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3.辺境伯の誤算

◇◇


 ガーネット=フルーベルが部屋から出て行ったあと、ハンスが深いため息をついた。


「本当によろしいのですか。爵位剝奪になったとはいえ、侯爵令嬢だった方を使用人にするなど……リヒト様らしくもない」

「……まさか使用人を受け入れるとは思っていなかった」

「は?」


 どういう意味だという視線に、リヒトは仕方なく答える。


「あれほど分かりやすく侮辱したのだ。怒って出ていくと思うのが普通だろう」

「では端から雇うつもりはなかったと……?」

「お前もわかってるだろうがあの男(フルーベル侯爵)の娘など、本来ならば顔も合わせたくない。助けたのも成り行き上仕方なくだ」

「ならばそう言って、辞退していただけばよかったでしょう」

「今さら断れるわけないだろう」


 こちらをまっすぐに見据えていた、琥珀色の双眸を思い出す。

 あの目にはリヒトにすがろうとする色も、諦観もなかった。

 むしろ受けて立つという意志すら感じられたのだから。


 ハンスは再びため息を吐いてから、こめかみを揉む。


「王都に知られれば、何を言われるかわかりませんよ」

「黙っていればわからんだろう。どうせ奴らは呼びつけるばかりで、こちらへ足を運ぶことなどない」

「……では本当に、ガーネット嬢を使用人になさるのですね」

「言っておくが、特別扱いはするな。どうせすぐ音を上げるに決まっている」


 そうなれば、さっさと追い出せばいいだけの話だ。

 行き先が無いと縋るのであれば、領地内の修道院を紹介してやってもいい。


(というより、元々そうするつもりだったのだがな)


 フルーベル家の人間などできるだけ関わりたくないし、ここへ置いてくれと泣かれでもしたら面倒だと思い、わざとあんな物言いをしたというのに。

 まさか使用人の道を選ぶとは思わず、想定外の方向へ事態が進んでいることに、リヒトは一抹の不安を覚えるものの。

 これも一時的なものだと、自分に言い聞かせた。


 ◇◇


 使用人部屋へと移ったガーネットは、着なれないメイド服に悪戦苦闘していた。


「自分で服を着るのってこんなに難しいのね……」


 これまでは常に着替えを担う女中がいたため、苦労することもなかった。

 様子を見に来たロゼッタが、見かねて手伝おうとしてくれるのをやんわり断る。


「これくらいできなければ、使用人など務まりませんので」

「でも……前後ろ反対ですよ」

「えっ?」


 もはやどうすればよいかわからなくなっているガーネットに、ロゼッタは苦笑しながら着方を教えてくれる。


「ガーネットさん、本当にお嬢様なんですねえ。服の着方もわからないなんて」

「……すみません。迷惑をかけてしまって」


 なんだか、ものすごく恥ずかしい。こんなこともできないなんて、赤子同然だ。

 しょんぼりするガーネットに、ロゼッタは慌てたように手を振った。


「いえ! 迷惑とかじゃなくて、そんな高貴な方が使用人をするなんて……心配で」

「心配?」

「だってその綺麗な手……一度も水仕事なんてしたことがないんでしょう? 慣れないことをするのって、本当に大変ですから」


 そんなことを言われるとは思わず、ガーネットは思わず瞬きをした。

 落ちぶれた令嬢など蔑みの対象でしかないと思っていただけに、純粋に心配してくれる彼女のことが新鮮に感じる。


「そのことなら気にしないでください。出来ないことばかりで迷惑をかけると思いますが、なるべく早く仕事を覚えますので」

「……わかりました。私でよかったら、なんでも聞いてくださいね」

「はい、よろしくお願いいたします」


 使用人部屋を出て食堂の方へ向かっていると、前方からヘルバルト伯が歩いてくるのが見えた。

 ロゼッタに倣って脇へ寄り、(こうべ)を垂れる。

 目前を通り過ぎる彼は、こちらを見ようともしなかった。


(……冷たい横顔)


 あの灰銀の目が再びこちらを向くことなど、あるのだろうか。

 幼い時に見た彼は、穏やかで優しそうな目をしていたのに。


(そんなことを考えても仕方ないわ。今はとにかく、仕事を覚えないと)


 ヘルバルト伯は「使えなければクビにする」と言ったが、裏を返せば「使えればここにいても良い」と言うことだ。

 その約束を彼が守ってくれるかはわからないが、他に道はない以上、やるしかない。


「大丈夫ですよ。旦那様はああ見えて優しい方ですから」


 こちらを向いたロゼッタが微笑んだ。


「さあ、まずはお掃除から始めましょうか!」


 ガーネットはロゼッタに教えてもらいながら、慣れない掃除や洗濯などを少しずつ覚えていった。

 どれも楽な仕事ではなかったが、体を動かすのは悪くない。

 少なくとも仕事に集中している間は父親のことも、ヘルバルト伯のことも考えなくてよかった。


 他の使用人たちも最初はガーネットを遠巻きに見ていたが、どんな仕事でも文句ひとつ言わずやる彼女を見て、少しずつ声をかけてくれるようになった。


 この邸にいる人たちは(辺境伯を除けば)不思議なことに、ガーネットを邪険にすることも、敵意を見せたりすることもない。

 執事のハンスも何かと気遣ってくれるし、土地柄なのか人選がよいのか、みな概ね親切で、気の良い人ばかりだ。


 フルーベル家の人間にどんな仕打ちが待っているのかと覚悟していただけに、少々拍子抜けしたのものの。

 一カ月もすると仕事にも慣れ、貴族の面倒な社交や駆け引きがないぶん、ガーネットは居心地のよささえ感じ始めていた。


 ◇◇


「――で。ガーネット=フルーベルは、すっかりここでの生活に馴染んでいると」

「はい。聡明な方ですので仕事の覚えも早く、女中頭も誉めていましたよ」


 ハンスの報告を受け、リヒトは頭を抱えたい想いだった。

 生粋の貴族令嬢に、使用人が務まるはずなどない。

 そう高をくくって短期間のつもりで雇ったのに、蓋を開けてみれば文句ひとつ言わず、日々の仕事にいそしんでいるらしい。

 なんなら割と、楽しそうにすらしているのだとか。


「彼女は貴族であったことを鼻にかけることもなく、謙虚に過ごされています。最近では使用人達とも打ち解けているようですしね」

「……そうか」


 そう言ったきり沈黙するリヒトを見て、ハンスは小さくため息をついた。


「どうなさるのです。このまま彼女を雇い続けるおつもりですか」

「解雇の理由がない以上、本人が出ていくというまで置いておくしかないだろう」

「ならばもう少し、普通に振る舞われてはいかがですか」

「……どういう意味だ?」


 戸惑うリヒトへ、ハンスは「こいつ気づいていなかったのか」といわんばかりの表情になる。


「せめて避けることはおやめ下さい。リヒト様がガーネットさんにあのような態度を取り続けていれば、使用人たちも困惑します」

「俺は別に避けてなど」

「避けてます。それはもうあからさまに」


 ハンスに言い切られ、ぐっと言葉を飲み込む。

 実のところ、ガーネットがいない時間、場所を狙って行動しているのは事実だった。

 運悪く鉢合わせたときはなるべく顔を見ず、すぐにその場をあとにしていたのを気づかれていたとは。


「よろしいですか、リヒト様。一時の感情で軽はずみなことを仰るから、このようなことになるのです」

「……反省している」

「一度きちんと、話をされてはどうです。フルーベル家とはいえ、彼女は父親とは別の人間なのですから」


 ハンスの言うことは尤もなのだが、リヒトはどうしても首を縦に振れない。

 あれほど侮辱的な言葉を投げかけたのだ。今さらどうして言葉を交わすなどできよう。


「……まさかとは思いますが。ヘルバルト家の当主ともあろうお方が、十も年若い相手に対して、気後れしているなどと――」

「わかった。近いうちに彼女とは話をする」


 執事の疑わし気な視線から、逃げるように執務室を出る。

 大きなため息が、漏れた。


 なぜあの時、通りがかってしまったのか。

 ここぞというときの己の不運を、恨むばかりだった。

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