第6話『おいたはそこまでだ』
ダウンタウン地区の一角にあるアニメショップが襲撃されていた。日本から輸入されたアニメのDVDやグッズ、本やゲーム、CDが売られている。日本語が理解できなくても、楽しめるものは楽しめた。現在はネットで不法配信の漫画やアニメはあるが、実物を好む者も多い。
中には翻訳よりも日本語を学び、本場の空気を味わいたいものも多い。しかし日本語の複雑怪奇さには舌を巻く若者がほとんどだ。アルファベットなら26文字なのに、日本語はあいうえおからして50文字、漢字だと千文字など軽く超す。普通なら音を上げるものだが、若者たちは日本のアニメのために日本語を懸命に習っていた。
そこがホッキョクグマに襲撃されていた。正確には熊の毛皮を被り、両手に鉄の爪をつけている大女だ。
名前はポーラベア。そのまんまホッキョクグマである。
本名はメアリー・デマート。30歳でアラスカ出身のトリンギット族だ。アラスカの先住民族である。肌は雪焼けで浅黒く、熊のような体格だ。男のような顔つきで胸が大きいからかろうじて女だとわかる。
「あっはっは!! 他愛もねな!!」
ポーラベアはアラスカ訛りで叫んだ。周囲にはヒスパニック系のマフィアたちが浮浪者を先導し、店の商品を盗ませている。店員は怯えて逃げ出した。警察が来る前に火炎瓶で店を焼き払う予定だ。
「あだける『暴れる』だげで、金がもきやえるなんて最高だな!!」
ポーラベアはかぎ爪をカチカチ鳴らしながら豪快に笑っていた。彼女は思想などない。地元では禁じられたホッキョクグマを自慢のかぎ爪で殺した罪で追われていた。暴れるだけで彼女は満足なのだ。
「だげど、あの女は何者だ? こしたきや『こんな』店を潰すだげで前金をポンど出すんだがきやな」
アラスカの山奥で逃亡生活を送っていたところ、謎の女が現れた。最初は警察かと思ったが、小柄なのに自分を投げ飛ばした時は驚いた。そして今の取引を持ち掛けたのである。マフィアたちはアニメショップのせいで麻薬が売れなくなり、憂さ晴らしのため店の襲撃に手を貸しているだけだ。
「おいたはそこまでだ」
どこか冷えるような声が聴こえた。店の上に一人の女が立っていた。顔はつるつるで銀色のフルフェイスマスクで隠れているのでわからない。だが全身ぴっちりしたスーツは女性の体形をはっきりと浮かび上がらせていた。180ほどで全体が太い。肥満ではなく、骨太に見えた。背中には細長いものを背負っている。
女は四つん這いになって地面に着地した。まるで猫だ。
マフィアたちは突如湧いて出た変人に対して拳銃を向ける。だが女は背中から何かを抜き取った。
それは日本の刀だった。女はマフィアが拳銃を向ける前に刀で拳銃を切り落としたのである。
そしてマフィアたちの手首を軽く切ると、手首から噴水のように血が噴き出した。子供のように泣き叫んでうずくまっていた。
ポーラベアは突然の闖入者にも動じることはなかった。そもそもマフィアは路傍の石としか思っていない。
「なんだお前は?」
「アイスクノイチ」
ポーラベアの問いに名前だけ名乗った。ポーラベアはそれが宣戦布告ととり、にやりと笑う。まるで肉食獣だ。
ポーラベアはおたけびをあげならが突進してきた。だがアイスクノイチは大木のように動くことなく、木の枝のように右手を広げた。手は物々しい小手であった。
ポーラベアの顔と右手が接触する寸前、右手から何かが噴き出た。
それは液体窒素であった。顔が凍る瞬間、アイスクノイチはポーラベアの頭に右手だけでのっかった。
まるで新体操の選手のようだ。
視界を奪われたポーラベアはビルの壁に衝突し、そのまま壁を突き破って気絶した。
「氷の監獄に囚われるがいい」
遠くでパトカーのサイレンの音が風と共に吹いていた。アイスクノイチはつぶやいて、すぐさまその場を立ち去った。
ビルの陰で浮浪者の一人がそれを目撃しており、携帯電話をかけた。
☆
「ふあぁぁぁ、昨日はよく眠れなかったわ」
カレン・ミヨシは高校に登校中であった。茶髪のおかっぱ頭に、気の弱そうな眼付なのが彼女である。
その隣には中国人の少年が左側を歩いていた。黒髪で二つの御団子頭、赤いチャイナ服と黒いチャイナズボンを穿いている。見た目は美少女にしか見えなかった。カイ・ウォンである。
この辺りは空き地も多く、バスケットのコートもあった。登校中の子供たちがスケボーやキックボードを走らせていた。
「昨日はお楽しみだったもんね、お姉さま」
「誤解されるいい方はやめてよね。私としては最高の破滅を演出しているのに、あなたがしゃしゃりでるから台無しになっちゃうわ」
「中国人は、国より家族だけを愛するのさ。お姉さまは親戚で家族なんだから、破滅なんて許さないよ。ぶっちゃけボクも男たちに乱暴されたいかな、えへ♪」
カレンは眠たい目をこすっている。カイは少しおかんむりだ。もっとも彼も性癖がひん曲がっており、自分のことを言えた義理ではない。
カレンはあくまでブラッククノイチの正体がばれて、身の破滅を望んでいる。それは考える限りの対策を練り、対策をした後でのことだ。そして他人が巻き込むことを嫌っている。
ウォン家は龍尾は小規模ながらも実力派が多い。いざとなれば兵隊をかき集められるだろう。さらにカレンの祖父直伝の罠で相手を嵌めるだろう。
するとカレンは突如、横に飛んだ。バスケットボールが彼女の右側の頭に飛んできたからだ。
衝撃とともに飛ぶことで威力を軽減している。カイはあまりのことで驚いた。
「あ~ら、ごめんなさい。あなたにぶつかっちゃったわね」
けらけら笑いながら謝っているのは、金髪碧眼でウェーブのかかった美少女だ。
アンジェリーナ・サハウェイである。友だちからはアンジーと呼ばれていた。彼女はバスケットのユニフォームを着ており、友達とバスケットを楽しんでいる最中だったのだろう。
「ちょっとあなた!! お姉さまにぶつけるなんてひどいです!! 土下座して謝ってください!!」
「あなた後輩ね? 私はキチンと謝りました。土下座って日本映画に出てくる謝罪のポーズでしょう? 冗談はやめてよね」
カイは怒ったが、アンジーはどこ吹く風だ。彼女の友達も早く戻って来いと急かす。
「あなたはこの子の親戚なのよね。あまりこの子と付き合うのは辞めたほうがいいわよ。日本人がうつるから。そうそう昨日はブラッククノイチだけでなく、アイスクノイチなる変態が暴れたそうよ。まったくカレンみたいな日本人は変態を呼び寄せるのかしらね」
そう言ってアンジーは立ち去った。その後にカレンが立ち上がる。
「何さあの女!! 日本人がうつるってどういう意味だよ!!」
「ほっときなさいカイ。アンジーはいつもああだから。彼女の罵倒は私にとって甘美な歌声にしか聴こえないんだから」
「なんでお姉さまに対して嫌味を言うのかな? 何かあったの?」
「私が両親を亡くしたころ、アンジーが慰めに来たのよ。でも当時の私は気が立っていてね、彼女の親切がお仕着せがましくて、苛立ったの。そしたらアンジーがヒステリーを起こして私に殴る蹴るの暴行を加えたのよ。あの時の快感は忘れられないわ。暗い気持ちが一気に吹き飛んだ。それ以来彼女は私に対して嫌味を言うようになったわね。彼女は最高の友達よ」
「それを友達と呼ぶお姉さまもすごいね」
カレンは想像するだけで白目をむき、舌を垂らしながら恍惚な笑みを浮かべていた。カイは割と見慣れているのでやれやれと首を振った。
「ところでアイスクノイチって誰だろ? お姉さまの友達……、じゃないよね」
「当り前でしょう。ちょっと調べてみるわ」
カレンはポケットからスマホを取り出した。そしてネットニュースをチェックする。
『ブラッククノイチ、また騒ぎを起こす!! テキサスの暴れ馬、セントールを相手に周囲の迷惑を顧みずに、荒らしまわった。市長はなぜこの変態を逮捕しないのかと、ブラウン署長を一喝した』
『時同じく、アイスクノイチなる変人も登場した。ロサンゼルスのダウンタウン地区において、オーキッド・マンティス、サートゥル、昨晩はアニメショップでポーラベアと暴れていた。周囲の住民は大変迷惑を被っている。警察はブラッククノイチとアイスクノイチが繋がっているとみて捜査を進めている』
「ですって。お姉さまは知らないの?」
「知らないわ。というかこの三人、縄張りが違うはずなのに、おかしいわね」
「そもそも昨晩のセントールも本来はテキサスが中心だったんだよね。気まぐれを起こしたのかな?」
「あの手の犯罪者は縄張りを安易に変えないわ。しかもこいつらアニメショップばっかりを襲撃しているわね……」
カレンはこの手の犯罪者に詳しかった。アイスクノイチが相手をした三人はそれなりに名の売れている犯罪者だ。
普通の強盗や殺人犯とはわけが違う。犯罪者のエリートと呼ぶべき存在だ。彼女らはある種の掟がある。縄張りをころころ変えないことだ。
カレンはネットニュースを見ていると、別のニュースも目に入った。ハンナ・ゴールドバーグ大統領のニュースだ。
ロサンゼルス市内のアニメショップが襲撃されて大喝采していた。日本のサブカルチャーのせいでアメリカ製が売れなくなった。これは天罰だと喜ぶ一方、襲撃した犯人たちが逮捕されたことに対して激怒していた。アメリカを救った英雄たちを犯罪者呼ばわりするとは何事か!! 今すぐ釈放し、ブラッククノイチなる犯罪者を今すぐ逮捕しろ!! ロサンゼルス市警は無能集団だ!! とまくしたてているそうだ。
そしてバックダンサーとバンドの演奏に合わせて、ダンスを踊るのも定例だ。
ロサンゼルス市の市長、オリヴィア・ジョーンズは大統領に対して「彼女こそ無法者だ!! 確かにブラッククノイチは問題だが、アニメショップ襲撃を喝采するなんて信じられない! LA市内で少年犯罪がぐんと減った事実を知らないのか!! なんでも人のせいにして罵倒すれば支持率が上がると信じる愚か者に天罰が下りますように!!」と激しく非難したそうだ。オリヴィアはアメリカ独立以前から移住したフランス系アメリカ人だが、フランス語はしゃべれない。金髪碧眼の60歳で、縮れ毛を後ろにまとめており、黒い背広を着ていた。
「大統領は相も変わらずおかしいね。ジョーンズ市長が防波堤だわ」
「昔はああじゃなかったわ。おじいちゃんの教え子で真面目な人だった。権力があの人を変えてしまったのね」
「でも市長も先生のお弟子さんなんでしょ? あの人は真っ当だし、大統領の性格の問題だよ」
カレンとカイはしみじみ思った。
☆
学校はいつも通りに終わった。カレンは孤独で、アンジーが彼女を公然の面前で罵倒して過ぎる。
そしてリトルトーキョーに帰り、カルフォルニアロールをテイクアウトして帰宅した。
木造のスキヤキ道場の中に入ると、暑苦しい空気が流れだす。道場の隅には木刀が入った箱がある。今日の稽古は剣術だ。日本刀は所持しているが、滅多に使わない。門下生には木刀だけで十分なのだ。
メールでどんな門下生が来るかは知っている。やがて時間が来ると道場に人が入ってきた。
「おひさしぶりカレンちゃん」
それは黒人女性だった。髪は黒く後ろにまとめており、おでこは広く、鼻孔は広がっており、唇は厚いがチャーミングだ。20歳くらいで170センチのメリハリの利いた体型の持ち主である。白いシャツと黒いタイトスカートを履いていた。
アーミア・ブラウンといい、警察署長のラトヤ・ブラウンの娘だ。普段はカルフォルニア州立大学ロサンゼルス公立大学の研究員だ。飛び級で卒業していた。冷凍システムの設定や効率化を研究しており、地域密着型で食品産業や地元企業と連携した実践的な研究を行っている。
「おひさしぶりです、アーミアさん。研究はかなり忙しいそうですね」
「イーストロサンゼルス地区だから毎日は通えませんね。ですが鍛錬は続けていますよ」
アーミアは道着に着替えた。そして木刀を持っている。ふたりは木刀で打ち合いを始めた。
ここまでなら竹刀を使わない剣道だが、相手の利き手を狙ったり、時々蹴りを入れたりといろいろ加えている。剣術と言っても流派ごとに異なるものだ。本来は袖の長い服を着て持ち手を隠したり、袴を履くことで足元を隠すことで相手を翻弄するのだ。古武術は人に知られないのが必殺なのだ。
アーミアの剣は重く、受けるたびに全身がびりびりと響いてくる。まるで野獣だ。彼女はアフリカ系アメリカ人で先祖は南部に奴隷として連れてこられた。奴隷解放後はロサンゼルスに逃げてきたそうだ。今では母親は警察署長となり、娘は大学の研究員として働いている。黒人奴隷を愛した南部の人間には忌々しいことだろう。
やがて稽古が終わると二人ともシャワーを浴びた。こちらは量より質を重視しており、一回100ドル《約15000円》で教えていた。毎日通う人間もいれば彼女のようにたまにしか来ない人間もいる。もっとも自分が裏で経営しているIT企業の方がはるかに大金を稼いでいるが、日本人の血筋ゆえか、個人で使うよりも組織に使うことを重視していた。
「あっ、おじいちゃんからメールが来た」
カレンのスマホにメールが届いた。写真付きだ。
左側に白髪の角刈りで日焼けした男が写っていた。70歳だが鍛えこんだ肉体故に50代に見える。浅黄色の着物と袴を着ていた。カレンの祖父、ケン・ミヨシだ。
隣には20歳ほどの男性が写っていた。白人で祖父と同じ背丈だ。瞳は青く目にクマができている。GREENDAYのビリー・ジョーのような見た目だ。
メールはこう書かれている。
『ニューヨークで知り合ったイーサン・ジョブスくんだ。忠臣蔵が好きらしい。もうじき彼はお前の元に来る。うちに泊めてやってほしい。詳しくは彼に聞いてくれ』
次に玄関からブザーの音がした。インターホンで顔を確認する。そこにはメールの写真の男が立っていた。
ポーラベアの鈍りは津軽弁です。
イーサン・ジョブスはいでっち51号様のキャラです。
ニューヨークにいる彼がなぜロサンゼルスにいくのか、その理由を考えて、カレンの祖父を絡ませました。どう話が転ぶかはご期待ください。




