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4.初めての会話

 ◇◇


 ガーネットがこの邸に来て、季節がひとつ移り変わっていた。

 紅葉が進み始めた山を眺めながら掃き掃除をしていた彼女は、ふと庭園の方へと目をやる。

 ここは冬の寒さが厳しいせいか、花の数が少ない。

 というよりも、庭園は最低限の樹木が植えられているだけで、色とりどりの花に囲まれていたガーネットにとってはずいぶん寂しいものだ。


「何か気になるのか」


 低い響きに振り向くと、ヘルバルト伯がいつの間にか立っていた。

 視線は庭を向いているが、他に誰もいないし、ガーネットに話しかけたのだろう。

 彼の方から声をかけてきたことに、少々驚きつつ。


「あ、いえ……ここのお庭は少し、寂しいなと」

「寂しい? ……ああ、観賞用の花など、ほとんど植えられていないからな」


 憮然とそう言ったきり、黙り込んでしまう。


(何しに来られたのかしら……)


 いつもならすぐに目の前からいなくなるのに、今日はなぜか立ち去ろうとしない。

 かといって嫌味のひとつをいう訳でもなく、ただ黙っていられるとどうすればよいかわからなくなる。

 沈黙に耐え切れなくなったガーネットは、思い切って問うてみた。


「ヘルバルト伯様は花がお嫌いですか」

「花? いや、そんなことはないが……ここはあまり客人が来る場所でもないからな。常駐の庭師も置いていていないし」


 彼の言葉の意味を、考えてみる。

 確かに、この一カ月で客人らしい客人といえば、国境地帯の警護に関わる軍人ばかりだった。

 フルーベル家にはしょっちゅう貴族たちが出入りしていたため、邸の中はもちろんのこと、庭園も常に美しく華やかでなければなかった。

 要するにここではその必要がないから、庭園が寂れているといいたいのだろう。


「あの、もしよろしければですが。私に庭の手入れをさせていただけませんか」

「……君に? 庭仕事は結構な重労働だと思うが」

「フルーベルの家でも庭作業は好きでやっていましたから。もう少し色どりを加えたいですし、植えてみたいお花もありますし」


 ヘルバルト伯は驚いたように目を見開いていたが、黙考ののち、うなずいた。


「いいだろう。ただし、最低限の費用の中でやってもらう。お遊びでやって途中で投げ出したとなれば――」

「もちろん、解雇されないよう精一杯努めます」


 きっと嬉しそうな声を出していたのだろう。

 冷然と整った顔に戸惑いの色が浮かんだが、ガーネットは気にならない。


「詳しいことはハンスさんに相談いたしますね。では、掃除に戻りますので」


 温暖な王都では上手く育たなかった花が、ここでなら育つかもしれない。

 そう思うと、久しぶりにわくわくする気持ちが湧き上がってくる。

 落ち葉を集め始めた彼女の背に、困惑気味の声が投げかけられた。


「……なぜだ」


 振り返ると、灰銀の瞳は相変わらず庭園を見据えている。


「なぜ君はこんな扱いを受けて、文句ひとつ言わない」

「……誰に、何の文句を言うのですか」


 ガーネットは彼に向き合い、きっぱりと言い切った。


「確かに父に対しては、言いたいことが山ほどあります。ですがヘルバルト伯様に文句を言える立場でないことくらい、心得ているつもりです」


 それを聞いた彼は、ふっと口元に微笑を浮かべる。


「”行き場のない私を置いてくれて感謝します。文句などありません”、などと言い出すかと思ったが。思ってもないことを口にするほど、愚かではないようだな」

「そうですね。感謝はしていますが、不満はあります」

「なんだ、言ってみろ。今なら聞いてやってもいい」

「話をするときは、私を見てくださいませんか」


 振り向いたヘルバルト伯の瞳が、分かりやすく揺らいだ。


「ようやく、こちらを見てくださいましたね」


 微笑みかけると、彼はすぐさま目を逸らしてしまう。小さく、苦笑し。


「私の顔など見たくないのは分かります。ですが、今後もこうやって声をかけてくださることがあるのでしたら、せめて向き合って話をしていただきたいのです」

「……善処する」


 それだけ言うと、彼は去っていった。その背を見送りつつ、内心でほっとする。


(拒絶されなかっただけ、十分だわ)


 ヘルバルト伯にどういう心境の変化があったのかはわからないが、無視されていた頃を思えば随分進歩した。

 自分のせいで他の使用人が気を遣っているのはわかっていたし、これで少しは邸の中の空気も変わればいいのだが。


「とにかく、今はこの庭園をどうするかね」


 庭づくりを一から始めるなんて、なかなかできることじゃない。

 ガーネットは何の花をどこに植えようか考えながら、掃除の続きを始めた。


 ■


「あれ? ガーネットさんもう外の掃除が済んだんですか」


 洗濯を始めたガーネットを見て、ロゼッタが驚いた顔をする。


「はい。ついでに玄関周りもやっておきました」

「えっ……本当だ」


 玄関を覗いてきたロゼッタが、感心したように言う。


「ガーネットさんすっかり仕事に慣れましたね。むしろ私より手際がいいし……」

「たまたまです。縫物や洗濯は、まだまだですし」

「まあ確かに、この間頼んだブラウスの繕いは酷かったですけどね……」


 そう言ってロゼッタは、思い出し笑いをこえらえている。

 あれは自分でも酷い出来だったので、仕方ないと思う。繕った後の方が着られない状態になったのは初めてだと、女中頭も頭を抱えていた。


「どうも縫物は苦手で……」


 しょんぼりするガーネットに、ロゼッタはあっけらかんと笑った。


「ガーネットさんはなんでもそつなくこなすから、ちょっとくらい苦手なものがあったほうが、親しみがあっていいと思いますよ」

「……そういうものですか?」

「そういうものです!」


 自信満々で言われると、そうかもしれないと思えてくる。

 ついさっきまで、申し訳なさと不甲斐なさが湧き上がってきていたのに、ロゼッタと話していると、物事がまるで違ったふうに見えるから不思議だ。


「そういえば、先ほどヘルバルト伯様と話をしました」

「えっ!? まさか……ガーネットさんを追い出すとかじゃないですよね」

「私もそういう話かと身構えましたが、どうやら違ったみたいで」

「それならよかった……。で、旦那様とどんなお話を?」


 ロゼッタのくりくりした目に、小さな好奇心がのぞく。


「ここの庭園が寂しいので、私に手入れをさせてもらえないかと」

「ガーネットさんがですか?」

「ええ。前に住んでいた家でも、庭の手入れは好きでやっていたので」

「へえ~ガーネットさんって、変わったお嬢様だったんですねえ。……それで、旦那様はなんと?」

「最低限の費用でやるなら構わないと」


 ガーネットの返答に、彼女はなぜだかほっとしたように頷いた。


「それを聞いて安心しました。ガーネットさん、ここへ来てから楽しみとか何もないんじゃないかって心配してたので」

「え? そんなことはないですよ。皆さんと仕事するのは楽しいですし」

「それならいいんですけど……。でもこれからは旦那様がお許しになったんですし、大手を振って好きなことができますね」

「はい。温暖な王都とはまた違ったお庭が作れそうで、楽しみです」


 そこでロゼッタは、「それにしても」と小首を傾げる。


「旦那様はあれほどガーネットさんを避けていたのに、どういう風の吹き回しでしょうねえ」

「やっぱり私、避けられていましたよね」

「ええそれはもう、あからさまに」


 真顔で頷く彼女に、ガーネットは苦笑する。


「皆さんにも気まずい思いをさせてすみません。これからはなるべく気を遣わせずに済むよう、ヘルバルト伯様にもお願いしましたので」

「そんな、ガーネットさんが謝らなくても……旦那様も何か事情があるんでしょうし、私たちもちょっと気まずいのはありますけど、大丈夫ですから」

 

 彼女が深く詮索してこないことを、素直にありがたいと思った。

 ヘルバルト伯との微妙な関係は、ガーネット自身、うまく言葉にできないでいる。

 最初は憎まれているだけだと思っていたのが、今朝の一件で少しだけ、彼の印象が変わった。

 かといって距離が近づいたわけでもなく、マイナスだった関係がゼロに近くなっただけのことだろうけれど。


「……あの、ヘルバルト伯様は普段、どのような方なのですか」

「そうですねえ。旦那様は口数こそ少ないですけど、私たち使用人のことも気遣ってくださる方です」


 そう言ってロゼッタはふふ、と笑った。


「私は元々孤児だったんですけど、旦那様が拾ってくださったから、生き延びられました。ここで働く使用人は、似たような境遇だった人間が多いから、みんな旦那様のことを慕っているんですよ」


 なるほど。だからこの(やしき)の使用人たちは、ガーネットに対してもフラットに接してくれるのだ。

 行き先が無かったという意味では皆、同じ立場だったから。


(フルーベル家とは随分な違いね)


 ガーネットの父親は使用人の身分を重視し、完璧を求め、些細なミスで解雇することもしょっしゅうだった。

 フルーベル家の使用人たちは、いつもどこかびくびくしていて、張り詰めた空気が漂っていたように思う。

 邸内の空気が重いのが嫌で、いつしか父が足を踏み入れない庭園で過ごすことが増えた。

 花を育てることが好きになったのも、自分にとって癒しの場だったからだ。

 

(でもそんな慈悲深い人に、私は嫌われてしまったのね)


 そう思うと、胸がつきりと傷む。

 せめて彼の中にある昏い感情を、やわらげられたら良いのだけれど。

 窓の外に広がる曇り空を見て、ガーネットは小さくため息をついた。


 ■


 午後になり、ひと通りの仕事を終えたガーネットは、ハンスの元を訪れた。

 ヘルバルト伯の気が変わらないうちに、庭園の手入れについて相談するためだ。


「リヒト様がそのようなことを……」


 ガーネットの話を聞いたハンスは驚き、何故だか少し嬉しそうだった。

 

「これから少しずつですが、庭園に花を植えていきたいと思っています」

「わかりました。入用の物があれば、私に言ってください」

「ありがとうございます。なるべく、費用がかからないようにしますので」


 それを聞いたハンスは、微苦笑をにじませる。


「あまり気負いすぎないでくださいね。ガーネットさんのペースでやってくれれば良いのですから」

「……はい」

「貴女の作った庭を、私もリヒト様も楽しみにしていますよ」


 ヘルバルト伯が楽しみにしているとは思えないが、ハンスの言葉は素直に嬉しかった。

 ガーネットは揃えて欲しいものをリストにして、後で持参すると告げる。

 仕事に戻ろうとする彼女を、ハンスが呼び止めた。


「ガーネットさん。つかぬことを伺いますが、ダンスは得意ですか?」

「得意と言うほどでもないですが……幼い頃から教え込まれていましたので、一通りは踊れます」

「そうですか。ありがとうございます」


 にこにこと送り出すハンスを不思議に思いつつ。ガーネットは深く尋ねることはせず、その場をあとにする。

 それよりも今は、これからの庭園改造計画で頭がいっぱいだった。

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