31 瑞穗の1月22日(土)
水島瑞穂(34歳)
不信感と言ってしまうと、果圓には申し訳ない。彼は至極ふつうにしていて、何かを偽っている様子はまるでなかった。小さめの、さらにはしわがれた声でしか話すことができないものの、彼は着実に回復に向かっていた。昨日よりも前進している。それはもちろん喜ばしき変化だった。しかし、わたしはもう一つの変化を目の当たりにしつつあった。
今日は午前と午後の面会を乙樹さんと分けた。わたしが午前中の面会で病室に入って真っ先に見たのは、ベッドの上に広げられた蜂谷さんからの書だった。先日、届けてくれたものだ。果圓はそれらを眺めながら、テーブルの上に手帳を広げて書き物をしていた。わたしに気が付くと、「オハヨウ。コレ、ドウ?」と言って見せてきた。カスカスの声で。
『 七 』
六番目の月
六番目の日
六番目の時
昇ってくる一番目の陽
六度目の正直のキスをする
「サイゴヲ、スルカ、シタカデマヨッテル」と言った。
いったい何の話しだ。隣のページにも詩のようなものが書かれてある。
『 』
いつまでもあると思うな親と金と白米
親よりも先に死んでしまう確率
病院のベッド
久しぶりに自分の手と口で食べたお粥
いつまでもあると思うな親と金と白米
いつまでもいると思うな己の心体
「アァ、ソレハマダ、フジュウブンダカラネ」
新しい点滴を持ってきた看護師さんにも、恥ずかしがる様子もなくその文章を見せていた。果樹農家であり、書道家であり、タロット占い師であり、詩人であり、フォカッチャ好きであるのが病院内での果圓のプロフィールとなっていた。詩人?フォカッチャ?
病院の人たちとの彼の会話がぎこちなく感じていたのは、わたしだけだったかもしれない。わたし以外のみんなは楽しそうに話している。違和感を抱えながらも時間が過ぎ、刑事二人が再びやって来た。事故の説明を再び一緒に聞く。荷物についての話しになったときに、果圓はフリーペーパーが無いように思うと言った。駅に置いてある地元沿線の情報紙とか、観光ガイドのフリーペーパーですか、と刑事が聞き直す。
「ハイ、ショドウヤシヲカクトキノサンコウニナルノデ」
「よく持ち帰るのですか?」
「ハイ、ツイツイアツメテシマウンデス」
「では、スマートフォンとフリーペーパーが無くなっているのですね」
病院からあまり離れるのもどうかと思ったけど、意識が戻ったことで主治医からも一安心の太鼓判をもらった。乙樹さんからも半日くらい息抜きしてきなさい、と背中を押されて函館の町をぶらぶらしている。
寒い中を歩き疲れて、昼食は目についたラーメン屋に吸い込まれるように入った。誰の目を憚ることなくスープまで飲み干すと、すっかり体も温まった。空腹を満たされたから夕飯のことなど頭に浮かばないと思っていたけど、ふとフォカッチャを探しに行ってみようと閃いた。
以前の果圓からは滅多に聞くことのなかったパン。オリーブオイルを生地に混ぜ込んだ塩気の効いたパン。どうして急にそんな嗜好になったのか、本当はわたしに隠れてよく食べていたのだろうか。
それにフリーペーパーだ。駅や店で貰えるものは全て持ち帰ってみよう。そして果圓にお土産として渡すのだ。いったい、どんな反応を見せるだろうか。気軽な街ブラがいつの間にか目的を得た。
夕飯はホテルの部屋で済ませた。買ってきたフォカッチャとレトルトのポタージュ。昼間、お金を使い過ぎてしまったし。
「フォカッチャというのを初めて食べたが、なかなか旨いものだな」と元国は言った。
「そうでしょ。わたしも久しぶりに食べたのよ。スープもいる?」
「いや、ストレートの紅茶はあるか?」
「ティーバッグのでいいなら」
「それを頂こう」
妄想が過ぎる、お酒を飲んでいるわけでもないのに。実際にはわたしはいつも金縛り状態だった。だから、こんなほのぼのとした家での朝食だか昼食だかの、新婚カップルみたいな展開はあり得ない。いいじゃない、少しくらいは勝手にやらせてくれたって。
「話しを聞く限りでは、今焦っても仕方ないようだな。退院して家に帰ってから家族らがどんな反応をするか、それを見てから判断しても遅くないだろう」
ティッシュペーパーの上に食べ散らかしたパンくずが残っている。わたしが一人で食べた、ホテルの部屋で付けっぱなしのテレビとともに。無音にしてしまうと、暖房のまわる音が気になってしまうのだ。それでも、殺風景なホテルの部屋で少しだけ一人の時間に満足している自分もいた。




