7 時が経てば偶然ではなかった ~ 果圓 1日目
水島果圓 33歳(1月16日)③
パラパラとパンフレットのページをめくる。いつもは映画を見る前には深くは読まないことにしている。今回に限っては、事前に当の脚本家からすっかり作品の見どころを、聞いてもいないのに教えられたのだ。まるでメイキング映像を見せられるような長文のメールで。おそらくこの劇場内で、これから映画を初めて見ようとする観客の誰よりも詳しい。三ページ目を開くと著名な映画評論家のコラムが書いてあった。
映画『ユア・タイム』を鑑賞して
~こんな時間をこれから迎える人も、過ぎ去った時間を懐かしむ人も、あたたかく包んでくれる~
一年間はこんなにもあっという間に過ぎてしまうものなのかと感じるようになったのはいつ頃からだろうか。既に人生の折り返し地点は回ってしまった年齢の私でも、大学三年生だった自分を思い出すことができた。自然と思い出していた。あの四年間は、四年前から昨日までの四年間とは、どうしたって時間の流れが同じだとは思えない。あの二十歳をまたぐ期間は、きっと多くの人が酸いも甘いも混ぜこぜになった濃密な時間であったと振りかえられるはずだ。
チラシに目立つようにスティーブ・ジョブズの言葉が引用されている。二〇〇五年六月十二日のスタンフォード大学卒業式のスピーチの一節。
「Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.」
(誰にとっても時間は無限じゃない、だから他人のためにその貴重な時間を使うなんて本当は馬鹿げている。という対訳がされている)
本作は将来の進路に思い悩む、大学三年生の男子が主人公の青春物語だ(※ここから先は、内容にも触れる箇所があるので知りたくない方は本編鑑賞後にお読みください)。名前は計汰。誰しもが通るであろう人生の青い時代。スティーブ・ジョブズは未来ある若者たちに向かって、自分のために時間を使えと言った。けれども、それが必ずしも有益な結果をもたらすとは限らないことも様々な発言から読み取れる。骨折り損のくたびれもうけ、労多くして功少なし、そんな諺があるくらい、誰でも一度ならず二度、三度と経験しているかもしれない。歳を重ねれば重ねるほどよく分かる。結果は大切だ。しかし、それらが正しい唯一のゴールであるとは言い切れない。言い切りたくはないのが、人生半分以上を生きた私の本音だ。なぜなら到達点がいつでも新しいスタートになっていくのだから。
成功するのか、失敗するのかを心配するのは一時的に片隅において、自分がその時に感じること、思うことを優先して行動するのだ、とスティーブ・ジョブズは言っているように思う。なんだ、結局は若いうちから時間を大事に使えよ、という説教くさい映画なんだろう、と思われてしまうかもしれない。耳にタコの正論だけれど、身をもってその通りだと思う。
主人公の計汰は熱烈なスティーブ・ジョブズ信奉者ではない。持っているアップル製品もiPodだけだった。しかし自然と耳に入ってくる、目に飛び込んでくるカリスマの言葉には妙に心に刺さるものがあった。彼なら自分の迷いや悩みにどんな答えを出してくれるのだろう。始まりはそんな些細な思いつきだった。
慣れない英語を駆使してアップル本社のお問い合わせフォームにメールを出してみた。返事が来るなんて期待は持っていなかった。当たり障りのない断りの返信が届いただけだった。計汰はへこたれなかった。英語の勉強のついでくらいの気持ちで、文章を練り直してはメールを送り続けた。ある日、SNSを通じてスティーブ・ジョブズがお忍び旅行で来日しているという噂を知った計汰は、千載一遇のチャンスがあるかもしれないという妄想を膨らませてしまった。旅行先は京都であろうというフェイクニュースまがいの情報を信じて、最低限のものだけカバンに詰め込んで一人暮らしのアパートを飛び出した。しかし、京都に着いたところですんなり見つかるあては何もなかった。
閑話休題。魅力的な映画には、魅力的な脇役の存在が光るのは全世界共通だろう。突然だが、京都の人力車と聞いてどのような車夫をイメージされるだろう。至るところに観光名所のある京都を軽妙なトークで引っ張ってくれる人物だろうか。近年では女性の車夫もいるのだから夫の字を使うのはよくないのだろうか。しかし、本作においては男性であったので車夫を使わせてもらう。
彼はちょっと不思議な能力を持っている。彼自身に備わっているのか、引いている人力車が特殊なのかは物語中では明らかにはされていない。どんな能力かというと彼の人力車に乗ると乗客が潜在的に、心のうちに秘めている(本人ですら漠然としていることもある)目的地に連れて行ってくれるというのだ。演じている俳優も見事にその非日常的な情景を日常に溶け込ませていた。彼らのやり取りを短縮バージョンでお届けしよう。
計汰が京都駅を出て市内の地図看板をぼんやりと眺めているところに声をかけてきたのが、車夫の源蔵(年齢は四十代半ばといったところ)だった。
「どちらまで行きたいのです?」
「えぇと、人を探しているのです」
「ご家族かご友人との待ち合わせですか?」
「いえ、そういうのではないです」
「まぁ、とりあえず乗ってくださいな。目的地にたどり着けなければ、御代はいりませんから」
物腰は柔らかいのに、強引な接客で恐怖を感じた計汰はその場を立ち去ろうとするも、気が付いたら人力車に座っていた。疑心暗鬼の計汰を乗せて、源蔵はゆっくりと走り出した。接客は強引なくせに走りは優しい。他愛ない会話が続くが、目的の場所を聞き出そうとする気配は微塵もなかった。安くて美味しい定食屋、この時期におすすめの神社仏閣、喜ばれるお土産の話など。京都の歴史を感じる町並みと、真新しいお洒落なカフェやレトロな建築群が次から次への視界を流れていく。計汰はせっかく京都までやって来たというのにまったく楽しそうな顔をしていない。
「お客さん、着きましたよ」と、源蔵が指す方向にはタクシーから降車しているスティーブ・ジョブズがいたのだった。
原稿の文字数の関係でだいぶ端折らせてもらった。エンディングはかの「ショーシャンクの空に」を彷彿とさせる引きのカメラで流れていく。駆け足で近づく計汰にそれを待ち構えるスティーブ・ジョブズ。その成り行きを見守る源蔵。エンディングの曲が流れ初めて、彼らの話す声はもう届いてこない。表情もゆっくりと遠ざかるドローンのせいで、どんどん小さくなっていく。それでも、どんなことを話しているのかは不思議なもので気にはならなかった。一人の若者が、新たな一歩を踏み出す瞬間を見られたのだから。
スティーブ・ジョブズが亡くなって十年以上が経つ。この映画は彼の功績や偉大さを前面に押し出しているわけではない。あるいは、スティーブ・ジョブズでなくても、例えば、チャップリンでも、ピカソでも、アイルトン・セナだったとしても、この物語は成立するだろう。成立はするが、やはりそれぞれにおいて印象はがらりと変わってくる。特に年代の表記はなかったが、おそらく本作のスティーブ・ジョブズは晩年の姿をイメージしていると思われる。一度はアップル社内での人間関係を含めた蟠りのせいで会社を追い出された。しかし、彼は決して自分の人生に背を向けることはなく、ピクサー社を成功に導いた一人となった。どんな苦境に立たされても、諦めたり妥協したりする人ではなかった。スティーブ・ジョブズはいつだってスティーブ・ジョブズだった。歴史に名を残す偉人はこういう人なのだろう。
本作の脚本家である矢野鼓舞志氏にとってはメジャーな長編映画のデビュー作となる。テーマやメッセージは目新しいものではないが、源蔵という不思議な登場人物を入れることによって、青春のひとときに奇跡という名のファンタジーが迷い込んでもおかしくないと思わせてくれた。偶然による出会いと別れ、一期一会。時が経てば偶然ではなかったと気付かされるのかもしれない。とても瑞々しい気持ちに浸ることができた。
(映画評論家Y)
すいません、前を失礼しますと声をかけられて、両膝を右側に寄せられるだけずらしてスペースを空けた。最近のシネコンと違って前後の座席の間隔が狭い。
昭和の映画館もレトロで良いですね、と昔言ったら青林支配人は「開館は昭和だけど、営業している期間は平成の方が長いのだから、平成の映画館だ」と妙な語気で訂正された。
「スクリーンの前のステージが劇場っぽくて好きです」と言ったら、「あれは昭和の名残りだ」と遠い目をして答えていた。
館内の照明がゆっくりと光を失い、予告編がスクリーンに流れ始めた。




