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25 これが正しい行為なのか 〜 果圓 3日目

水島果圓 33歳(1月18日)①


 カーテンの隙間から覗く外の様子は静かだった。部屋の中が乾燥しているのは、暖房をつけたまま寝たせいだろうか。


  飛

  禁

 

 あっという間の二日間が過ぎて、北海道へ帰る日の朝を迎えた。『眠りのノート』のページの上半分に大きく飛が、下半分にも同じくらいの大きさで禁が書かれてある。未だに夜明けは来ておらず、外は深夜が貼りついたままのようだ。あと二時間もすれば飛行機に乗ろうとしている人間に対して、これ以上に分かりやすい警告メッセージがあるだろうか。備え付けのデジタル時計は午前五時七分を指している。


「まだ、寝ているだろうなぁ」と言って、机の上に置きっぱなしにしていたジャスミン茶のペットボトルを掴んだ。乾いた喉をささやかに潤す。冷たい。

 何かあったらすぐに連絡してね、と出かける前に瑞穗に言われた。「二泊三日なんて、あっという間さ」と答えたけど、珍しく神妙な表情をしていた。彼女は何かを予感していたのだろうか。


 電話をかけるには早すぎる時間であったけど、午前七時に羽田空港を飛び立つ飛行機に乗るのだ、ゆっくりと悩んでいる暇はなかった。京急蒲田駅までは徒歩六分。急ぎ足で五分を切れるかどうか。午前六時十五分までには空港に着いていたい。そして予定通りになるならば、午前八時半頃には新千歳空港に到着する。


「さて、どうやって伝えよう」、昨日の八つの漢字に続いてのコレだ。啓一叔父の言葉が思い出される。


「何らかの警告が届いたなら、迷わずに従った方がいい。逆らったり、誤魔化そうとすれば私のように被害に遭ってしまうかもしれない」


 飛 禁


 時間がないと言いながらもタロットカードを取り出して、昨晩、若宮真心愛が占ってくれたカードを再び置いてみた。


 一、運命の輪(逆位置)

 二、カップの六(正位置)

 三、ソードの十(正位置)

 四、吊られた男(正位置)


 まずは、午前中を占っている「運命の輪(逆位置)」だ。良いか悪いかと問われれば、悪い変化を暗示している。ただし、その変化は時間の経過とともに落ち着いていくのがセオリーである。どれくらいの時間を必要にするかは分からないけれど。 


 飛と禁を素直に読むならば、飛行機に乗るのを禁ずる、だろう。百人に聞けば九十六人は同じように解釈するはずだ。乗るか、乗らないかの二択。シンキング・タイムは刻一刻と減っている。


 手帳を開く。書き写していた啓一叔父の作文と蜂谷先生からの書。そして、挟んでいたおみくじを広げる。


【彼女の御両親に初めて会いに行った日、手土産に胡麻とムール貝を持っていって、(わだかま)りができた六ヶ月後、改めて新米と高級洋食器を手にしてリベンジを果たす】


日御碕(ひのみさき)灯台】

米糠(こめぬか)

【月と六ペンス】

須恵器(すえき)

貝独楽(べいごま)

【いつまでもあると思うな親と金】

荏胡麻(えごま)油】

竜蟠鳳逸(りゅうばんほういつ)の士】


【願望 首尾よく叶うしかし油断すれば破れる】


 『眠りのノート』を最後のページまで捲ってみたが、見落としている形跡はなかった。そして、【東方仗助】のページを開いた。冷蔵庫の中から朝食用に買っておいたヨーグルトを取り出す。


 蓋をペリペリとめくって、スプーンで(すく)おうとしたときだった。静かな室内にスマートフォンの着信音が鳴り響いた。びっくりした。画面には瑞穗の名前が表示されている。なぜだか、何かの間違いだろうと思ってしまい、すぐに受信ボタンを押すのをためらってしまっていた。スマートフォンを耳に当てると、その先から聞こえてきたのは、娘の果穂の声だった。


「パパ、おはよう」声がかすれている。


「おはよう、果穂。こんな朝早くにどうしたの?瑞穂は隣にいるの?」


「まだ、寝てる。昨日は遅くまで仕事してたみたい。わたしの電話からだと驚くと思ったから、ママの電話を借りた」


「そうか。でも、ちょっと緊急事態で、ママに相談したいんだ。起こしてきてくれないかな」


「キンキュウジタイって、飛行機のことでしょ」


 そう言った果穂の声はもうかすれてはいなかった。クイズの問題を先回りに言い当てられた気分だった。答えではなく、問題を。すっと果圓の脳裏に母の顔が浮かんだ。この胸のザワザワ感は、もしかすると母親が小学生だった自分に感じたのと同じものなんじゃないか。果穂は何かを知っているのか、何かに気付いているのか。いったい、どうやって。


「果穂、それはどういう意味だい?」と、果圓のかすれた声が言った。


「パパ、もうすぐ飛行機に乗るでしょ。でも、乗ろうとしてるのには、乗らないでほしいの」


「ママがそう言ってたの?」と普段は気をつけている、い抜き言葉になっていた。


「ママじゃないよ。あのね、わたしね、信じてもらえないと思うけど、鏡の中のわたしがそう言ってた」


 腕時計に目をやる。あまり深く考えている余裕はない。果穂に詳細を問うには、自分の気持ちが焦りすぎている。予定の飛行機に乗るならば、三十分後にはホテルをチェックアウトして、京急蒲田駅に向かう必要がある。ヨーグルトにはプラスチック製のスプーンが刺さったままだ。


「パパ?」と、父親の沈黙に耐えかねて娘が再び声をかける。


「あぁ、ごめん。ねぇ、果穂。その、パパがもし乗ろうと思っている飛行機に乗ってしまうとどうなるの?」


「それは分からないの。教えてくれなかった。ただ、乗ってはいけないって」


「鏡に映った自分とそんな風に話ができるようになったのはいつから?」


「たぶんだけど、インフルエンザで高熱を出して、それが治ってから」、果圓は空いている左手でこめかみを掴んだ。これは血筋の問題なのか。


「鏡に自分を映すといつでもそうなるのかい?」


「いつでもじゃない。それに話しができるっていっても、口パクを読むみたいなだけ。もう一回言って、とかだったら答えてくれたりする」


「果穂、覚えている範囲でいいから、正確に何を言っていたか教えてくれるかな」


「えっと、『お父さんに伝えて。飛行機には乗ってはいけない。もし乗ったら、なんとかリョクが水の泡になる』って」


「なんとかリョク」


「ごめんなさい、そこはよく分からなかったの」


「大丈夫だよ、教えてくれてありがとう。悪いけど、やっぱりママを起こしてきてくれないかな」


「いや。ママを起こしたら全部話さなくちゃいけないでしょ」


「ママには黙っていたのだね」


「だって、こんな変なことを知ったら、ママが悲しんでしまうかもしれないし、わたしのことを嫌いになってしまうかもしれない」


「心配しないで。ママはそんな女性(ひと)じゃないよ。パパがきちんと話をするから」と言ったものの、夫と実の娘では衝撃度がきっと違う。


「わかった。起こしてくる」と数秒の後、決心した娘が廊下を小さく走っていく音が聞こえた。


「もしもし」と、寝起きの瑞穂はガラガラ声だった。でも、頭は正常に働かせようと必死に動かしているようだ。果圓は果穂からの話はひとまず伏せておいて、警告の漢字がノートに出現したことを話した。


「飛行機はキャンセルして、時間はかかるけど列車で帰ることにするよ」


「そうね、その方がいいと思う」と、瑞穂は意外にも素直に受け入れてくれた。まるで、こんな日がいつか来ると知っていたかのように。


「ひとつ、お願いがある」


「なに?」


「昔の『眠りのノート』を保管している場所は分かるよね」


「えぇ」


「あのノートを、すべて燃やしておいてくれないかな」


「えぇ。えぇ?今、なんて?」


「ノートを、すべて処分してほしい」


「啓一おじさんがそう言ってたの?」


「いや、僕の思いつきだ。手元にあるノートは、このままホテルのゴミ箱に捨てていく」


 さて、まるで暗記した台詞を読み上げるかのようであったけど、これが正しい行為なのか全く自信がない。自分の意思で始めたことではないものを、自分の意思で終わらせることができるのだろうか。様々な人々の言葉が、頭の中を駆け巡った。啓一叔父の事故と、それに対峙して暮らしている様子。事故の当日に失われたボストンバッグは、結局は見つからなかった。


「わかったわ」と、瑞穗は元気なく答えた。


「ありがとう。もう一度、果穂に変わってもらえる?」と会話を切った。自分の心理も、彼女の心理も今は深く混ぜ合わせるべきではなかった。瑞穗はすんなりと受話器を手放した。


「果穂、よく話してくれたね」


「だって、大事なことだと思ったから」


「話しの内容のことだけではなく、不思議な体験のこともね」


「うん」


「パパは両親には話せなかったから」とぼそっと言った。


「?」という表情をしている、果穂の顔が浮かんだ。


「予定よりはずいぶんと帰りが遅くなるけど、夕飯は一緒に食べよう」


「うん、待ってる」


 電話を切ると、すぐさまインターネットで飛行機の当日キャンセルを行った。食べかけのヨーグルトと菓子パンを胃袋に入れると、部屋を出る準備を始めた。行き先は羽田空港ではなく、東京駅だ。

「東か」とぽつりと言いながら、羽田空港だって正式には東京羽田空港じゃないか、と思った。


 忘れ物がないかどうかを点検して荷物を持った。最後にもう一度、昨日と今日のページを開いて、そして半円形に丸めてゴミ箱に捨てた。要らないものを捨てる場所としてのゴミ箱。しかし、今日に限っては、引退を決めた力士の断髪式、と言ったら格好良すぎか。そんなことはあるまい。ゴミ箱の中には、決心や覚悟が入ることもあるのだ。



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