第3話 さすがは先生の孫娘だ
カレンはスキッド・ロウを歩いていた。スキッド・ロウはロサンゼルス市ダウンタウンの中心部にあり、正式名はセントラルシティ・イーストと呼ぶ。スキッド・ロウを含むダウンタウンは州道110号線の東側、州間高速道路10号線の北側にあたる地域だ。ダウンタウン西部は行政機関や超高層ビルが建ち並ぶビジネス街となり、ロサンゼルス現代美術館やウォルト・ディズニー・コンサートホールもこの地域にある。ダウンタウン北部には中華街があり、ダウンタウン中心部にあるユニオン駅の南西、ロサンゼルス市庁舎の南、カレンの住むリトルトーキョーの南隣にスキッド・ロウは位置するのだ。
大抵は路上生活者や麻薬中毒者が多く、貧困層やマフィアによる殺人や強盗が日常茶飯事だ。
だがここ近年スキッド・ロウが変わりつつある。ホームレスの炊き出しが毎日3度行われているのだ。調理をするのは大衆食堂の店主が多く、スープとパンを提供していた。
さらにホームレスたちが毎日掃除をしており、スキッド・ロウは見違えるほどきれいになっていた。
「あらカレン、一人で歩くなんて無謀ね!! 」
後ろから声をかけたのは金髪碧眼の美少女だ。カレンと同じ高校に通うアンジェリーナ・サハウェイことアンジーである。左右にはアンジーの取り巻きである少女が二人いた。赤毛のそばかすに、みつあみに眼鏡をかけていた。
「ここに何の用があるのかしら。まさかこの辺りにできたアニメショップじゃないでしょうね?」
アンジーが訊ねると、カレンは無言でうなづいた。それを見てアンジーはため息をついた。
「最近はホームレスたちが少なくなったとはいえ、不法移民やマフィアが多いのよ。根暗だから周囲が見えないのかしらね?」
アンジーたちはカレンをあざ笑った。ホームレスたちが近くにいるので露骨な発言は控えていた。
あの炊き出しはロサンゼルス市の主導ではない。ミスターエックスという人物が外食組合に資金提供し、炊き出しを依頼したそうだ。ホームレスだけでなく不法移民たちにもふるまっていた。配膳係はオーディン社から提供された教育AIを搭載したバイザーを被っている。不法移民の言葉がわからなくても翻訳してくれるのだ。それだけでなく言葉の聞き方や話し方も個人によって教育してくれる代物なのだ。
ここ近年ヒスパニック系の言葉が理解できるようになり、メキシコから来た不法移民たちも言葉の壁がなくなり、友好的になっていた。
さらにここには日本式の漫画喫茶が開店しており、わずかな金で日本の漫画が読めて、アニメのDVDも見られるそうだ。
カレンが向かうアニメショップも最近開店したのだ。翻訳された日本の漫画本やアニメグッズが並んでおり、スキッド・ロウではアニメ好きの若者が常連になっていた。学校でも麻薬よりアニメにはまった方がいいので推奨していた。
ホームレスたちの炊き出しには図体の大きい男たちが他のホームレスたちを整列させていた。横入りしようとすればすぐ襟首をつかまれ投げられた。
その中で滝のような茶髪の縮れ毛のホームレスがいた。灰色のコートに紙袋を持っていた。遠目だが他のホームレスと違い、気品があるように見えた。
「彼はエンペラーね。ホームレスたちの皇帝よ。周りは親衛隊に囲まれているわね。昔はマフィアのボスだって話だけど、信ぴょう性はあるわ。ボロは着てても心は錦って人だわね」
アンジーがエンペラーを見てつぶやいた。彼はイタリア系アメリカ人らしい。もっとも本人はシチリア出身で、シチリアーノと呼ばれることを好んでいた。イタリア人は自分をイタリア人と思っていないらしい。
「あと最近メキシコの不法移民に危ない女がいて、さらにテキサスのバイク乗り窃盗団も来ているそうよ。あんたが殺されるのはいいけど、学校に迷惑をかけないでよね」
そう言ってアンジーはカレンの腕を引っ張った。さっさとスキッド・ロウを抜け出そうと暗に示しているのだ。エンペラーはちらりとカレンたちを見た。その目は猛禽類のように鋭く、自堕落なホームレスとは違っていた。
☆
その夜、スキッド・ロウのアニメショップで強盗が入った。相手はメキシコから来た不法移民の少女たちだ。手にはサタデーナイトスペシャルを手にしていた。さらに巨体の女も一緒であった。名前はサンタナ。本名は不明だ。まるでグリズリーのような体で、黒い肌に赤い髪をぼさぼさに伸ばしていた。アニメショップのカウンターをダブルスレッジハンマーで破壊して、レジから金を奪って逃げた。ビルの隙間にある一角で盗んだ金を勘定していた。
少女たちは別件で盗んだ酒とパンで酒盛りをしていた。サンタナは一人で十本のワインを空けていたが、少女たちはそれを見てげらげら笑うばかりだ。
「しっかし、あの女ナニモンだろうなサンタナ!! 店襲うだけで金くれるなんてよぉ!!」
「んだなぁ! でも妹たちがこの国で暮らせるのが大きいよなぁ!!」
「一体誰なんだろうね。今バカ大統領のせいで永住権が得られないのにな」
サンタナたちはわいわいと話し合っていた。彼女らは妹分たちがアメリカの永住権を得られたことを喜んでいた。彼女たち自身は犯罪者なので金だけにとどめていた。彼女たちは孤児の集団でメキシコでは危険なので不法入国したのだ。サンタナたちは無法者だが妹分の幸せを願っていた。住む場所と生活費はすでにもらっており、仕事もありつけていた。
それにしてもサンタナたちは金と永住権を餌にアニメショップを襲ったらしい。黒幕は誰だろうか。
そこにすたっと天からひとつの影が降り立った。全身を黒いタイツに身を包み、おかっぱ頭の茶髪女だ。口元だけ覆面で隠していた。
ブラッククノイチであった。
「この世はレボリューションを求めている。お前らのような社会のクズは抹殺してやる!!」
ブラッククノイチはスペイン語でそう言った。少女たちはたちまち激高した。
「てめぇか!! 最近あたしらをいじめるイカレポンチは!!」
少女の一人が鉄パイプを手にして振り回してきた。他の少女たちもサタデーナイトスペシャルを構える。だがブラッククノイチは少女の腹に正拳突きをかました。少女の体はトラックにはねられたように飛んでいった。呆気にとられた少女たちは拳銃を構えることも忘れて呆然となった。
ブラッククノイチはその隙を逃さず、拳銃を持つ手を蹴られ、手放してしまう。さらに拳銃を蹴り上げ、他の少女が持つ拳銃にぶつけた。剣銃が暴発し、少女の手はやけどする。弾丸が壁に跳弾し、別の少女の右肩に当たった。少女たちは痛めつけられて泣き出した。
「むぅー、許さねぇ!! トモダチ傷つけるなんて簡便ならねぇ!!」
それを見たサンタナが怒っていた。オツムは弱そうだが、その分友情に厚いようだ。ウラウラと叫び、
ゴリラのように胸をたたき出す。まるで野生児だ。
サンタナはブラッククノイチめがけてタックルをかましに行く。しかしブラッククノイチは闘牛士のようにひらりとかわした。サンタナは勢い余って壁に衝突した。コンクリートの壁に頭を突っ込んだが、すぐに頭を引き抜く。けろりとしていた。
サンタナはおたけびをあげると、再びブラッククノイチに突進してきた。その動きはまるでカバのようだ。カバは象並みの巨体に時速60キロで走れるのだ。
「うごぉぉぉぉおおおおお!!」
サンタナが吠えるとブラッククノイチを掴もうとした。しかし彼女は蝶のようにひらりとかわす。
再びコンクリートの壁に顔を突っ込むが、まったく答える様子がない。かなりの耐久力だ。
周囲が騒がしくなる。恐らく近くのホームレスたちが騒ぎに気付いたのだろう。早くけりをつけなくてはならない。
サンタナの長所は尋常じゃないタフさだ。知性の高い熊のような女だ。だが同じ人間である。
ブラッククノイチはあえてサンタナの突進から逃げなかった。掴みかかる寸前にサンタナの顎に右ひざ蹴りをかました。
サンタナは白目をむき、泡を吹いて倒れた。これで勝負は終わった。ブラッククノイチは物足りなさにため息をついた。すぐに思い通りにならないこともご褒美だと解釈して満足する。
「いたぞ!! あの女だ!!」
ホームレスがブラッククノイチを見て叫んだ。そして手にした石を彼女に向かって投げた。石は彼女の額に当たった。
他にもホームレスたちが集まってきた。
「この女がいるから俺たちは安心して暮らせないんだ!!」「見ろよあの格好!! 正気じゃないぜ!!」「消えろ! この世からいなくなれ!!」「お前らこの女に石を思いっきり投げろ!! 殺すつもりで投げろ!!」
ホームレスたちは怒りに任せてブラッククノイチに石を投げつける。彼女は闇の中へ消えていった。
☆
「陛下、ブラッククノイチを見失ったそうです」
黒人の大男が携帯電話を手にしていた。黒いニット帽に黒いジャンバー、紺色のジーンズを着ていた。ホームレスの一人、大臣と呼ばれる男だ。ミニスターは他にもおり、彼はその一人だ。
近くには一斗缶に薪を入れて暖を取っている男が座っていた。ホームレスのエンペラーだ。
紅茶のカップを手にしており、上品に飲んでいた。近くにはテーブルが置かれてあり、カッサータの乗った皿が置かれていた。正確にはカッサータ・シチリアーナと呼ばれ、リコッタ・チーズに生クリームを混ぜ合わせたクリームに、ドライフルーツやナッツを刻んで混ぜ込み、冷やして固めるアイスデザートだ。わざわざシチリア人が経営する店から取り寄せている。
「そうか、もっとも彼女を捕まえるなど、不可能だがな」
「あの女は何者でしょう? なぜミスターエックスはあの女を忌み嫌っているのでしょうか?」
ミニスターが疑問を口にした。ホームレスたちがブラッククノイチを憎むのはエンペラーの指示であった。正確には炊き出しをしてくれたミスターエックスの指示である。エンペラーがスキッド・ロウに散らばるホームレスたちを指示してブラッククノイチを見つけ出したのだ。
「彼女こそミスターエックスだよ。自分を敵視させることで隠れ蓑にしているのだ」
エンペラーがスコーンをかじった後、紅茶を飲みながら答えた。ミニスターは驚愕の表情を浮かべた。
「日本の忍者は変わり身の術というものがある。自分の代わりに丸太を攻撃させるとかいろいろな。誰も彼女が我らの味方であるミスターエックスとは思わんだろう」
エンペラーの言葉にミニスターは納得した。元大学の研究員だが黒人という理由で解雇された過去があった。今はエンペラーのもとで充実した日々を過ごしていた。そんな彼からブラッククノイチの正体を聞かされて驚いた。エンペラーから紅茶を差し出され、飲んだ。苦い顔になり、どうやら彼にとって紅茶はいまいちのようだ。
「よくわかりましたね」
「わかるさ。4年前から無言で我らに施しをしたのに、ここ最近ブラッククノイチを敵視しろと弁護士経由から命令されたのだ。疑わない方がおかしいだろう」
エンペラーの言葉に、ミニスターはなるほどそうかもしれないと思った。
(まったくミヨシ先生そっくりだな。カレンは)
なんとエンペラーはブラッククノイチの正体を知っていたのだ。エンペラーはフランク・ピランデルロという名前で、マフィアのボスだった。カレンが生まれる前に、彼女の祖父、ケン・ミヨシから武術を習ったことがあったのだ。東洋の神秘を取り入れて強くなろうとしたことがあった。
だが無駄だった。敵対勢力に妻と息子を殺され一時期廃人になった。愛人との間に娘はいたがいつの間にか消えていた。
ホームレスになっても彼はボスになってしまった。つくづく人の上に立つ星に生まれたのだなと嘆いていた。
(火遊びにしては用意周到だ。さすがは先生の孫娘だな)
エンペラーは心の中でそう思った。
ホームレスたちが帰ってきた。彼らはブラッククノイチがミスターエックスの敵で、自分たちの飯の種を潰そうとしていると信じ切っていた。ミニスターたちがそう吹き込んだ。
ホームレスの数はここ最近減っている。自分たちの食事が配膳されることで農家もゆとりが出てきた。市内には住めないが郊外に働きに行き、そこで定住する者が増えてきたのだ。
エンペラーはブラッククノイチこと、カレンに感謝している。日本人が考える効率的な手法に感心していた。
エンペラーの本名はフランク・キャプラという映画監督と、ルイジ・ピランデルロという作家から取りました。どちらもシチリア出身です。ロサンゼルスでは南イタリア、シチリアから来た人が多いとのことです。




