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4 グッと足腰に力を込めて ~ 果圓 1日目

水島果圓 33歳(1月16日)②

 映画館のロビーに入って目に飛び込んできたのは、イーゼルに立てかけられた十枚のポスターだった。開館以来に上映してきた作品で、動員数ランキングの上位十番までが並んでいた。相変わらずランキングの好きな青林支配人の企画なのだろう。


 もぎり台の近くでは、当の本人が常連らしき人と談笑していた。閉館の知らせを耳にした人たちが、別れを告げに訪れているのだ。別れの種類はさまざま、映画館そのものかもしれないし、青林支配人かもしれない。あるいは、昔そこにいた自分の青春に対してかもしれない。一つの小さな映画館が、数十年の歴史に幕を降ろす。その小さな事実の背景には、人々の小さな歴史が土の下の根のように連なって伸びている。たとえ地面の上の木が枯れてしまったとしても、無理矢理に引っこ抜かれない限り根は残る。


 果圓の存在に気が付いた青林支配人が、にっこりと目配せしてくれた。六十五歳になったら辞めようと思うんだ、と四年ほど前に会ったときに話していた。矢野くんの大学卒業と就職祝いのときだ。今、二人とも良い意味で期待を裏切ってくれた。矢野くんはあっという間に夢を実現させた。

 青林支配人には「またまた、ご冗談を」なんて答えたと思う。なぜなら既に六十三歳の誕生日が目前で、とても引退するような心配事は外野からは確認できなかった。しかし、本人の心の内では他人からは簡単には見つけられない本音があったのかもしれない。果圓は同じ期間の自分を振りかえり、何をしたのかを一生懸命思い出そうとした。


 その宣言を通り越して六十八歳まで仕事を続けてくれた。閉館のニュースを知って電話をかけた。「ここまできたら、七十歳までできるんじゃないですか」、と果圓はまた軽い気持ちで聞いてしまった。


 電話の向こうで小さく咳払いをして、「これからは映画の世界に入っていこうと思ってね」と恥ずかしそうに言った。いったいどういう意味なのか聞いてみたけど、ぼんやりとはぐらかされた。十分すぎるほど映画の世界で生きてきた人なのに、まだ足りないというのだろうか。自分もいずれは仕事を引退する日がくる。引退の二文字が現実的になった人にしか見えない世界があるにちがいない。その歳が来るのを楽しみに待てる人間でありたい。


「水島くん、お久しぶり」


「お久しぶりです」


「元気そうだね」


「青林さんもお変わりない様子で。とてももうすぐ七十歳とは思えません」


「そんなに持ち上げたって、映画料金はタダにはならないよ」


「ちゃんと払いますよ。矢野くんの記念すべき一作目なのですから」


「今でも定期的に連絡は取っているんでしょ?」


「えぇ。今夜も夕飯を三人で食べる前に映画をしっかりと見ておくからとメールで伝えたら、なんとも長い内容の返信が来ましたよ。脚本の中のアイデアの一部には、昔の僕との会話も関係しているということで、ちょっとしたネタバレに近い文章でした。まったく映画をまだ見ていないのに、すっかり見てしまった気分です」


「彼らしいね」


 果圓は何気なくロビーを見回して、一枚のポスターに目が止まった。それは五月に公開予定になっているイタリアの映画だった。五月にはもうシアターブルーは閉まっているのに何故だろうと思っていると、その疑問が伝わってしまったようで、「あの作品は私の今年一押しのひとつだよ」と言われた。


「でも、ここではもう上映できないじゃないですか」


「私が見たい作品は、多くの人に見てもらいたい作品でもある。だから、どこの映画館で上映になろうとも日本で公開されるのであれば、しっかりと宣伝したい。ただそれだけのことだよ」


 ロビーに開場のアナウンスが響いて、待っていた人々がもぎり台へと向かっていく。


「常連客の皆さんが次から次に会いに来るから、ゆっくり休めていないのではないですか?」


「昨年の年賀状を見てから、ぽつりぽつりと常連の皆さんは来てくれているから平気だよ」


「昨年の年賀状ですか?今年じゃなくて」、果圓は昨年の図柄を思い出そうとする。ウシの体の柄が賀正になっていたような。ランキングは?


「ごめんなさい、何のランキングでしたっけ?」


 非常に情報量の多い年賀状が毎年送られてくる。謹賀新年と関係ないと思う内容が多々ある。自ら設定した映画にまつわるランキングだ。四隅のどこかにその年の干支のスタンプが申し訳程度に押されているときもあった。戌年にちなんで犬の映画五選なら納得できる。辰年には龍のように強い男、トム・クルーズが出演していたランキングだった。


 干支も正月も縁のないテーマも普通にある。見終わったあとにロールキャベツが食べたくなる映画(本編中にロールキャベツが登場しないのもある)。猫が見ても楽しんでもらえる映画(猫が二時間もじっと見ていられるとは思えない)。お金持ちになった気分になる映画(確かに気分だけだった)。


 新年早々からヘンテコだなと思いつつも、期待して待っている人は果圓だけではないらしい。青林支配人の映画への愛と情熱は伝染する。とにかく映画を通じて人生を楽しみましょう、という愛と情熱。手書きのポップだろうと、年賀状だろうと、その思いは映画好きにおおいに届いている。受け取った愛と情熱で、その人は新たな映画への扉を開くのだった。


「ほら、昨年は映画館を舞台にした作品ランキングだよ」


「あぁ、そうでした。で、どこにヒントが」


「思い出せない?私が選んだ作品はだいたいが邦画でも洋画でも、地方の小さな映画館でもう経営が行き詰まっていたり、潰れた映画館を復活させようと奮闘する映画だったりがあったでしょ」


「そう、でした、ね」、だいぶうろ覚えで返事した。


「つまり、もう映画館を続けていくのが困難だというメッセージを込めたつもりだったのだが」


「うん。えぇ、それはかなりヒントとしては、難易度が高いです」


「そうかな?」


「だって、逆にもう一花咲かせるぞ、盛り上げてやるぞ、とも取れるのではないですか」


「やっぱり、シンプルに卒業をテーマにしたランキングの方がよかったかな」


「いや、普通に閉館のお知らせを書けばよかったのです。こういう大切なことに暗喩はなしですよ」


「それじゃ、つまらないじゃない」


 ぽつりぽつりと来た常連客は、この暗号を解いたのか?

とは言え、こんな風に不真面目なことを真面目にやっていく人生も面白そうだ、なんて本人を前にしては言えないけど、良い年齢の重ね方だなと思った。

 開場のアナウンスがされたのでその場を離れようとすると、「その鞄は随分と気に入っているのだね。大学生の頃からずっと使っているでしょ」と指さされた。そうだったか、いつから使っているのか思い出せない。


「誰かからのプレゼントとか?」と聞かれて、「いや、自分で買いました。今ではたまにしか使わないし、思いのほか丈夫なんです」としか答えられなかった。愛着がないわけではないが、壊れないから使い続けているのが本音だ。色あせてしまっているし、妻からいい加減に買い換えたらと言われるけれど、お茶を濁す返答ばかりしている。


「書道具はよく新しいものを買ってくるくせに、身に付けるものは無頓着よね」と皮肉を言われる。自分のことなのに、自分よりもよく見てくれている人が果圓の周りにはほどよくいるなと思った。


 座席に座った果圓は、売店で買ったパンフレットを開いた。脚本家のところには、しっかりと矢野鼓舞志(こぶし)の名前が明記してある。変な名前だから止めた方がいいとアドバイスしたけれど、インパクトがあって覚えてもらいやすいと言って彼は譲らなかった。


「水島さんの教えの通りに自分を卑下してしまうときも、グッと足腰に力を込めて鼓舞してきたから夢が叶ったんです。気に入っているペンネームなんです」と言った。


 定員九十三名のスクリーンの六割ほどは埋まっている。彼とシアターブルーとのエピソードは本人がメディアで語っているから、この場所で本作を見ようと思う人も多いのかもしれない。夢が叶っておめでとう、と中学生の面影を残している顔写真に向かって話しかけた。

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