第8話 銭でごわす
ロサンゼルス市内にあるロサンゼルス現代美術館は今日も人でいっぱいだった。警備員は少ないがなんとかやっている。その秘密は監視室にあった。
複数のモニターには施設内の映像が映っている。様々な客が何千人と映っておりとても人の目では追えない。だが彼らには秘密兵器がある。
「アルファ班はA地点に行け。環境テロがいる、そいつらを注意しろ。ブラボー班は銃を隠し持っているガキを取り押さえろ。乱射されたら迷惑だ」
警備主任が施設内の警備員に指示を出す。実際は顔認識システムで効率よく、不審者を見つけ出し、警備員たちが対処するのだ。
その様子を天井裏でブラッククノイチが見下ろしていた。ドラゴンクノイチ、アイスクノイチも一緒だ。全身黒タイツの痴女に、獅子舞のような仮面を被った少年、ごつい体につるつるの仮面を被った女だ。普通に人なら近寄りたくない雰囲気がある。
「あれってお姉さまの作ったシステムでしょ?」
「正確にはシェードクリーナーのおかげね。私は教育AIに力を注いでいるわ」
「その人ってどんな人なの?」
シェードクリーナーはカレンの会社オーディン社の腎臓だ。片方抜き取られても生きていけるが体は弱まる。カイは引き抜きなど考えになく、好奇心で訊ねていることは明白であった。
「一度も会ったことはないわ。たぶん一生会うこともないでしょう」
「お姉さまは日系人でも、アメリカに染まっているよね。ボクもだけど」
ブラッククノイチことカレンと、ドラゴンクノイチことカイがしゃべっていた。もちろん小声だ。
三人はここに展示してある、妖刀籠釣瓶を守るためにやってきた。正確には妖刀を狙うナイトシェードを倒すためだ。
「ナイトシェードって、どんな犯罪をやったのかな?」
「ニューヨークでマフィアのボスを3人殺しているわ。最初に殺したマフィアの家にハウスキーパーとして雇われていたそうよ。ボスを殺した翌日にね」
「なるほどな。変わり身の術だな。まさか殺した張本人が、ハウスキーパーとして売り込みに来るなんてありえないことだ」
カイの疑問にカレンとアイスクノイチことアーミアが答えた。アーミアはナイトシェードこと、ザラ・エスポジトと面識があった。シチリア人だが日本人の考えを理解した門下生だった。
「勝手にボスを殺して、抗争を引き起こしたからね。彼女は金よりも衣食住があれば満足しているのよ。あとは美術館で日本刀を盗むのが趣味ね。それも売らずにすぐ返しちゃうけど」
「頭おかしいね。お姉さまと似ているかも」
「それは同感ね。でもあの人は戦場で散るのが目的だから、男を相手にしたがらないわね。いい女なのにもったいないわ」
カイの言葉にカレンはやれやれと首を振る。アーミアにしてみればどっちもどっちであった。
さてしばらくすると監視室が騒がしくなった。ナイトシェードが現れたのだ。昼間から堂々と乗り込むなど正気の沙汰ではない。それが彼女のポリシーだ。そして捕まったことは一度もなかった。
次に別な場所で騒ぎが起きた。老婆が警備員にだいしゅきと叫びながら抱き着いたのだ。それも一人だけではなく、一斉にだ。どこか雲行きが怪しくなった。
「同時に…? まさか…」
アーミアの声がくぐもった。何か心当たりがあるようだ。そしてスマホからメールが届いた。差出人はラトヤ・ブラウン、アーミアの母親からだ。
『アーミアへ。ニューヨーク市警がとんでもないことをやりやがった! 3日前に護送中のプリヤ・パテルを逃がしやがった! 自分たちのミスを今日まで隠していやがったんだ! しかもそいつはLA市内で目撃されたそうだ!!』
カレンはアーミアのスマホをのぞき見したが、目を細めた。最悪な状態に頭がくらくらしてきた。
「プリヤ・パテルて、誰?」
カイが訊ねた。彼はその名前を見てもなんとも思わなかった。
「プリヤ・パテル、インド系の元精神科医よ。ベトナム帰還兵やトラウマを抱えた軍人を、特製の催眠装置で操り、元上官を怪物と見立ててリンチにかけて殺害したのよ。それも一度に複数もね。通り名はコマンダー、アメリカ史上ワースト2有名よ」
アーミアが説明した。カレンも彼女の話は聞いたことがある。確か祖父のケンが捕まえたと聞いたが、逃げられたのだろう。
「ナイトシェードは私が、コマンダーは二人が対処して!!」
カレンはそう指示して二手に分かれる。コマンダーはその性質から複数の兵隊を用意しているだろう。
美術館内は大混乱だ。一般女性が次々と警備員に抱き着いている。カレンたちは混乱する隙をついて駆け抜けた。
そして展示室を突き切ると、一人の女性が前をふさいでいた。褐色肌の女性でアジア顔だ。サフランと白、緑の軍帽を被っており、緑色の軍服とマントを着ていた。20代の女性で瞳の色はブラウンだ。
「はじめましてぇぇぇぇ!! わたくしはぁぁぁぁぁ!! プリヤ・パテルと申しますぅぅぅぅぅぅぅ!!」
やたらと大きな声であった。鼓膜が破れそうだ。すると逃げ惑う一般人がいきなりスクラムを組みだした。目の前の女、コマンダーが催眠術で操っているのだろう。催眠術は殺人や犯罪を起こせないが暗示次第ではどうにもなる。
あっという間にコマンダーの周りを、一般人による肉の壁が出来上がった。恐らく声が合言葉になって作動したのだろう。それも無関係な人間を兵隊に仕立てる手法は悪辣である。
「わたくしのぉぉぉぉぉぉ、相手はぁぁぁぁぁ!! ここの人たちですぅぅぅぅぅぅぅぅ!! わたくしとぉぉぉぉぉ、まったく縁がない人たちをぉぉぉぉぉぉぉ!! 傷つけられますかぁぁぁぁぁ!!」
まるでジェット飛行機が通過したような声だ。誇張抜きで美術館全体に声が行き届いているだろう。無関係な市民が敵に回る。悪夢だ。
「…なるべく一般人は傷つけないで。コマンダーだけに集中してほしいの」
カレンが小声でカイとアーミアに頼んだ。
「お姉さま…、嫌われても人を傷つけたくないんだね」
「傷つくのは私だけでいいのよ。私の趣味を他人に押し付ける気はないわ」
「へんなとことで真面目だよね。そこがお姉さまのいいとろこだけど」
カイは感心していた。そして中国拳法の構えを取る。
アーミアも刀を抜いて構えた。
「あんたはナイトシェードを相手にしな」
「任せたわ」
カレンは走り出した。そして肉の壁を易々と飛び越えた。だが彼らはカレンを追わない。
「追わないのかい? ナイトシェードと組んでいるんじゃないのか?」
「誰ですかぁぁぁ、わたくしは知りませぇぇぇぇん!! わたくしの仕事はぁぁぁぁぁ!! あなたたちを捕まえてぇぇぇ、裸に引ん剝くことですぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
コマンダーが叫んだ。いちいち叫ばないと気が済まないようだ。アーミアは彼女の会話で、ナイトシェードと組んでいないことを察した。すると彼女に依頼した人間は誰だろうか。
「わたくしはぁぁぁぁぁ!! 全身凶器ぃぃぃぃぃ!! 一対二でもぉぉぉぉ、ぜんぜぇぇぇぇん、へいきぃぃぃぃぃ!!」
コマンダーは両手を突き出すと、袖から小型拳銃が出てきた。パンパンと撃ってくる。無差別に撃っているように見えて美術品は避けていた。人間はおもちゃにしても美術品を傷つける気はないようだ。
「…この女、頭がパーに見えるけど、カラリパヤットの使い手だね」
カラリパヤットとはインド南部地方の武術である。14世紀頃,ナヤール (兵士) カーストが共同体をつくり,そこでの軍事的な身体訓練が洗練されて今日のような武術になった。カターカリやヤクシャガーナなどの舞踊劇にも影響を与えたという。カターカリの足の使い方はカラリーパヤットの鳥や動物の動きに似ており,その影響がうかがえる。ケララ州の州都ティルバナンタプラムに訓練学校がある。
「大正解ぃぃぃぃぃ!! わたくしのカラリパヤットはぁぁぁぁ、拳銃と組み合わせたまったく新しいぃぃぃぃぃぃ、格闘技ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「映画のパクリじゃん」
コマンダーの言葉をばっさりとカイが切った。
「そんなことないわぁぁぁぁぁ!! アイディアはぁぁぁ、わたくしのほうが先ぃぃぃぃぃぃ!!」
「いちいちうるさい!!」
カイは腹を立てて、コマンダーに詰め寄る。彼女の体の動きは蛇のようであった。コブラのようである。アーミアの方は老人たちがだいしゅきと叫びながら、抱き着こうとしていた。
刀を振り回してもひるむ様子がない。アーミアは苦戦していた。
(コマンダーはあくまでトラウマを抱えた元軍人のみ、殺人を行わせている。こいつらはあくまで抱きつくだけで殺すつもりはないらしい)
アーミアはそう考えていた。カイはコマンダーと接近戦を行っていた。拳銃頼りではなく、中国拳法を軽くいなしていた。
☆
カレンは刀が展示されている部屋にたどり着いた。部屋の真ん中にはガラスケースが置かれてあり、刀が展示されていた。そこに一人の女性が立っていた。
肩まで伸びた黒髪に、サングラス越しでも見える鋭い目つき、整った顔で、黒いレザーコートと黒いズボンをはいていた。右手には杖を握られている。すらっとした体格で女豹を思わせる雰囲気があった。
「…ひさしぶりね、ザラさん」
「おはんはカレンさとですね。おひさしぶりでごわす」
ザラことナイトシェードがしゃべった。シチリア訛りで若干聞き取りずらい。
「あなたはなぜロサンゼルスに? ニューヨークを出なかったのに」
「母はんは亡くなりもした。私や自由でごわす」
「亡くなって四年も経ったはずよ。それだけが理由じゃないはずでしょう」
カレンはナイトシェードがニューヨークを愛していることを知っている。祖父によく手紙を送っていたからだ。マフィアのボスを殺したのは痴呆症のボスが時代遅れの戦争を行おうとしていたからである。さらに他のボスも似たようなもので、アル・カポネの時代みたいな紛争を起こし、げらげら笑って酒の肴にしていたとのことだ。
「…銭でごわす」
嘘だ。彼女は金にこだわらない。彼女の言葉数が少ないのは、しゃべるとぼろが出るからだ。ナイトシェードは何かの依頼を受けた。カレンの祖父がたしなめても犯罪をやめなかった彼女を説得した人間は誰だろうか。
ナイトシェードは居合切りの達人だ。右手に持っているのは仕込み杖だ。居合は相手の隙を突き、一気に斬る。普段は杖と肉弾戦を得意としている。コートには忍者が使う飛び道具、クナイを仕込んでいた。
ナイトシェードはウサギのように駆け出した。そしてカレンの懐に入り、右拳で腹部を殴る。
腹に衝撃が走る。カレンのぴちぴちスーツはデダラス特製で自動車に衝突しても、自転車にぶつかる程度の衝撃しかない。ナイトシェードの腕力というか、技である。
ナイトシェードは左足でカレンの右側の頭部を蹴り上げた。こん棒で思いっきり殴られた感覚だ。カレンの目は一瞬白目をむき、気を失いかける。
だがカレンはすぐに気を取り直す。今の彼女は快楽の絶頂であった。
(ぐへへ、ザラさんの攻撃が予想以上だわ!! 今までの修行が水の泡になりそう!!)
カレンの目は恍惚の笑みが浮かんでいた。ナイトシェードはそれを理解したのか、ため息をつく。
そして背後に回り込み、カレンの尻に仕込み杖を突き刺した。
あまりの衝撃にカレンは天に上る気持ちになる。彼女は床に倒れ、尻を突き出した状態になった。このままナイトシェードはカレンの尻を叩き切るのか? だが彼女はカレンを無視して展示品の刀を盗む。ガラスケースを一刀両断した。
ナイトシェードは刀を手に取ろうとしたが、突如抱き着かれた。カレンだ。
「甘いわね。私が尻を突き刺されたくらいで、どうなると思っているの?」
そう言ってカレンは左腕でナイトシェードの首を絞め、右手で彼女の尻をつねった。
ナイトシェードの顔が真っ赤になる。さすがの彼女も尻をつねられたら弱まるようだ。
さらにズボンの中に手を入れると、ナイトシェードは目をむいて倒れた。
「ふぅ、ズルだけどこうしないと勝てないのよ。ごめんね」
カレンが謝罪すると、突如イーサンが現れた。ナイトシェードの噂を聞き、ここに来たのだ。手にはナイフが握られていた。
「母さんの仇だ!!」
「違うわ、彼女は犯人じゃない。そもそもザラは左利きよ、あなたのママは右肩から左脇までバッサリ切られた。犯人は右利きなのよ!!」
「そんなの信じられない!! 俺はこの女を殺すんだ!!」
イーサンは興奮していた。そこにアーミアがやってきた。後ろにはカイがいる。アーミアはコマンダーを引きずっていた。彼女たちが勝利したのだ。
「おい、犯人は捕まったぞ。相手は警官だった、ナイトシェードの模倣犯だったそうだ。ママからのメールだと口封じに病院に侵入したところ、ミヨシ先生に取り押さえられたそうだ。ついでにいえばお前さんの母親は無事目を覚ましたそうだぞ」
それを聞いてイーサンはくらげのようにへろへろになった。緊張の糸が切れたのだろう。
「よかったわねイーサン」
「ああ、ありがとう。ところでこちらは誰だ? 君のコスプレ仲間か?」
イーサンはカイたちを見てつぶやいた。三人ともばつが悪そうだった。コマンダーとナイトシェードは手足を縛って拘束して放置した。三人はこっそり抜け出した。
プリヤ・パテルはアメリカでのインド系によくある名前を組み合わせました。
声が大きいのは、最初沖縄弁の予定だったが、それだと面倒なのでコマンダーらしく大声で兵士を指示しる設定にしました。
ナイトシェードは鹿児島弁にしてます。シチリア訛りがそうかはわかりません。




