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12 凹凸の正体 ~ 果圓 2日目

水島果圓 33歳(1月17日)①

 カーテンを半分だけ開いて、窓から眺められる景色を見た。お世辞にも心和む絶景が目の前に広がっているわけではなかった。冬の朝日はこの部屋に届く角度に入らなかった。それでも窓枠の上辺から臨める空はきれいな青だった。


 正面に見えるオフィスビルの一階に入っている居酒屋の前では、前夜に出たゴミをまとめている男性がいた。朝の七時を回ったところで、歩道に目を向ければ駅へ向かう人と駅から向かってきた人が行き来している。JR蒲田駅と京急蒲田駅の中間にあるビジネスホテルなので、このホテルに泊っている人たちも朝食を食べたらどちらかの駅に向かうのだろうかと思った。窓から下ばかり見ていれば都会の町並みだが、仰ぎ見る青空は日本のどこからでも見られる景色だ。テレビを付けるとちょうど天気予報をやっていて、北海道は雨が降ったり止んだりの天気でしょう、と話している。


 性格が悪いと思われるかもしれないけれど、旅先が晴れていて、北海道は天気が悪いというパターンだとホッとする。農業を仕事にしている人なら、少々の雨くらいカッパを着て外で普通に作業をするだろう。もちろん、溜まっている事務作業やら機械の整備やら屋内での仕事もある。でも、まあボチボチやればいいや、と思ってしまう。だから、道内から離れた場所の天気が良くて、地元の天気が悪いというのが何よりの理想なのだ。ベストなタイミングで旅行に来られたぞ、と。


 朝食は以前から気になっていたサンドイッチ専門店に決めていた。二キロほど離れているので電車に乗って向かう。とても人気らしく事前予約制を取り入れている。昨日のうちに買っておくという手もあったけれど、たとえ行くまでが面倒であっても、出来たてを食べたい、せっかくなのだから。朝七時半からの開店に合わせて、張り切って出発した。日常の冬の時間なら、白い息を吐きながら早朝の果樹園を見回っている頃なのに。


 電気ケトルに残っていたままの水を入れ替えてスイッチを押した。ドリップコーヒーをつくる準備をする。駅前のスーパーで(こっちは)昨日のうちに買っておいた。至って普通のドリップコーヒー。喫茶店のモーニングもいいけれど、ホテルの部屋で自分の好きなように食べる朝食も悪くない。


 スマートフォンの音楽アプリを起動させて、ハンバートハンバートの曲を流す。買ってきたばかりのサンドイッチをテーブルの上に広げた。湯が沸くまでの間に、いつものルーティンで『眠りのノート』を確認しておこうと、鞄の中から無印良品の無地のリングノートを取り出した。もう歯磨きと同じくらいに自分の生活の一部になっている。


 一ページ目からパラパラとめくっていく。ほぼ毎日見ているノートだから、既存のページの中に新しい文字の書き込みがあれば、よほど字が小さくなければ気が付く。およそ全体の三分の二までは書き進められている。文章というよりは言葉の羅列のように、まばらに配置されてあるので余白の多いページもある。書かれ途中の最新のページまでは問題なし。ところが、異変は前触れもなくやってくる。風の便りも、虫の知らせも何もなく。


 次のページは昨日までは白紙のはずであった。使われている筆記具によっては、文字の裏写りまではなくても筆圧で何かが書かれてあるのは察せられる。前回まではなかった、新しい文字の出現を予感させる凹凸がある。ページをめくる音と、電気ケトルの湯が沸いたスイッチがカチッと鳴る音が重なった。


「これは、なんと」と言って思わずノートを閉じそうになったが、息を深く吸って書かれてある漢字を数える。


「一晩で八文字とは」寝起きの低い血圧が十くらいあがった気がする。背筋がピンと自然と伸びて、鳥肌がいっせいに立った。


 これまでの自己ベストは一日で三文字だった。その記録を達成したのは二十六歳のときで、瑞穗が出産のために病院に入院していたときだった。久方ぶりに自宅にて一人で過ごした夜だった。


  方

  猫

  罪


 この三文字はノートの四ページ目に登場した。ベッドに腰掛けようとしたところで、朝食を食べる前でドリップコーヒーを作ろうとしていたのを思い出した。スマートフォンから流れている唄は『恋の顛末』になっていた。


【終わったことは終わったことと 片付けて次に行けばいい~】と優しい歌声が響いた。


 好きな曲なのでリピートボタンを押した。部屋の中にコーヒーの香りが滞留してきた。果圓は一つ目のサンドイッチの写真を撮って、食べる。紙の上の凹凸の正体を確認しながら。


  親

  米

  貝

  胡

  御

  六

  器

  蟠

  

 忘れないうちに手帳に食レポ風コメントを残しておく。正直、味に集中しにくい精神状態だけれど、シンプルに感じたことを箇条書きにしていく。おぉ~うまいコメント、なんて誰も言ってくれないから、素直な言葉を書けばいい。


【~こんな時間はいつか終わる 始めた日からわかってたから】歌は続いている。


 コーヒーを飲んでから再び『眠りのノート』へ。狭い机の上はすっかりとっ散らかっている。手帳を脇に追いやった勢いで、テレビのリモコンがサポート役になって、腕時計が床に落ちた。

 改めて八文字を見る。読み方のふりがなが振られていることはないので、第一印象で頭に浮かんだままの読み方をするようにしている。書いた人物の意図が分からないので。無地のページに散在されている八つの文字。その配置やサイズは不規則すぎる。十代の頃には何かしらの法則や規則性があるのではないかと、考えを巡らしてみたこともあった。結局、今に至るまで分からない。

 

 筆箱から定規を取り出した。ページを四分割するために上辺と下辺の真ん中に横線を引く。同様に右辺と左辺には縦線を引いて、交わったところがページの中心とした。時計回りに右上の区画から見てみる。


  御(右上)

  蟠、米、六(右下)

  器、貝(左下)

  親、胡(左上)


 そして今度は左上から反時計回りに小声で丁寧に読み上げてみた。身体にしみ込ませるように。何も起こらない。一分待った。何も起こらない。どうやら世界を揺るがす呪文ではないようだ。真っ白な次ページに間隔を開けて、この八文字を書いた。余白にこの漢字を使う熟語やらを書いていくためだ。


  御……御中、御家人、御三家、御朱印、御台所(みだいどころ)


二十年以上も続けている習慣だ。


  米……精米、米国、米俵、餅米、米米CLUB


検索サイトでいきなり調べるのはなるべく避けている。


  六……六月、六時、六日、六番、六人、六本木、六花亭(ろっかてい)


果圓は深い息を吐き出した。日常的によく使う、熟語も豊富にある漢字はスラスラ出るけれど、数を競っているわけではない。


  器……鉄器、食器、炊飯器、器用、楽器


時計を見る。果穂がそろそろ小学校に到着する時間だ。


  貝……貝柱、ホタテ貝、赤貝、私は貝になりたい


最後のサンドイッチを食べ終えた。もっと味を噛みしめて食べたかった。


  親……親友、両親、親指、親しい、親知らず、親子丼、親バカ、親離れ


残り二文字はどちらかというと難読文字だ。


  胡……胡散(うさん)臭い、胡桃(くるみ)


  蟠……蟠桃(ばんとう)


どちらも桃に関わる熟語は思いついたが、それ以上は調べないと出てこなかった。


瑞穗にLINEを送る。

【おはよう。北海道の天気はどうですか?東京は曇り空の朝です。

 さて、びっくりしてください。自己ベストを更新しました。一晩で八文字です。

 御 米 六 器 貝 親 胡 蟠

 今日は啓一叔父さんに会うので、いろいろと話ししてきます。

 添付の写真は青林さんと矢野くんとのスリーショットです。

 お土産もたいへん喜んでくれました。】


そして、メール。

【蜂谷先生、おはようございます。朝早くから失礼します。

 実は今、一人で東京に来ています。出張ではなく私的な旅行です。

 今朝、『眠りのノート』に新しく八文字も漢字が書かれてありました。

 いっぺんにこんなにも多く登場したのは初めてです。

 個展の準備や本の執筆でお忙しいのは重々承知しておりますが、

 どうか先生のお力をまたお借りしたくメールした次第です。

 御 米 六 器 貝 親 胡 蟠

 まだまだ寒い日が続きますので、どうぞご自愛ください。

 お土産を持って、お礼に伺います。】


 玄関脇の壁に斜めに刺さっているカードキーを抜くと、部屋の明かりが消えた。ペラペラの簡易スリッパからスニーカーへ足を滑らせて部屋を出る。駅へ向かう人波の中へ果圓も紛れた。

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