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11 湧いてきたアイデアは簡単に捨てるべきではない ~ 果圓 1日目

水島果圓 33歳(1月16日)⑤

 焼き鳥屋の明るい店内で間近に対面すると、四年分の年輪の層を青林支配人からは感じ取れた。それはお互い様だよと、言われそうだけれど。見た目の老いとは比例しない速度で、姿勢の良さは保たれていた。背筋が伸びてシャンとしている。やはり長い間、人前に出る仕事をしてきたからかもしれない。あらためて三人で乾杯をした。


「で、映画の話しはもう尽きたのかい?」


 二人で自分の時間についての話しをしていたことを伝えた。


「自分の時間なんて定義を問われると、私みたいな高齢者にとっては人生の残り時間がすぐに思い浮かんでしまうね」


「そんな、まだ気が早いですよ」と果圓は答えた。忖度抜きに。


「いやいや、水島くん。人生の残り時間、後何年生きられるのだろうかを考えることは、決してネガティブな気持ちから言っているわけではないんだよ」


「と言いますと?」


「もちろん、できる限り健康でいることが大前提。そのうえで人生のゴールが見えてきたからこそ、もうひと踏ん張りとラストスパートの体勢に入れる。せっかくここまで来たのなら、あとは自分の好きなことのために時間を使ってやろうってね。きっとその気持ちは若い人には負けていないよ。少なくとも若い頃よりも今の方が私は前向きだ。年寄りこそ、自分の時間を真剣に考えていると思うよ」と健康第一に触れておきながら、青林支配人はグラスに半分ほど残っていたビールを一息に飲み干していた。


「それって、まさに『ショーシャンクの空に』のモーガン・フリーマンのレッドですね」と矢野青年が言う。


「そうだね。あのラストシーンを見るたびに、し忘れている約束が思い返される」


「あるんですか、約束」


「あるねえ。自分への約束よりも、誰かとの約束は叶えておきたいかな」


「なんか、とってもロマンチック」


「矢野くんの書いた『ユア・タイム』のラストシーンも良かったよ」と言われて彼は素直に大喜びしていた。「水島くんはどのシーンが心に残っている?」と急に話を振られた。果圓もラストシーンは好きだったけれど、既に全部言われてしまった感があるので別の場面を思い浮かべた。


「あの陶器の店で、計汰が両親へのプレゼントを選ぶ場面は良かったですね。お揃いのスープカップ。源蔵に勧められるままに店に入り、最初は挙動不審だったのに立ち止まって陶器を手に取る。ふと以前に帰省した際の両親との会話がよみがえる。お茶漬けを食べるのにちょうど良いサイズの器が見つからないとぼやいている。親孝行を目的に品物を選んでいないところがよかったです」


「そういう意図だったの?」と青林支配人が矢野青年に問うた。


「いや、一人暮らしの男子大学生の役柄なので、両親へのプレゼントが妥当かなと思っただけなのですが」


「物を眺めながら、誰かが欲しがっていたとか、似合いそうだとか、コレクションしていたとか。お店に入るときには考えてなかったことを、ふと思いついてしまう感じはとても真っ当だと思う。旅行の目的はスティーブ・ジョブズに会うためなのに、ああいう瞬間が挟み込まれるのは地に足が付いている主人公の一面をちゃんと描いていると思いました。って、深読みしすぎた?」


「ストーリーの解釈はもちろん自由ですけど、もっと早く教えてほしかった。宣伝で使えそう」


「地に足が付く瞬間こそが旅の醍醐味、みたいなコピーとか」と青林支配人が補足した。


「瞬間を積み重ねることで旅の時間が生まれる、なんてのもどうですか?」


「おぉ、それもいいね」


「二人とももういいです。考えすぎた持論を展開した自分が恥ずかしい。もう話題を変えますよ。あの人力車の車夫の源蔵について話しましょう。もう色んなところで聞かれているだろうけれど、彼のキャラクターはどうやって思いついたの?」


「脚本を書き始める前に京都にロケハンに行きまして、一人で。そのときに実際に人力車に乗ってみて、車夫の方と色々と話しました。全然、普通の会話ですよ。こんなお客さんは困ったな、みたいな体験ありますか、とか」


「うん」


「京都だから寺社仏閣たくさんあるじゃないですか。名前をど忘れしていても、会話の中でキーワードが見つかれば分かることもある。でも、一番困るのは目的地が定まっていなくて、京都っぽいところを色々と巡ってください、とか言われることもあるそうです」


「京都っぽいもなにも、もう京都にいるのに、ってやつだ」


「そう」


「農家にしてみたら、おいしいリンゴはどれですか的な質問だ。美味しさや味覚なんて、ものすごく個人的なことだから。甘さが一番みたいな風潮があるけど、それだけじゃないし。酸っぱいのが好きな人もいるから」と果圓は普段から思っていることを述べた。


「そうです。古都だけでない都会的な京都もちゃんと存在している。で、その車夫さんがお客さんの頭の中を覗ければ手っ取り早いのですけどね、と話したのです」


「そんな会話から人物像を膨らませたのか」


「まぁうまくハマるのは、三十個のアイデアのうち一個くらいですよ」


 今回は採用されなかったアイデアでも、いつかどこかで日の目を見るかもしれないのは映画の世界に限ったことではない。果樹園だって、焼き鳥屋だって同じだ。それに仕事ばかりのことでもあるまい。どんな立場や境遇にいる場合でも、アイデアは湧いてくるだろうし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「もう次回作の脚本を考えているの?と聞いてみたところで、簡単には教えられないか」そう問われて、少しは困った表情を見せるかと思いきや、矢野青年はあっさり答えてくれる。


「次は果圓さんの地元、北海道を舞台にした作品を構想中です」


「矢野くん、北海道に来たことはなかったよね?」


「えぇ、ないです」


「それなら、ロケ班で北海道に行かなくちゃならないね。私も久しぶりに北海道に行きたいな。これから時間はたっぷりあるから」、と青林支配人はしみじみとシジミ汁を啜りながら言った。


果圓は少し疑った。時間はたっぷりある、なんて言っているけれど、本当のところは既に次の一手に向けて動き出そうとしているのではないかと。


「何か言いたそうな顔をしているね」と果圓の視線に気付いた青林支配人が聞いてきた。そのあとに続く言葉を待っていたけれど、彼は再び黙ってしまってお猪口に熱燗を注いで、ちびちび飲んだ。矢野青年からの視線も注がれているのを感じながら、青林支配人はおかわりを注文するために店員を呼んだ。


「青林さんは映画館を引退しても、何かしらで映画の仕事は続けるのですよね?」と果圓は振ってみた。


 まだ正式に決めたことではないけど、と前置きして「文章を書く仕事の依頼が来ているんだ。エッセイのようなもの。映画評論みたいなものは書けないが、新作だけではなくて古い作品のことも取り上げていいのならやってみようかと」


 ほらね、やっぱり、と果圓と矢野青年は声を合わせた。


「シアターブルーの館内フリーペーパーも人気がありましたもんね。常連客の中には集めている人もいるくらいですから。絶対に青林さんの文章を読みたい人はまだまだたくさんいますよ」と矢野青年は大きく頷きながら話した。果圓もクリアファイルに入れて数冊を手元に残していた。


「お世辞でも、そう言ってもらえるとやる気が出るよ」と嬉しそうに答えていた。


「さっき、久しぶりの北海道って言っていましたけれど」と果圓は話しを北海道に戻した。


「もう十年ほど前になるけど、ある映画の撮影見学で配給会社に招待されて行ったのが最後。ちなみに、初めて行ったのは二十代の後半だった。二人は村上春樹の『羊をめぐる冒険』は読んだ?」


「ぼくは読みました」と矢野青年は即答した。


「わたしは友人に勧められて『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみたのですが、見事に挫折しまして。それっきり、村上春樹の本を手に取っていません」、ちなみにこの友人とは瑞穗のことである。まだ友達関係のときだったから、決して間違ってはいない。


「村上春樹はデビュー作から順番にか、短編小説から読んでみたらいいですよ。あるいはエッセイや紀行文から入るのもいいかもしれません」と親切な矢野青年がアドバイスをくれた。


「それで『羊をめぐる冒険』に北海道が出てくるのですか?」


「美瑛町が舞台とされていてね、今だって聖地のひとつだよ」


「そう言われると聞いたことある気がします」


「せっかく北海道で暮らしているなら行ってみたら。その友人を誘って」


 食事がラストオーダーになりますと声をかけられて、各人が食べたいもの飲みたいものを注文した。青林支配人はその定員に向かって、「三代目、調子はどうだい?」と話しかけていた。もう、まだ気がはやいですよ、と笑って答えていた顔からは幾度も同じやり取りをしていることが伺い知れた。

 確か果圓よりも五歳ほど年下だったと思う。三代目という言葉の響きは果圓の心にも届いた。仕事は違えど同じ境遇なのだ。いつかゆっくりと三代目同士になったら話しをしてみたいと思った。


 すっかり時間を忘れて楽しめた旅の一日目の夜だった。ビジネスホテルに戻って大浴場に入った。大浴場と看板が掲げられていても普通のビジネスホテルだ。そんなに期待していなかったのに、期待を裏切る立派な大浴場で、東京のビジネスホテルは油断ならないと感心した。

 飲んだあとは昔から甘いものが欲しくなる。帰り道のコンビニでシュークリームを買っておいた。アルコールと湯上がりの効果で、もう一つ何か買っておけばよかったと思った。家にいれば、こんな遅い時間にはとても食べることはない、特別な冬の旅の夜のご馳走だ。

 手帳から午前中に蒲田八幡神社で引いたおみくじを取り出した。集めるようになったきっかけは高校受験の合格祈願のために訪れた神社だった。二月の半ば、御守りを買い求めるために行くとおみくじも普通に売られていた。おみくじイコール初詣と思っていたから、いつでも買えるものなのだ、と百円玉を一枚入れて箱の中に手を突っ込んだ。開けてみると中吉だった。ただ、学業の欄には良いことが書いてあった。


「あの、このおみくじは持ち帰ってもいいものですか?」と巫女さんに聞いた。


「はい、別に構いません。必ず境内に結んでおかなければならない言われはありませんから」と教えてくれた。ありがとうございます、とその場を離れようとすると、「そう、あとですね、大吉とか運勢を気にされる方が多いですけど、本当は書かれてある歌をよく詠んでご自身で理解されるのをおすすめします」と付け加えてくれた。


【さくらばな のどかににおう 春の野に 蝶もきてまう そでのうえかな】


【身も進み財宝(たから)も出来て立身出世する事は 春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にてよき人の引立(ひきたて)にあずかります けれど心正しくないと災いがあります】


 果圓は最後の文言を小さい声が言った、「けれど()()()()()()()()()()()()()()、か」。そして、下段の項目に目を移す。


【願望 首尾よく叶うしかし油断すれば破れる】


 心に油断が生じるときとは、例えば何の根拠もないのに、上手くいくだろうと高をくくっている気持ちのことを言ったりする。あるいは、楽観的に構えすぎて慎重に行動しないときも当てはまる。他には自分に甘い言い訳をして、準備不足のまま勝負を挑んでしまったときもある。ただ、この油断している心の動きが、果たして心正しくない状態と合致するものだろうか。心正しくないを素直に考えれば、嘘をつくとか隠し事をするとか人を騙すとか、ではなかろうか。


「災いって、いったいどんなことだろうなあ」と言いながら、手帳におみくじを戻して固いベッドに身を委ねた。

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