17 料理の注文は迷わない ~ 果圓 2日目
水島果圓 33歳(1月17日)②
露地栽培でバジルを育てるならば、収穫は夏場になる。目の前にあるマルゲリータピザの上に乗っかっている、フレッシュバジルの葉っぱがどこからこの店にやってきたのかについては深くは考えない。一月の寒い東京でも、こうして温かいマルゲリータピザを食べられることがとても嬉しい。
切り分けたピザの一枚を啓一叔父の前に置いた。彼の目はメモ帳に落とされたままで、右手に持たれたボールペンは空中で文字か記号かを描いているようだ。空いている左手ではピザ生地の端を折りたたむように掴んで口に運んでいる。食べてはいるけれど、たぶん味のことは頭から飛んでいるに違いない。
昔から前向きさに溢れている人だった。体が不自由になっても、お構いなしだ。
「啓一叔父さんを見ていると、マティスの晩年の様子と重なるわね」と瑞穗は言っていた。その時々で、自分ができる表現をする。病気のために筆を持って絵を描くのが困難になったマティスは、切り紙絵という表現方法を見つけて、さらなる芸術の探究を進めていった。若い頃は出来たのにとか、体が元気なときには難なくこなせたのに、なんて文句を言ったりしない。失ったり諦めたこともあるけど、新しく手にしたものもある。
全体的に見れば、生活も仕事も大変になったのだろうなと同情的に見てしまう。しかし、そんなことはない、と笑いながら昇進して給料も増えたと喜んでいる。カラ元気というか、わざと自分の気持ちを上げるためにそういう振る舞いをしているのかもしれない。でも、そのお陰で周りの人間は彼と明るく接することができているのだ。
「よし、できた」と言うとメモ帳から清書されたページを破って渡してくれた。
【彼女の御両親に初めて会いに行った日、手土産に胡麻とムール貝を持っていって、蟠りができた六ヶ月後、改めて新米と高級洋食器を手にしてリベンジを果たす】
「どうよ」なんて感想を求められることもない。
「これは、何を意味しているのですか?」なんて野暮なことも聞かない。書かれたものを、黙って静かに受け入れるのが二人の間のルールなのだ。
「自分の決めたルールは、破らないようにした方がいい」と事故のあとによく言われる。自戒の念を込めての言葉である。啓一は自らに課していた決め事を破ってしまったがために、交通事故に遭ってしまったと思っている。それはあまりにも極端な考えだとは思うも、啓一のそばにあった不可思議な現象とどう向き合ってきたのか、それは当事者にしか分からない。果圓も似たような境遇にあるとはいえ、その捉え方は他の誰とも共有はできない。
マイルールを破ってしまったと思い込んでいる啓一叔父には、事故のあとに非通知番号からのモールス信号による電話はかかってこなくなった。
「何だか、用済みというか、役割を強制終了にさせられた気分だよ」とあっさりとした苦笑いで話していたことを思い出す。
とろけて伸びたチーズを落とさないように、啓一は一切れのピザに顔を近づけて食べている。忘れないうちにと、娘の果穂へのプレゼントをもらった。
「喜んでもらえるといいけど。普段からおもちゃで遊ぶよりも、絵を描くのが好きだっていうから、なかなか選ぶのが難しかったよ」
「両親は別に芸術家肌ではないのですけどね」
「そんなことはないだろう。二人ともしっかりモノづくりしているじゃないか」
「すごく広く捉えれば、ですね」
「このあとは、どうするんだ?」
「夜に人に会う約束があります。それまでは頼まれているお土産を探そうかなと」
「あぁ、そうかい。聞き方が悪かったな。今日の予定のことじゃない。今までにないことが起きて、これからどうする?」
初めてだと思うことが起きたときには、慎重になった方がいい、と啓一叔父は言いたいのだ。
【彼女の御両親に初めて会いに行った日、手土産に胡麻とムール貝を持っていって、蟠りができた六ヶ月後、改めて新米と高級洋食器を手にしてリベンジを果たす】
メモ用紙をもう一度見た。言葉としては読めるけれど、文章としては読めない。文法が間違っているとかではなく、映像化してみると、そんなことあるか、とツッコんでしまう。いつも無理やりだなと思いながらも、新進気鋭の散文詩作家の作品です、と言われれば妙に納得できそうな気にもなる。クロスワードパズルの鬼でもある、啓一叔父さんの創造力は計り知れない。
結婚の許しをもらうために瑞穂の両親へ挨拶に行ったときの手土産を思い出した。十代の頃から会ってはいたけど、改めて結婚という人生の節目で対面したときは緊張した。あれが正解だったのか今でも聞くことができない。
「必要以上に心配するなと言いたいところだけど、お前は俺と違って、元々が慎重派だからな。今さらアドバイスも必要ないだろう」と啓一は言った。
「考えすぎて、決断を先送りする悪い癖はありますけど」
「料理の注文は迷わないのにな」
「そうですね、不思議です」
「昔から、食べ物に関しては不味いという感想を言わないものな。初めて食べるどんな料理でも、好みと合わなかったとしても、ポジティブなところを探している。それと一緒だ。自分で選んだ決断を失敗だと思わなければ、決して失敗にはならない」
改札内のコーヒーショップで、ホットコーヒーのラージサイズを注文した。店に入った際は、テイクアウトにするつもりだった。しかし、レジ前に並んでいると、スマートフォンに通知が来た。蜂谷先生からメールだ。いつもより返事が早い。よほど暇なのか、仕事に行き詰まっているのか、はたまた珍しく自分のことを心配してくれているのだろうか。いずれにしても、ゆっくり拝読しようと、方針を変更して店内の席に着いた。
【お前の頼みは本当に急すぎるぞ。個展の準備で忙しいというのに。まあ、息抜きがてらに書いてやったぞ。ありがたく思え。】
そして、添付画像で八枚の書が貼りつけてあった。そこには、今朝、現われた八文字の漢字を使った言葉や文が書いてある。
日御碕灯台
米糠
月と六ペンス
須恵器
貝独楽
いつまでもあると思うな親と金
荏胡麻油
竜蟠鳳逸の士
啓一叔父とは全く異なる言葉が並ぶ。言葉遊びの延長戦。何の説明もない。読み方が分からない漢字もある。しかしながら、意味が分からなくても、先生の書体は美しく、いつまでも見ていられる。真似して書いても、同じような文字の響かせ方ができない。練習でどうにかなるものとはとても思えない。いつもなら辞書を引いて初めからデジタルの恩恵には預からないようにしているけれど、今日は時短で勘弁してもらい、サクサクと分からない言葉を検索する。
日御碕灯台は島根県にある灯台で、その高さは日本一である。行ったことはないけれど。画面に映っている誰かが撮影した画像をいくつか見ると、確かに白くて大きな灯台中の灯台と呼べる塔がそびえ立っていた。小学生のときに、家族旅行で室蘭のチキウ岬灯台へ行った。小学四年生で、初めて出現した漢字こそが台だった。台からすべてが始まった。先生もそのことを覚えていて、選んだのかもしれない。こういう具体的な地名とか固有名詞を書いてくるあたりが、蜂谷先生からのメッセージであり、謎解きを仕掛けられているように勝手に思っている。
須恵器は弥生時代とか古墳時代に多く出土されている土器。貝独楽と荏胡麻油は読み方が分からなかったけど、読み方さえ分かれば意味も分かった。
竜蟠鳳逸の士は、さすがに読み方も意味も分からなかった。非凡な才能を持っていながら未だにその才能を発揮できていないような人物、優れた素質を備えているのに影を潜めているような人物を指すようだ。能ある鷹は爪を隠す、的なことだろうか。オレがオレが、の蜂谷先生には似合わない言葉のように思う。
スマートフォンの小さい画面からでも蜂谷先生の書く文字は、一見すると強面なのに艶っぽいところもあって、口の悪さと文字の優美さは不思議に同居している。米糠のくせに、なんて言ったら米糠に失礼だけれど、特に色っぽい。果圓は祖母の漬ける、漬かりすぎのキャベツのぬか漬けが好きだ。実際に食べるとなれば、色っぽさよりも、塩っぽさだ。
『月と六ペンス』。サマセット・モームが書いた、ポール・ゴーガンをモデルにしたという小説だ。読んだことはない。あまり気をそそられる内容ではなさそうだけれど、読んでいないと言うと先生から罵詈雑言をくらいそうなので買うだけ買おう。美味しそうな米粉スイーツも探さなくてはならないから、どこか駅チカの商業ビルに寄ることにしよう。
やや冷めてしまったカップに残っているコーヒーを飲みきって店を出た。ホームを歩きながら、いつまでもあると思うな親と金、についてしみじみとそうだよなと思った。




