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第4話 また今夜ね

 ここはダウンタウン地区にあるビルの一角だ。古ぼけており今にも倒れそうな雰囲気だ。それでもロサンゼルス市では4000ドル(日本円で約60万円)近くするのだ。

 ウクライネツ法律相談事務所。それがその部屋の名前だ。経営者は30歳のウクライナ3世で、名前はイレーネ・ウクライネツという。切りそろえた銀髪に白い肌。すらりとした冷たそうな雰囲気のある美女だ。黒いパンツスタイルで身を固めている。触れたら斬られそうなナイフのような女性だ。


 部屋の中は応対のためのソファーにテーブル、本棚に食器棚。観葉植物にテレビ。机の上にはパソコンと本が山積みになっていた。

 イレーネはソファーに座っている。その正面には茶髪のおかっぱで気弱そうな十代後半の女性が座っていた。

 カレン・ミヨシ。彼女は家の相談に来たわけではない。陰で経営しているオーディン社の顧問であるイレーネと今後の商談をしていた。イレーネはカレンの祖父の弟子だ。イレーネの祖父はウクライネツ、ウクライナ人を意味する言葉通り、ウクライナからアメリカにわたってきた。共産主義と勘違いされて迫害されたことがあったが、カレンの祖父に助けられたのだ。

 日本人のように義理と人情を重視していないが、恩返しくらいはする。ただイレーネはカレンの援助のおかげで事務所を経営できたのだ。カレンは見ず知らずの相手より有能な知り合いを頼ったのである。


「これが今月のオーディン社の収益よ」


 イレーネが紙をカレンに差し出した。カレンはそれを見てすぐテーブルに置く。彼女は瞬時に書類の内容を理解しているのを、イレーネはわかっていた。


「オーディン社では教育AIのおかげで凡人が普通の人になったわ。でもその度に給料の高い会社にすぐ移っちゃうわね」


 教育AIオーディン。学のない人間をAIが教育するのである。IT会社に入社する人間は大学卒業が最低条件だが、オーディン社は英語ができれば誰でも入社できた。ヒスパニック2世の移民がよく入社するが、他の会社からすぐ引き抜かれているのが現状だ。


「問題ないわね。その分有能な人間が入社してくれているし、普通の人が増えれば治安もよくなるでしょ?」


 カレンはまったく気にしていなかった。もともとそれが狙いだったからだ。日本人は海外で建築工事をするときは現地の人間と資材を使う。会社がもうからないと思うが、有能な人材を育成することでその国の治安を少しでも改善させるのが目的なのだ。事実、オーディン社のおかげで職にあぶれた人間が少しだけ減っていた。イレーネの事務所もカレンだけでなく、様々な仕事が舞い込んでおり、近々新しいビルに引っ越す計画を立てていた。


「カレン。私はあなたが心配よ。ブラッククノイチなんて狂人の真似事はやめてちょうだい。命を落としてもおかしくないわよ」

「それが望みよ。精一杯活躍して、力尽きた時男たちに凌辱されるの。もちろん殺されるかもしれないわ。でもそれがいいのよ。今から私をおもちゃにして壊される姿を想像すると……、ぐへへへへ」


 カレンは美女がしてはいけない表情を浮かべた。目をむき出して、口を大きく開きよだれと舌をだらりと垂らして、恍惚な笑みを浮かべていた。さすがのイレーネもドン引きだ。


 イレーネはテレビのスイッチを入れた。ちょうど大統領の演説が行われていた。

 ハンナ・ゴールドバーグ大統領。ユダヤ系アメリカ人で60歳。縮れた銀髪にふっくらした体系だが、目つきは鋭く三角眼鏡をかけており、ヒステリーぽさがあった。赤いスーツを着ており、身体がはちきれそうである。


『全米の皆様!! 私は犯罪者収容のためにかつての伝説の刑務所、アルカトラズ刑務所を復活させて2年が経過しました!! 全米を恐怖のどん底に叩き起こした愉快犯、ピエレッタ!! 狂暴なゴリラ女、アマゾネス!! 動物を操り多大な被害をもたらしたビーストテイマー!! 最新の施設で凶悪な犯罪者を永久に逃がしません!! 今世間を騒がせるセントールやナイトシェードも私の手で捕まえます!! 私はアメリカに不利をもたらすものを許しません!! 第2期もどうぞよろしくお願いいたします!!』


 ゴールドバーグ大統領は歌舞伎のような大げさな振る舞いをした。そして歓声が沸き上がる。

 さらに彼女は「ワンツー」と声をかけると、踊りだした。バックダンサーをはじめ、楽団も演奏を始めた。彼女は何かあるとすぐ踊りだすのだ。60歳とは思えないほどのキレのあるダンスであり、最後に占めると万雷の拍手が起きた。大統領はご満悦である。

 イレーネはそれを見てやれやれとため息をついた。


「アメリカ第一と言って、他国をないがしろにした結果、貿易赤字を引き起こした張本人が何を言うのやら。2期目なんか期待できないわね」

「両親がいたころ会ったことがあるわ。気のいいおばさんだったけど、世界最強の権力を持つと悪魔になるのかしら」

「あの踊りを見て、何も感じないなら精神科に見てもらうことをお勧めするわ」


 カレンも同意してつぶやいた。ゴールドバーグ大統領はテレビではぼろくそに言われているが、SNSでは熱心な信奉者が多く、アメリカ各地でデモを繰り返していた。カレンの高校でも大統領のファンがおり、校内を騒がせることが多かった。

 ゴールドバーグ大統領はアメリカ第一を信条としており、アメリカに不利益を出すものを容赦なく叩き潰した。特に不法移民を蛇蝎の如く嫌っており、彼らを強制に退去させたときは抗議した部下を次々とクビにしたという。自分の都合のいい、イエスマンしか置かない独裁者として、全米で嫌われているが、なぜか彼女を崇拝する者も多く、アメリカは分断していた。

 ロサンゼルス市は人種のるつぼだ。警察官はヒスパニック系が半分を占めている。労働も賃金が安い不法移民を重宝していた。

 カレンは両親が健在していた時、彼女が祖父の道場に通っていたことを覚えていた。熱心な生徒で祖父にはいつか偉くなると言っていた。カレンとは挨拶した程度だが、変わり果てた彼女を見てため息をついた。


 ☆


 カレンは事務所を出て、スキッド・ロウにある店をたずねた。デダラス工房といい、ブラッククノイチが身に着ける装備を製造したのだ。店主は70歳のドイツ人で本名は不明。デダラスはギリシャ神話のダイダロスの英語読みだ。ミノス王の命令でミノタウロスを閉じ込めたラビリンスを作った人である。

 デダラスは150センチの小柄な老人だ。童話に出てくるドワーフに似ている。店の前は様々ながらくたが山積みになっていた。不法移民ですら金にならないからと盗まれることがない。


 カレンが店の前にたどり着くと、一人の少女がチンピラに絡まれていた。ダブルシニヨンヘアの黒髪で、赤いチャイナ服に黒いチャイナズボンをはいている。カバンを下げていた。中国系アメリカ人だろう。ダウンタウン地区にはニューチャイナタウンがある。規模はサンガブリエルバレーの方が大きい。観光地で老人が多いらしい。

 チンピラは黒人のようだ。十代後半に見えるが黒人なので体格が大きい。少女を誘って遊ぶつもりなのか。周りには誰もいない。知らんふりをするつもりはない。カレンは気弱を装っているだけで、正義感は人一倍なのだ。


「すみません、ちょっとよろしいでしょうか?」


 カレンは黒人に声をかけた。彼らは興奮しており、カレンを見てぺろりと舌なめずりした。カレンを乱暴につかもうとしたが、カレンはすらっとかわす。

 黒人の手は空を切り、怒りだした。アジア人など痛めつけても構わないと言わんばかりだ。

 右こぶしをカレンの顔に叩きつけようとしたが、知らない間に少女を羽交い絞めする相棒の顔を殴っていた。

 殴られた相手は怒り出し、取っ組み合いの喧嘩が始まった。カレンはその隙に少女の手を取り、その場を立ち去った。


 しばらく走った後、ビルの陰に隠れた。二人とも息を切らしていない。


「危なかったわね。かわいい子が一人で歩くのは危険よ」

「ありがとうございま……、あっ、お姉さま!!」


 カレンは少女にお姉さまと呼ばれて驚いた。よく見ると少女は知った顔だ。


「カイじゃない!! なんでこんなところを歩いていたのよ!!」


 少女の名前はカイ・ウォン。実は男だ。16歳でカレンと同じ高校に通う、ニューチャイナタウンの女ボス、リン・ウォンの息子だ。

 カイの祖母はカレンの祖父の妹だ。さらにカレンの祖母もカイの祖父の妹だ。二人は親戚である。


「ちょっとした用事ですよ。お姉さまはアニメショップが目当てですか?」


 カイは男だがくりくりした目が愛くるしい。その手の趣味が男にはたまらないだろう。カイは中国武術の達人だ。カレンも手合わせをしたことがあるが、かなりの実力者だ。だが見た目が美少女にしか見えないのでチンピラに絡まれやすいのだ。


「それにしてもお姉さまはすごいですね!! 相手に触れることなく同士討ちにさせたんですから!!」

「そりゃそうよ。女の力じゃ限界があるしね。相手の力を利用するのがスキヤキ流なのよ」

「おばあ様と同じですね!! うちの若い男衆でも勝てないんですよ」


 カイは興奮していた。日本人と中国人は性質が違う。だが同じアメリカ4世になると、母国の伝統とアメリカの流儀を兼ね備えるのだ。

 だがカイはやたらとカレンに抱き着いてくる。男だが女のように化粧をしており、香水の匂いも鼻につく。カレンは少し疎ましいと思った。自分を罵倒しない人間は苦手なのだ。

 

「だけど今はセントールが厄介なんですよ!!」


 カイは興奮していた。憤慨している様子だ。カレンもセントールの名前は知っていた。

 セントールとはギリシャ神話に登場する半身人馬、ケンタウロスの英語読みだ。


「話には聞いたことがあるけど、なぜかアニメショップを襲撃しているのよね」


 カレンがつぶやいた。セントールはヘルメットを被り、黒いレザースーツを着たテキサス出身のヒスパニック系の女だ。テキサス・トレイル・レイダースというバイク乗りの窃盗団の女リーダーだ。

 バイクはまるで馬のように操るため警察も手を焼いているそうだ。

 最近はダウンタウン地区にあるアニメショップを襲撃していた。店内に火炎瓶を投げては店を閉店に追い込むなど悪質だ。バイクのメンテを行うには整備工場が必要だが、セントールは闇の整備士を頼っているため、なかなか警察も探せないようだ。

 だがセントールはテキサスを中心に活動しており、なぜロサンゼルスに来たのか不明だ。そもそもセントールは火炎瓶よりもショットガンを巧みに扱っており、なぞだった。


「あいつはヒスパニック系マフィアに雇われているんですよ!! 日本のアニメのおかげで麻薬中毒者が一気に減ったからです!! スキッドロウでできた漫画喫茶に不良たちがたむろしているから、麻薬がまったく売れなくなったそうですよ!!」

「うちの高校でも日本のアニメや漫画を推奨しているわね。麻薬中毒になるよりマシってとこかしら」

「そういえばヒスおばさん、日本のアニメを敵視してましたよ。アメリカは素晴らしいアニメと漫画があるのに売れないのは、日本のせいだって!!」


 カイは憤慨していた。ヒスおばさんとは大統領を揶揄した言葉だ。カレンはやれやれとため息をつく。今のアメリカの漫画は政治色が強く、意味もなく黒人を出して、LGBTを取り入れており、昔からのファンが離れていった。日本の漫画は作者の個性が強く出ており、人種も自然に登場させているので、子供や経済に余裕がない人間には人気が高い。


「じゃあ、またね」


 カレンはカイと別れた。今日はデダラス工房に行く予定だったが、カイと一緒なので後日改めることにした。

 カレンの姿が見えなくなるとカイはつぶやいた。


「うん、また今夜ね」


 カイはにやりと笑った。そしてデダラス工房に向かった。

 踊りだす大統領は、昔ウッチャンナンチャンが出演した笑う犬の冒険のオープニングを意識しています。

 正確には谷敬氏が出演者の紹介をしていたときかな。

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― 新着の感想 ―
ふざけた雰囲気の中で、 アメリカの細かい設定が練られているのが良いですね。 コメディとシリアスを上手く融合しつつ、 状況に応じて、上手く使い分けているのが素晴らしい。
リアルなアメリカ描写ですね。
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