノイチの活躍を非難しているが、実際はその正体が目の前にいるカレンと理解していた。なので彼女と繋がりを悟られないようブラッククノイチを罵っていた。
「それでラトヤさん、ザラさんたちはどうだった?」
カレンはカルフォルニアロールをすべて口に入れた。その目はまっすぐラトヤを見つめていた。
昨日逮捕されたナイトシェードことザラ・エスポジトと、コマンダーことプリヤ・パテルのことだ。
「二人とも取り調べでは一貫して金をもらって頼まれたと言っているよ。だけどあんたは信じていないだろう」
「あの手の犯罪者は自分の掟を破らない。ザラさんはもちろんだけど、コマンダーは催眠術で操った一般人たちを死なせてない。どちらも金じゃ動かない性質の持ち主ね」
ラトヤの言葉にカレンが付け足した。カイは理解できておらず、アーミアは納得していた。
「……独自の情報網で調べたけど、二人とも当日まで足取りが掴めなかったわ。話によると軍のトラックから下りてきたそうよ」
これはカレンがダウンタウン地区のホームレスたちから集めた情報だ。ホームレスの元締めであるエンペラーはザラの父親である。娘を探す力も入るものだ。それなのに当日まで足取りが掴めなかった。ありえないことである。
「さらに言えばコマンダーの脱走を、ぎりぎりまで隠していたニューヨーク市警もおかしい。隠すにしてもタイミングが良すぎる。まるで警察の目を胡麻化すために情報を秘匿していたと疑っているよ」
ラトヤの言葉にカレンも納得していた。
「……実はね、昨日事件が起きたころ、別の場所でも事件が起きていたんだよ。どこだと思う?」
「なんでもったいぶるの? はっきり言ってほしいわ」
「ニューアルカトラズ刑務所で、3人の受刑者が脱獄した。オルガ・イヴァン、サニー・チョイ、ゾフィー・シュミットがね」
ラトヤの言葉にカレンとアーミアは唖然となった。開いた口が塞がらないとはこのことだ。カイだけがきょとんとしていた。
「誰それ?」
「三人とも通り名の方が有名ね。上からビーストテイマー、アマゾネス、ピエレッタといえばわかるかしら」
カレンが答えるとカイも驚いた。世間に疎い彼もその三人の名前は知っていた。
オルガはロシア系アメリカ人で祖父と両親とともに移民としてやってきた。ニューヨークを拠点にサーカスを経営しており、猛獣使いとして名を馳せていた。ところが動物愛護団体の糾弾によりサーカス団は潰された。感情むき出しでオルガの家族をSNSに晒し、個人攻撃を繰り返していた。おかげで家族は職を失い、酒におぼれて死んだ。
オルガは祖父直伝のフェロモンを作った。それを浴びると犬が相手を獲物と錯覚するのだ。彼女は団体のリーダーたちを次々と犬たちを使って殺害してきた。牧場で虐待を叫ぶ団体には牛や馬を興奮させるフェロモンをドローンで散布し、10人ほど踏みつぶしてきた。
サニーは韓国系4世だ。ニューヨークのクイーンズに住んでおり、生まれつき体が人一倍大きく、周りからいじめられ家族からも疎外されていた。10歳の頃アーチェリーに興味を持ち、その腕を上げていった。ところが彼女が15歳の頃、家族が韓国系ギャングの抗争に巻き込まれ、サニーだけ残った。
疎外されても家族を殺された彼女は闇に潜み、弓の腕を磨き続けた。20歳になると家族の命を奪ったギャングたちを矢で射抜いた。さらにギャングのボスたちを次々と襲撃していった。
そしてゾフィーはアメリカ史上最悪の犯罪者と呼ばれている。ドイツ系4世で、ハイテク企業に就職していた22歳だ。彼女は有名人を次々と意表を突いた方法でその命を摘んできた。アカデミー賞受賞の女優は授賞式に特殊なガスでドロドロに溶かしてしまう。ちなみに女優は特別な化粧をしており、それ以外の人間は無事だった。その光景をテレビで見せつけられた家庭は恐怖におびえ、トラウマを抱いた子供が続出した。ノーベル賞受賞の科学者は授賞式のときにグランドピアノが落下して潰された。どちらも巨大なテレビジョンにゾフィーの馬鹿笑いが映し出された。
きゃはははは!! スターが派手に死んでおもしろーい!! スターは今のうちに派手に死んだ方が華だよね!!
そういった悪趣味な行為が彼女をピエレッタと呼ばれ、全米を恐怖に陥れた。なぜか彼女には協力者が多く、なぜ会場に細工ができるのか不明だった。
最後の事件は 今年のニューヨークの休場でMVP(最優秀選手賞)を取ったアニマル・ルーズが称えられたときだ。白人の男で野生児のような雰囲気で人気を得ていた。
その彼が突然落とし穴にはまり、火柱が起きたのだ。それがテレビ中継されたのだからまたしても全米中の家庭は地獄絵図と化しただろう。
ところがルーズは無事だった。しかもゾフィーが逮捕されたのである。相手は日系人の老人だった。彼はルーズに変装し、落とし穴に落ちる前に、身代わりの人形を落とした。そして土煙が舞う中、素早くゾフィーを見つけたのだ。
彼女は常に犯行を目の前で堪能していたのだ。
「捕まえたのはケン・ミヨシ。先生が捕まえたのさ」
「なんで犯人をあっさり見つけたのかな? 超能力の持ち主なの?」
「実はゾフィーの父親は、ミヨシ先生の弟子なんだ。ゾフィーは孫弟子なんだよ。派手な犯行だからこそ犯人は遠くにいると思わせていたのさ」
カイの疑問にラトヤが答えた。その言葉にカレンとアーミアも驚いた。
「ついでに言えばオルガとサニーも先生が逮捕したのさ。本人は目立ちたくないからといってさっさと帰ったらしい」
「おじいちゃんらしいわ……」
カレンは感心していた。どれもイーサンと出会う前に三人を捕らえていたそうだ。ブラッククノイチに似ているが、こちらは本場の忍者として陰で活動していたが。
「ところで三人はどうやって脱走したのかしら?」
ラトヤは重い口を開いた。なんでも事件が起きた時、ニューアルカトラズ刑務所では30分だけシステムを停止していた。受刑者は中庭に集められていた。そして三人は屋上に連れてこられた。軍用ヘリが飛んできて、屋上に着地した。三人を連れ出して飛び去ったのである。
「それって脱走と言えるの?」
カイが首を傾げた。三人が強引に脱走したわけではなく、働き者が連れ出したのだからわけがわからない。ブラックホークと呼ばれる軍用ヘリコプターだ。しかもヘリには識別番号がなく、しかもシステムは停止していたからヘリがどこに飛び去ったのかわからないと来ている。
「これはかなり大きな力を持っているわね。金持ちくらいでは話にならないわ」
カレンは考え込んでいた。この件はザラたちと関係があると踏んでいる。あまりにもタイミングが良すぎるからだ。
「それは後にしましょう。今度のコミコンがあるからね」
カレンの言うコミコンとはロサンゼルス・コンベンションセンターで行われるイベントだ。
コミック、ホラー、SF、アニメ、ゲーム、ポップカルチャーなど、幅広いジャンルが網羅されており、コアなファンだけでなく、家族連れでも楽しめるように子供向けのプログラムやアクティビティもたくさん用意されている。
さらに映画やテレビ、コミック界から多くのゲストが来場し、ファンはパネルディスカッションやサイン会、写真撮影を通じて好きな俳優や作家、アーティストと交流できるのだ。
他にもコスプレ、ゲーミング、アニメ、ショッピング、限定グッズ販売、パネルディスカッション、ワークショップなど多様なコンテンツが提供されている。
「そうなんだ。お姉さまは何するの?」
「出店よ。私が描いた漫画を販売するの。クラウドファンディングで資金調達したのよ」
カレンは飛ぶ鳥を落とす勢いのあるオーディン社の陰の社長だが、本来はただの女子高生だ。日本と違いインディーズ出版はクラウドファンディングがなければ無理だ。
「どんな漫画を描いているの?」
「はい、見本誌よ」
カレンがカイに差し出したのは、黒人女性がカーニバルのような服を着ている表紙だ。ブラックマジカルガールと書かれている。
「日本のサイトで投稿連載していたのよ。ニューオーリンズを舞台に、黒人の少女が主役で貧しいながらも夢を持つ料理人志願なの。ブードゥー教の伝承をモチーフにした魔法が得意で、町に蔓延するネガティブな感情が具現化したシャドウたちと戦うのよ」
「ああ、あたしも読んだ。黒人を馬鹿にしているように見えて、実に面白かった。まさか作者と出会えるとは驚きだよ」
「主人公は最後死ぬけど、バッドエンドじゃないわ。自分の行動に満足して世界を救ったからハッピーエンドなのよ。アメリカではマイノリティーだけど、日本マニアには受けているわね」
アーミアは感心してカレンに握手した。ラトヤも本を読んだが、満足げであった。ハリウッドのように手あかのついたハッピーエンドには飽き飽きしていたのだ。
「ところで逃げた三人は仲良しなのかな? 三人一緒に来ることはないの?」
「それはない。やつらは性格がバラバラで、一緒に讃美歌を歌うことはないな」
カイの言葉をラトヤが否定した。天地がひっくり返ってもありえないという感じだ。
カレンはそれを聞いて満足した。
アニマル・ルーズはアニマル・レスリーとベイブ・ルーズから取りました。




