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捨てられるのなら  作者: 背もたれ裏紙


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35/37

35、瑞穗の5月3日(火)①

 一枚一枚のカードが空中でゆらりと繋がっている。実際に繋がってはいないが、そうとしか見えない。まるで妖怪の一反木綿みたいに優雅に舞っている。


 果圓は事故の後で人前でもタロット占いをするようになった(本人的には以前からそうしていた認識なのかもしれない)。頼まれれば渋い顔も見せずにカードを切る。しかし、今目の前で繰り広げられているシャッフルは彼のとはまったく違った。手の動きはいたって普通の気がするのに、そこから飛び出してくるカードの光景はトップアスリートの演技のようだった。


「すごい。こんな生き物が本当にいるみたい」


 どんな種類の占いにも取り立てて興味はないけれど、真心愛さんの手さばきにはじっと魅了されてしまった。まさに熟練の天ぷら職人のような、無駄のない流れるような動きだ。食べる前から美味しさが伝わるかき揚げみたいに、真心愛さんになら占ってもらいたいと思わされた。


「さっき頂いたパンやケーキと同じよ。瑞穂さんが作っているところを隣で見ていたら、私もすごいって感激するわ」と真心愛さんは言った。


 二週間前だった。いつも急なんだよこの人は、と果圓が呆れた顔で彼女たちの来訪を教えてくれた。ゴールデンウィークの旅行で北海道に遊びに来るついでに、ウチにも寄ることになった。ずっと果圓のタロット占いの先生として存在は知っていたが、会うのは初めて。心理学部に通っている大学生の大原美津さんも一緒に来てくれた。若くて長身でモデルのような女の子が果圓を訊ねてくるなんて、娘の果穂と顔を見合わせて驚いてしまった。


 美津さんと果穂は年の差以上に身長差が離れていたけど、二人は思いがけずに話しが合うようで、今は果樹園内に猫を探しに出かけていった(たぶん、果穂が一方的にまとわりついているだけだろう)。数年前から我が家の果樹園に姿を現した黒猫。名前も付けてこちらとしては飼っているつもりでも、猫にとってはどんな心境なのかは分からない。家の中には入らせていないから猫的には壁を感じているのかもしれない。わたしは人は人、猫は猫で対応しているせいなのか、あまり懐いてくれていない。


 さて、取り残された大人たち三人は簡易テントの下にテーブルと椅子を出して、何故だかわたしがタロット占いをさせられる立場になっていたのだ。


「言い出したら聞かないから、相手してあげて」と果圓が言う。


「私が強引な人みたいに言わないでよね」


「結果的にはそうじゃないですか。カードの知らせだとしても」


 どういう意味なのだろうか、ポカンとしていると彼女が補足してくれた。


「ごめんなさいね。虫の知らせってあるでしょ、あれみたいなことよ」


「あれ?」


「カード自体が占いたい相手を決めているんだって。変な話しでしょ。おれも使わせてもらったことあるけど、全然その感覚は分からなかったよ。真心愛さんにしか分からない。でも、不思議とその占ってもらった相手の人生が好転していくんだ」


「さぁ、何について占いましょうか」と真心愛さんはやる気満々で話しを進めていく。


 いろいろと納得のできない点はあったけど、果圓の身の回りに起きる不思議な出来事にはすっかり慣れてしまっていた。ただ、急に占って欲しいことはあるかと問われても簡単には思いつかない。果圓がいる手前、彼の変化のことを聞くわけにもいかない。わたし自身のことでは、仕事や経済的な問題や健康運とか心配なことはあるけど漠然とし過ぎている。


「そっかそっか、果圓くん、ちょっと席を外しなさい」と何かを察した真心愛さんが気を配ってくれた。


「なんで。深刻な問題なの?」と果圓はわたしの方に聞いてくる。わたしはそんなことはないという表情を一応つくった。


「女同士で話したいことがあるのよ。あなたも猫を探してきたら」


「猫は探そうとして見つかるものじゃありません。探すのを止めたときに出てくるんです」


「井上陽水みたいなこと言ってないで、ほらっ」


 しぶしぶと席を立って、彼は空いた食器を持って家の中へ入っていった。そして、煮干しの袋を持って出ていった。さっそく真心愛さんから遅い誕生日プレゼントで頂いたサングラスをかけていた。今年のラッキーアイテムらしい。見慣れていないせいか残念ながら似合っていない。美津さんからは東洲斎写楽のポストカードセットをプレゼントされていた(好きだと言ってませんでした?と言われていた)。果圓はハテナな顔をしていたけど、わたしは密かにテンションがあがった。


「では、改めて果圓くんの何を占いたいのかしら」


「どうして」、何も言っていないのにわたしの深層心理とかが見えるのだろうか。これがカードのお告げ?


「私も彼とはまぁまぁ付き合いは長いから。前とは違うなとは思っているわ」と勝手に話しだした。話しながらも、カードを混ぜる手は休んでいない。


 わたしは悩みや相談というほどのことではないですが、と前置きをしてから話すことにした。深刻な展開になり過ぎないように。


「事故の後で彼を知る人たちが来てくれました。見舞ってもらってからの反応や感想は様々です。変わったことを悪く言う人はほとんどいません。それは多分、こちら側との記憶や思い出の行き違いがあっても、彼が幸せそうな楽しそうな感じを保っているからだと思っています。特に初対面の人への第一印象は上がりました。果圓が良いならそれで問題ないだろうと思わざるを得ません」


 そうなのだ、問題は何もない。生活も仕事も順調だ。果圓に対して介助が必要な事態はない。タロット占いをしてもらうほどの切羽詰まった状況はない。

 わたしだけが事故の前の果圓の姿をずっと引きずってどうする。まるで駄々をこねてる子供じゃないか。やっと気持ちが収まってきたというのに。離陸した飛行機の中にいるときのように、ちゃんと着陸するまでジタバタしても仕方ない。着陸地がどこでいつになるかは分からないけど、パイロットや乗務員や他の乗客の迷惑になる行為は止めたほうがいいのだ。


「もしかしてだけど、あなただけが気付いている彼が失ったものでもあるの?」


 それは。でも。目の前の小柄な占い師が催眠術師のようにカードを魅惑的に動かす。悪化する天気に向かって機体が不規則に揺れて、気持ちが落ち着かなくなる。


「……しぶとさ」、そんなことを果圓には求めていないのに。窮して口から勝手に出た。


「しぶとさを失ったの?別の言い方だとねちっこい所かな」と真心愛さんは彼女の知っている果圓を思い浮かべているようだった。


「そう、そういう所が昔はもっとあったと思って。細かいことをいちいち指摘してきたり」


「言葉遣いとかでしょ。えっ、でも、それが無くなって寂しがっているということ?むしろ、姑みたいに小言が無くなってよかったんじゃないの?」


「あ、あぁ、ちょっと物足りないだけで、だんだん慣れてくると思います。だから、そう、彼のことじゃなくて、果穂のこれからのことを」


「娘さんね。いいよ、やってみよう」とあっさり引き受けてくれた。



 果穂が美津さんと手をつないで戻ってきた。身長差があるから美津さんは手をつないでいる左手が肩から少し下がっていて歩きにくそうだ。果圓の姿は見えない。


「パパは?」とわたしは聞いた。


「本田のおじさんと話してる」と果穂が答えた。農協の本田さんだ。


「スモモには会えた?」


「会えたよ。三人で写真も撮れたよ。ねっ」と言って果穂は美津さんに目配せをした。視線を受け取った彼女は自分のスマートフォンの画像を見せてくれた。黒猫を中央にして二人と一匹がプルーンの木の前で写っていた。果穂は猫も一人と数えたのだ。


「上手に撮れているじゃない。パパが撮ったの?」とテーブルの上のタロットカードはそのままに真心愛さんも覗き込む。


「うん」、どうしてだか事故後に果圓は写真を撮るのが上手くなっていた。


「あたし六年生になったらお姉ちゃんのところに遊びに行くんだ」と急に果穂が言い出す。


「お姉ちゃんの所と簡単に言うけど東京よ」と諭すように言った。


「コンクールで賞を取れば表彰式は東京でしょ」、彼女は唇をキュッと一文字に締めて目に力を込めた。


「それはそうだけど」


「よし、果穂ちゃん。私がうまくいくように占ってあげる。はい、座って」と真心愛さんが娘を促した。


 わたしは新しい飲み物を用意するためにキッチンへ戻ろうとすると、手伝いますと美津さんもついてきた。


「小さい子供の相手をして疲れたでしょう」


「そんなことないですよ。とても楽しかったです」と言ってくれた。「ちょっと見てもいいですか?」と食器棚兼本棚に置いてあるレシピ本を指さした。


「どうぞ、好きに読んで。美津さんは料理よくするの?」と聞いてみると、「実家暮らしなんで。たまに作ってもパスタとか炒飯とか。お菓子なんて難しそうでとてもとても」と背筋のまっすぐに伸びた姿勢で答えてくれた。弓道をしているということでなるほどと思った。

 食器洗いをしながら様子を見ていると、ページをパラパラと写真やイラストを目で追っているというよりはしっかりと作り方を読んでいるようだった。なにか心理学の参考にでもなるのかしら。



 小樽まで二人を送っていくのに果穂もついて行った。占いの結果はオレンジ色を絵の中でアクセント的に使うといいと出たようだ。わたしはウォーキングでもしてくるかと着替えて外に出ると、スモモの鳴き声がした。


「どうしたの、スモモ」と声をかけると、「にゃーお」と言いながら果樹園の中へ歩き出した。ついて来いということだろうか。急に走り出すものだから、ウォーキングの前にすっかり体が温まってしまった。スモモが一本の木のそばで立ち止まって爪とぎを始めていた。


「その木になにかあるの?」と近づいていく。根元を見ると五十円玉が落ちていた。誰かの落とし物か、カラスの仕業か。わたしは拾い上げるとスモモに「ありがとう」と言った。スモモは引き継ぎ完了とばかりに満足げにゆったりとお気に入りの寝床へ歩いて行った。

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