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6 声が響いてきた ~ 瑞穗 2日目

井村瑞穂 20歳(3月21日)②

 料理中にインターホンで呼び鈴が鳴れば、まずは火の元を止める。最近はIH調理器も多いから、スイッチをオフにするという方がいいかもしれない。


「ねぇ、昨日の、あんな真夜中に机に向かって何をしていたの?」


 寝起きの瑞穂が聞いたとき、果圓は朝食用にフライパンで何かを炒めていた。返事がなく、どうしたのかな、と果圓の顔を探してみると、今までに見たこともない驚いた表情をしていた。

 菜箸を持ったままの彼が近づいてきた。瑞穗の両肩をそっと押さえて、ゆっくりと椅子に座らされた。菜箸の先が瑞穗の髪の毛に触れた。


「ちょっと、火を止めたら」


 そう言われて、彼は料理中だったことを思い出したようだった。ガスコンロの火を止めて戻ってくる。


「どんな様子だった?」と果圓は真顔で聞いてきた。冗談ではないようだ。自分の姿がどんなだったかを、第三者に尋ねるシチュエーションを瑞穗は想像してみた。専門学校の先生がお酒の失敗談で前夜の記憶が飛んでしまった、という話しをしていた。そんな経験は出来ればしたくない。


「どんな様子って。声をね、かけようと思ったけど、声が出なくて。起き上がろうとも思ったけど、それもできなくて。金縛りだったのかな。ただ、目を細めて薄くぼんやりと目玉を右に左に覗けただけだったから、はっきりと果圓の姿を見たわけではないよ。なんとなく、明かりと気配の感じで平机にいるのだろうと思った」


「瑞穗に見られているのを気付いていなかった?」


「待って、待って。さっきから聞き方が変だよ。なんで果圓が疑問形なの?」


 果圓は考えごとをすると、昔から目をつむってしまう癖がある。「えっ、寝てる?」と聞いてしまうくらい長いときもあった。なんと言えばいいのか、どこから話せばいいのか困っているようだ。一分を超える手前で目が開いた。


「それについては説明するのに時間がかかる。今は申し訳ないけど話す時間がない。先に瑞穂が体験したことを聞いておきたい」


「体験と言ってもほんの少しよ、二分も経っていないのじゃないかな。声は出せなかったけど、頭の中で問いかけたわ、何をしているのかって。そしたら、頭の中で、なんだ?とか、まさかな、とか、声が響いてきた」


「会話をしたわけではないの?」


「会話はしていないわ」


「そうか」


「不思議なのはその聞こえてきた声がね、果圓の声ではあったけど、喋り方は違っていた気がする」


「そうなんだ」


 果圓は小さな食卓の上に手に持っていた菜箸をそっと置くと、平机に立てかけられているノートの一冊を抜き出した。一ページ目から指先で紙の上をなぞりながら、書かれている文字を目で追っているようだ。校正者が誤字脱字を探しているような仕草だった。

 瑞穂は途中で火を止められたフライパンが気になって、蓋を開けてみると玉ねぎとジャガイモとベーコンが炒められているところだった。ジャガイモはまだ硬そうだった。食卓に無造作に置かれた菜箸を拾い上げて、火をつけて温め直した。果圓の横顔を見ながら、アルバイトに向かう時間は大丈夫なんだろうか、と思った。


「あった、これか」、じっと果圓はノートを眺めている。


「ねぇ、いったいさっきから何をしているの?時間は平気?」


「あぁ、本当だ。急いで朝食を食べないと。炒めものの続きをしてくれてありがとう」と言って、果圓は手に持っていたノートを鞄の中へ仕舞った。瑞穂は珍しく早食いをする果圓をよそに、ゆっくりとトーストにイチゴジャムをつける。二人とも何も喋らない。


 そんな瑞穂の不信感を察知したのか、「ごめんよ、今日の夜にでもきちんと話すから」と果圓は食べ終わった食器を流し台に持って行くときに言った。瑞穗は「わかった」と返事した。玄関まで見送って、靴を履いた果圓が振り向いて言った。


「今日の晩ご飯にリクエストしたいものがあるのだけど?」


「なに?」


「芋系の料理が食べたい」


「イモ系って、ジャガイモとかサツマイモとか?」


「そう、里芋とか長いもとかも」


「いいよ。レシピは考えておくから、夕方にスーパーで食材を買おう」


「ありがとう、楽しみだ」


「デザートのスイーツで使ってもよい?」


「もちろん」


 お芋の料理、お芋のデザートとぶつぶつ言いながら、食器洗いとか諸々の家事を済ませた。いつも自分の家でしていることなのに、場所が変わるとこうも新鮮に感じるものなのか。テーブルの上に果圓が用意してくれていたスペアキーを取る。キーホルダー代わりに付いていたのは、百円ショップで買ったであろうと思うダイヤル式の錠前だった。鍵に鍵をかける、と言いたいのだろうけど、全く笑えず意味が分からなかった。



 広めの底板がついたトートバッグから、焼きたてのパンの香りがふわっと立ち上がってくる。塩みも甘みも混ざった香りだけど、食欲を刺激してくる第一段階が鼻孔をくすぐってくる。

 スマートフォンで周辺の地図を見ながら、大きめの公園までの道を歩く。食べる前にしっかりと形状をスケッチして、食べながらもマイ・チェック項目に沿って感想をその横に書く。東京へは遊びに来てはいるけど、遊んでばかりもいられない。おいしそう、いただきます、ハイ、パクパク、モグモグ、ごくん、満足、ごちそうさま、ではないのだ。

 今日は昨日よりも風が強い。北風?方角のことはよく分からない。ビル群のせいで日陰になっている歩道側では鳥肌が立つ。もう一枚上着を持ってくればよかった。

 あれっ、カツオ節の出汁の匂いだ、と鼻をくんくんさせて出所を探っていた。赤信号で止まった横断歩道の先にそば屋ののぼりが強風にはためていた。そのとき瑞穗は東京から江戸にタイムスリップした。イモ系の料理を東京に置き去りにして。

 果圓が説明するというのだから、それを待とう。それまではせっかくの東京旅行を存分に楽しもう。考えるといっても、なにをどの角度から考えていいのかすらわからないのだから。真っ白なテスラがハイスピードで横切ったものだから、江戸からTOKYOへ引き戻されてしまった。

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