四幕 お尋ね者
夜は本来見張りを立てるものだが、この状況では正直誰が寝首をかいてもおかしくない。結果誰も夜番の事は触れず、各々が自由に眠りについた。
俺は元々眠りが浅いので普段通りだったが、魔法使いは慣れない緊張感に疲弊が溜まっているようだ。魔王はといえば、何も考えずぐっすり寝ていた。何なら、日の出と同時に起きた俺の朝の訓練が終わった今もまだ寝ている。
「こいつこのまま置いてくか?」
「唐突に無責任にならないでください。そんな気ないくせに」
意味不明な事をのたまう魔法使いとしばし睨み合う。こいつの以前から〈勇者〉に夢を見た発言には鳥肌を立たされていたが、この状況でもそれを貫くのは逆に尊敬の念すら覚える。
どちらにせよ、こいつとは話をつけなければならない。俺の今後の平穏な生活のために。
「お前、これから三人を回収しに行くつもりか?」
「ええそうですよ。行き先はランダムとはいえ、候補が少ないのは助かりました」
食事の後すっかり警戒心を解いたのか、魔王は俺達の質問に快く答えてくれた。曰く、あの転移魔法は自分以外の対象にしか使えず、全身が視界に入っていなければならない。さらに行き先は魔王が実際に足を運んだことのある場所のみ。行き先を指定しない場合は候補地のどこかに飛ばされる。他にも地脈を流れるエネルギーとの交点がどうとか言っていたが、つまりは条件が多く飛ばせる場所は少ないらしい。
そして魔王は引きこもりなので、行ったことのある場所はかなり絞られる。帝都に戻り捜索隊を出してもらうなりして、飛ばされた仲間達を回収するつもりだと言う。
「百歩……いや万歩譲って、あなたの生存を秘匿することには納得しましょう。しかし魔王が倒されていないということは絶対の事実です。どこでどんな影響が出るか分からない以上、魔王が生存していることは明かす必要があります。」
「あぁ。まあ、妥当なところか。魔族にどんな影響が出てるかも確かめないとな」
「その通り。……なのであなたは晴れて"お尋ね者"という訳です」
「つ、捕まったら……」
「魔王だとバレたら殺されますね、間違いなく」
魔法使いの視線をゆっくり辿ると、魔王が青い顔をして手を祈るように前で組んで震えていた。魔王も神に祈るのか、などと皮肉を思い浮かべるが、後で思った。
きっとこの時、自分の世界の神に祈っていたんだろう。
「それであなたはどうするんです?」
「どうもこうも金が無え。まずは近場で依頼でもこなすさ」
「あなたそれなりに顔が売れているでしょう?」
「そんなもん適当に染め粉でも買って誤魔化せばどうとでもなる」
魔法使いが懐疑的な目を向けて来るが、こいつは道中情報収集なんかに出た俺が、勇者として堂々と聞いて回ったと思っているんだろうか。そんな事をしたら偽の情報も集まり過ぎて、本当に重要な情報が埋もれて分からなくなるに決まっているのに。
素知らぬ顔を貫いているとやがて納得したのか、得心がいったとばかりに頷く。次に、未だに目を白黒させている魔王に水を向けた。
「それで、あなたはこれからどうするんです?」
「えっ、お、おれ? おれは………」
俺も気になって魔王の方を見る。魔王は視線を彷徨わせたと思うと、意を決したようにこちらを見た。
「お、おれ、元の世界に帰りたい。方法を探すために、旅をしたほうが良い……ですよね。だからその、勇者さんに、着いて行っていいなら……」
「………はあ」
面倒事は御免だ。しかし、助けておいてここで放り出すのも気が引ける。何より、まだ魔王であるこいつが放置してもいい存在だと決まった訳じゃない。
「まあ、そうなりますよね。良いんじゃないですか?」
「他人事だと思いやがって……」
「その黒目と黒髪さえ隠せれば大丈夫でしょう」
あっさり言う魔法使いに、後ろで魔王も驚いている。こいつは過激だが、貴族にしては鷹揚で寛容的だ。
「あなたが染め粉程度でごまかせるなら、そこの彼だってできますよね?」
「俺の場合は勇者の噂が一人歩きしてるからってのも大きいんだぞ」
「なるほど……そこは私の伝達力と王家の似顔絵師の実力によるとしか言えませんね」
そう言って肩をすくめてみせる魔法使いは、何だか俺の知っている貴族のイメージと大分かけ離れて見えた。約三年旅をして初めてこの男の本質に触れた気がする。
しかし魔法使いがそう言うなら、魔王の方も案外なんとかなるかもしれない。多少面が割れている俺でさえ、直接行ったことのない巷じゃ大男だと思われてるらしいからな。黙って考え込む俺に魔法使いは話がついたと思ったんだろう。
すっかりその気になってしまったようだ。思わずついたため息にまたビクリと体を震わせる。こんな事で俺と旅なんて本気だろうか。しかしまあ、前衛の俺と後衛のこいつでは組むこと自体はそう悪くない。
その前に一つ聞いておく事はあったが。
「と、言うことらしいが、どうなんだ? 転移魔法……いや、界渡りか? そんな魔法聞いたことがあるか?」
「……あなた、やっぱり学無しじゃないでしょう。まあそうですね、転移でも界渡りでも、人ひとりを世界単位で移動、それも意図的に発生させるような話は聞いたことがありません」
魔法使いのエリートが集まる魔塔から選出された、稀代の魔法師がそう言うならそうなんだろう。(ちなみに魔法使いというのは総称で、得意分野に応じて呼び方は異なる。呪文をメインにする魔法師、本を媒体にする魔導士、魔法陣を使う魔術師、など)この時点で魔王の言う目的は達するのが相当に困難なことが予想された。
ちらりと魔王を見ると、多少青ざめていたが目は今までで一番しっかりしている。明確な目的が出来たのが大きいのだろう、諦めてはいないようだ。
「おれ、出来る限り色んな方法で探します。無かったら何なら作る覚悟で。魔王として何かするつもりもありません。おれを、あなたの旅に連れて行ってください」
勇者になった今はあまり見ることのない、背負うものも後ろ盾もない身ひとつの真っ直ぐな目。それを見ていると、魔王だからと突っぱねるのも気が引ける。
「……ま、俺は元からただの根無し草だからな。同行者が一人増えるくらいどうってこと無いだろうさ」
「……! よろしくお願いします!」
ぱあっと無邪気に輝く笑顔を向けてくるこいつから目を逸らした。さっきまで敵対していた者同士の会話とはとても思えない。
丸く収まったのを見届けた魔法使いがそれじゃあ、と言って立ち上がる。各々行き先は決まった。これ以上ここに長居する必要も無いだろう。
出立の準備(といっても野営の痕跡を消すぐらいだが)を済ませてあばら家を出ようとすると、魔法使いが扉の前でくるりと振り返った。
「それでは、ここからは別行動ですね。いざという時は魔塔の白、シュネー・ヴァイス・ハイリゲの元を訪ねてください」
「……良いのか、決まりを破って」
「既に破るどころの話ではありませんよ」
魔法使いは苦笑しているが、勇者一行はその身分、性別、過去の行いに一切縛られることの無い関わりが必要なため、お互いを役職名で呼ぶのが決まりだった。ただ実際は魔王討伐の任に抜擢される程の人物となると既に名の知られている場合が多く、今ではゆるい慣例となっていたのは確かだ。
それでも、まさかこいつからその線引きを越えてくるとは思っていなかった。驚いたが、こちらにも期待するような目を向けられる。俺は頭をポリポリとかきながら、うっすらと漂う気恥ずかしい空気に気付かない振りをして言った。
「あー、俺は、そうだな、〈根無し草のジャズ〉だ。個人依頼を出したい時はそう言えば、俺がその時顔を見せたギルドから通達が来るはずだ」
「ふふ、なんですかその枕詞は」
「普通は〈アクスベルクの〉とか〈魔鋼都市アローナの〉みたいな先代やら拠点名やらがつくんだが、俺はそのどちらも無いからな。それ自体が枕詞ってことだ」
一時拠点にした所では別の通り名で呼ばれていたが、それを言うつもりはない。肩を竦めるとまた魔法使い……ヴァイスは嬉しそうに相好を崩した。俺達は、ここでようやく仲間と言える信頼関係を築けたらしい。
「おっ、おれは! 天城勇斗です! おれもその、魔王って呼ばれると困るから……!」
急に横から聞こえた声。しかしそのもっともな内容に、俺とヴァイスは顔を見合わせ、パーティを組んで三年の冒険の中で初めて声を上げて笑った。