第7話 おじいちゃん……、やっぱりばれてた
イーサン・ジョブスがケン・ミヨシと出会ったのはロッキースケートパークだった。
ニューヨーク・ハドソン川沿いにあり、小規模だが歴史は古い。
最近になり白・黒のストライプ装飾がパーク内中に張り巡らされるようになった。
ストライプの装飾が視界を妨げたりして危険だという声もあがる一方で好き好んで遊びにくるプレイヤーもいる。
パーク内に野内設置のステージがあるハウスもある。しかしコレは会員制で尚且つ上級者じゃないと入れないらしい。
イーサンはよくスケボーをしに来ていた。ケンを見かけたのは偶然だった。白髪の角刈りで70歳の日本人で日焼けしており、筋骨隆々だ。着物に袴を着ており、雑誌で見た日本の侍に見えた。背筋をピンと伸ばし、鷹のような目つきで、油断ならない雰囲気があった。
ケンは一人で立っていた。誰かに話しかけるわけでもなく、待っている様子もない。
何日も同じ場所で立っており、まるで木のようであった。
ある日、イーサンはケンがチンピラに絡まれていた。黒人が3人ほどでケンより頭一つ高い。周囲の人間は知らんぷりしている。日本人などどうでもいいのだ。それ以前に他人など関心がない。殺されても猫が車に轢かれる程度でしかないのだ。
それがたった一人の老人にこてんぱにされた。まずケンの胸ぐらをつかんだ黒人が雑巾をひねるように回転し、地面にバシっと叩きつけられた。
残りの二人は懐からナイフを取り出すが、ケンは下から蹴りを入れてナイフを天高く飛ばす。
さらにもう一人が怒り心頭で拳銃を取り出した。拳銃を突き出せばすぐ泣き出して土下座すると思い込んでいた。だがケンは空から落下したナイフを蹴り上げ、銃口に突き刺さった。
引き金を引くと、拳銃は暴発し後方へ吹き飛んだ。両手は無事だが、三人とも戦意を喪失していた。
「これが私の忍術です。門下生を募集しております」
ケンはにっこりと笑い、黒人三人は身動き取れなかった。イーサンは東洋の魔術を目撃し、魂が抜けたように惚けていた。
☆
イーサンがケンを家に招待したのは気まぐれであった。母親に東洋の神秘を体現した人間を見せたかったのだ。ケンはロサンゼルスからニューヨークまで旅をしてきたという。道中でチンピラたちを叩きのめし、そいつらを弟子にして道場を建てていた。実際は稽古の方法を教えて代表を決めるだけだ。
稽古はどこでもできる。ミヨシ流は稽古をする場所を選ばない。ロサンゼルスにある自宅では家族が住むから建てているが、実際は心構えさえあれば問題ないのだ。ケンは叩きのめした黒人三人組を弟子にしており、周囲の人間も老若男女問わず弟子になった。授業料は1セントで毎回空き缶に入れるのが定例だ。それほど儲かるわけではないが、忍術がアメリカ人の生活の一部になることを望んでいるという。
数日前にニューヨークの犯罪者、コマンダーを捕まえたそうだ。他にも犯罪者を捕まえているという。
イーサンは忍術に興味がなく、大学からの帰りでスケボーをするのが趣味だった。
ケンはイーサンの家に居候し、家事の手伝いをしている。宿泊料と言ってスマホから何千ドルが送金されたときは驚いたが、弟子がよこした金らしい。
「自由の国! 万歳!!」
イーサンはなぜかそう叫んだ。
一月近く経ったある日、イーサンとケンが一緒に帰宅すると、母親がうつ伏せで倒れていた。背中は右肩から左にかけて袈裟斬りされていた。ケンは急いで応急手当てをした。すぐにスマホでレスキューを呼び、詳しい症状を教えていた。
すると白人男性の警察官がやってきた。やったのはナイトシェードと呼ばれる殺し屋で、彼はその現場を目撃したという。相手は逃げたそうだ。自分は凶悪犯を抑えるために応援を呼んだが間に合わなかったとイーサンに謝罪した。イーサンは怒り狂った。愛する母親を殺されかけたからだ。
警察官は母親が生きていることに驚いた。レスキューが数分後に来て、彼女を救急車に乗せた。
「イーサン……。ロサンゼルスに行きたまえ。ナイトシェードの目的地はそこだ。リトルトーキョーには私の孫娘カレンがいる。LAを騒がせるブラッククノイチがいただろう? あれは孫娘のやんちゃだ。コンピューターにも強いから君の力になってくれると思う」
そう言ってケンはイーサンにスマホで旅費を送金した。母親は自分が介護するから安心してくれと言った。イーサンは短い間だが彼を先生と敬っていた。こうしてイーサンはニューヨークからロサンゼルス行きの飛行機に乗ったのであった。
☆
「おじいちゃん……、やっぱりばれてた」
ここはカレンの家の応接間だ。ソファーとテーブルしかないシンプルな部屋で、カレンとイーサンは向き合うようにソファーに座っていた。テーブルの上にはコーヒーが置かれてある。イーサンの注文でブラックコーヒーが出されていた。
カレンは頭を抱えた。彼女がブラッククノイチになったのも祖父がいないからだ。彼がいたらすぐ止められていただろう。彼女はマゾヒストだがケンにかかれば子犬同然に扱われる。
「あなた、私の正体を知っているのよね? それをネタに今夜私とチョメチョメ……」
「しないよ。俺はあんたの正体なんかどうでもいい。母さんの復讐をしたいんだ」
イーサンは断言し、カレンはがっくりと首を下げた。
「それにブラッククノイチがどんな姿か、誰も知らない。SNSでは話題になっても写真一枚すらないんだ」
イーサンがどうでもよさげにつぶやいた。これはカレンも気になっていたが、ブラッククノイチの写真は一枚もSNS上にない。彼女は夜中のダウンタウン地区を暴れまわっており、観光客や地元住民、ホームレスが写真を撮ってもおかしくなかった。だが一枚もない。それどころか写真を投稿したらすぐ削除され、スマホのフォルダからブラッククノイチを写した写真だけ消されたそうである。
これはカレンのあずかり知らぬことだ。写真が流出し、彼女を特定されることを期待していたのに、まったくない。彼女は不満だった。
「そうなの。ナイトシェードと言えば日本刀のみを狙う窃盗犯よ。居合切りの達人で、全米各地の美術館を襲撃。罠や警備員の拳銃を切り裂き、殺した相手はマフィアのボスのみって話だけど。本当にあなたのお母さんはそいつにやられたの?」
「そうだよ。警察官が目撃したんだから間違いない。母さんが生きていたことに驚いていたけどな」
「……おじいちゃんはどうしてナイトシェードがLAに来るとわかったのかしら?」
カレンが質問すると、イーサンは答えた。
「忍者の勘じゃないのか。あの人は雨が降ることを予測したり、拳銃を持つ相手の動きを察して無力化していたのをよく見ていた」
それを聞いてカレンはため息をついた。
「……今夜は帰って頂戴。明日改めて相談しましょう。たぶんナイトシェードはロサンゼルス現代美術館に所有される妖刀籠釣瓶を狙っているわ。新聞で読んだから」
ロサンゼルス市のダウンタウンの再開発事業の一環として1986年に開設された美術館だ。設計は日本人の磯崎新である。高層ビル群のただなかに建てられた半地下の超低層の美術館の設計が話題を呼んだ。コレクションの中心は1950年代以降の米国のアーティストの作品だが,ステラ,ポロック,ロスコらと並んでジャコメッティやキーファーなどヨーロッパのアーティストの作品も見られる。
別館として元市警察の倉庫であった建物を再利用したテンポラリー・コンテンポラリーがあり,企画展を開催している。
そして美術館では日本から妖刀が展示される。籠釣瓶とは籠の釣瓶、つまり刀で切っても血で濡れないことを意味していた。ちなみにナイトシェードは盗んだ刀を売りに出したことはない。それどころか後日盗んだ博物館に送り返すという奇行を繰り返していた。
盗む過程を重視しており、結果には興味を抱かない異常者として恐れられていた。
「……わかった。若い子が一人暮らしする家に泊まれないからね。ホテルは予約してあるから今日は帰るよ」
イーサンは立ち上がると荷物を持ち、入口へ向かう。
ふいに立ち止まると、
「……この国は俺が生まれも死んでも何も変わらないよ」
そうつぶやいて去った。カレンはイーサンの腹の中にあるどす黒いものを感じずにいられなかった。
☆
カレンが悩んでいると、応接間に女性が入ってきた。黒人女性だ。アーミア・ブラウンである。彼女はまだ帰宅していなかったようだ。
「カレン、何を悩んでいるのかしら? 落ちている犬のふんを拾うようなことだろう?」
「汚い話はやめてちょうだい。というかあなた見たいテレビとかなかったの?」
「テレビより読書が好きよ。テレビは毎回同じことしか繰り返さないでしょ。ブラッククノイチさん」
アーミアの言葉の矢に、カレンの心臓は射抜かれた。なぜ彼女がそれを知っているのか。
「クノイチなんて真似、あなた以外にできるわけないでしょう? ちなみにうちのママも把握済みよ。注意しないのはあなたが反発するからよ。だからお目付け役を任されたわけ」
「それって、あなたがアイスクノイチってこと?」
「ご名答。大学の研究で冷凍技術を扱っているのよ。それの研究データ収集の目的もあるわね」
カレンが呆気に取られていると、アーミアはぺらぺらと油紙に火が付いたようにしゃべりだした。
「あなたの悩みはひとつ。ナイトシェードね。確かミヨシ先生のお弟子さんだったとか?」
「……そう、彼女はザラ・エスポジト。子供の頃に剣術を習っているのを見たことがあるわ」
カレンは語る。彼女はイタリア系3世で24歳。シチリアーノ『シチリア人』のマフィアのボス、フランク・ピランデルロの愛人の娘であった。ケンから剣術を学んでおり、居合切りを得意としていた。
父親が正妻と息子を敵対勢力に殺害され、腑抜けてホームレスになったとき、彼を見捨てて母親の実家があるニューヨークへ移住した。そこで修行で身に着けた剣術を悪用して日本刀専門の窃盗犯となったのだ。
居合切りだけでなく、投げナイフを利用した戦法を得意としている。
彼女は愛人の子だが父親を愛していた。娘が凶行に走ればフランクは自分を消しに来ると信じていたのだ。
ナイトシェードは毒草を意味しており、マスコミがつけたものだ。
「おじいちゃんはなぜ彼女がLAに来るとわかっていたのか。それは3日前に本人に会っていたからよ。おじいちゃんがメールでよこしてた」
「ああ、なぞなぞブックでいきなり答えを見る感じだな。ということはイーサンて子の母親を暴行したのはそいつじゃないってことね」
そうイーサンの母親が切られたのは2日前。ナイトシェードは3日前にはLAへ向かっていた。彼女にはアリバイがあるのだ。
「たぶんおじいちゃんはイーサンに復讐させないつもりで、私に振ったのね。メールに忠臣蔵って書いてあったの。日本じゃ主君を自殺に追い込んだ相手を家来が48人がかりで復讐する話よ。最後は一人を残して自殺したわ、日本人は後追い自殺が好きなのよ」
「日本人はいかれてるね。あなたはどうなの、古いお話にロマンを感じるタイプ?」
「私はアメリカ人よ。日本のアニメや漫画は好きだけど、復讐物はざまぁで十分よ。殺人までエスカレートするのは遠慮するわ。イーサンはナイトシェードに復讐するつもりね。しかも差し違える覚悟を決めているわ。でも頭に血が上っている。それを沈めないとね」
カレンは意を決した。面倒ではあるが、逆にそれで燃えてきたのだ。普段とは違う行動がミスを誘発し、自分がナイトシェードに殺されるかもしれない。痛みがないのは残念だが無残な死も悪くなかった。
「ぐへっ、ぐへへへへ!! 私の首が、すっとばされる……。想像しただけで、ぐへっ、ぐへへ!!」
「美少女がしてはいけない顔になっているわよ」
目を見開き、口を大きく開けて悶えているカレンに対し、アーミアは突っ込んだ。
すべては明日、決着がつくのだ。
ザラはアラビア語起源で花輝きという意味があります。
エスポジトはニューヨークで一般的なイタリアの苗字です。
フランク・ピランデルロは3話に出たエンペラーの本名です。




