16.スノウドロップの恋わずらい
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ちらちらと、粉雪が舞い降りる。
冬の北の地は、何もかもが白に染まって、まるで別世界だ。
すっかり体調が回復したガーネットは、庭園の手入れを再開していた。
「まだ無理をしない方がいいんじゃないか」
花壇に積もった雪を優しく払うガーネットを、ヘルバルト伯がはらはらした表情で見守っている。
「大丈夫です。動かないでいると、体がなまってしまいますし」
「しかしだな、なにも外に出なくても……」
「私がやりたいんです」
落ち着かない様子の彼に苦笑しつつ、ガーネットは雪の中から顔を出した花を見て、瞳を輝かせた。
「ヘルバルト伯様、見てください」
彼女の示した先を見て、灰銀の瞳がやわらかく細められる。
「スノウドロップか」
「はい。やっとお約束を果たすことができました」
純白の可憐な花が、雪の中でひっそりと、力強く開いている。
まるで雫のような花姿に、ガーネットは微笑んだ。
「とっても可愛い花……。うつむきながら咲くこの姿が、愛おしいです」
「ああ。母もそのように言っていたな」
ヘルバルト伯も頷きながら、優しげに笑む。
「私、このお花をヘルバルト伯様のお庭で咲かせられて、本当に嬉しいです。ずっとずっと、楽しみにしてたから――」
その先は、彼の唇でふさがれた。
ゆっくりと顔を離したヘルバルト伯は、しどろもどろで。
「す、すまない……君がその……可愛くて」
「……なぜ謝るのですか」
こちらを向いた灰銀の瞳を、ガーネットは見つめ返した。
高鳴る鼓動は吐息に溶け、辺りの音は遠くなる。
「もしも一時の気の迷いではないと、思ってくださるのでしたら……。もう一度、してくださいませんか」
自分からねだるなんて、はしたない娘だと思われるかもしれない。
それでも、どうしようもなくこの人が愛しい。
雪に包まれたかのように、優しい静けさに満ちていた。
彼の伸ばした手が、ガーネットの頬に触れる。
熱を抱く瞳に捕らわれながら、そっと唇が重ねられた。
二度目は、触れるように。
三度目は、深く、甘く。
「ガーネット……君を愛している」
抱き寄せられた耳元で、低く甘い響きがささやかれた。
「君を使用人にした私が言えることじゃないのは分かっている。でももう、どうやったってこの想いを誤魔化せそうにない」
君の傍にいたい。
君が咲かせる花を、共に愛したい。
「どうか……私と結婚してくれないか」
「本当に……私で、よろしいのですね」
その問いかけに、ヘルバルト伯は微笑んだ。
「当たり前だ。昔も今も、私には君しかいない」
「昔も……?」
彼は以前、二人の間に縁談があったこと。
フルーベル侯爵から、一方的になかったことにされたこと。
ガーネットへの淡い想いは断ち切ったつもりだったが、再会した彼女に再び惹かれたことを告白した。
「そのようなことが……なぜ、もっと早くおっしゃってくださらなかったのです」
「私の一方的な感情だったからな。君には知らないままでいてほしかったんだ」
氷のような表情の下で、彼はどれほどの感情を閉じ込めてきたのだろう。
そう思うとガーネットは胸が締めつけられたけれど、同時に今の彼が、もっとも温かい感情を咲かせてくれたのだと気づいた。
それはまるで、雪の中に咲くスノウドロップのように。
「私も愛しています、リヒト様。末永くよろしくお願いいたします」
花のように笑んだ先で、灰銀の瞳が震えた。
彼はガーネットの髪に鼻先をうずめると、愛おしそうに呟く。
「夢みたいだ……」
「……私もです」
そう告げたとたん、ぽろりと涙が零れた。
リンゼンでの嘘が真実なら、どれほどいいだろうと思った。
願ってはいけないことだと、何度自分を戒めただろう。
再び口づけをかわす二人の足元で、スノウドロップが祝福するように煌めいていた。
■
――半年後。
ガーネットはリヒトと共に、王都を訪れていた。
国王陛下へ結婚の挨拶と、彼女の父親に面会するためだ。
「それにしても、よく父への面会が許されましたね。まだ裁判も済んでいないのに」
「陛下が恩情をくださった。まあ、祝い事だしな」
権力のためには手段を選ばなかった父だが、娘の結婚を聞いたときは涙していた。
リヒトにもかつての非礼を詫び、娘を頼むと頭を下げた姿を見て、ガーネットは救われる思いだった。
父の中に、娘への愛があったのだと気づくことができたから。
「今思えば、オスカーとの婚約が破棄されたのも、彼の人間性に父が気づいたからなのかもしれません」
「ああ。きっとそうだ」
穏やかに頷くリヒトの腕に、ガーネットは寄り添った。
その髪には、銀の髪飾りが輝いている。
「落ち着いたら、母にも会いに行きたいと思います」
もし母が望むなら、ヘルバルト家に来てもらえばいい。
リヒトにはそう言われている。
「あっもしよろしければ、これから花屋に寄ってもよろしいですか?」
「そう言うだろうと思っていた」
彼は笑いながら「一緒に行こう」と応じる。
「邸の皆さまにもお土産を買わなくては。ロゼッタさんには王都で流行りの紅茶を頼まれているんです。ハンスさんは万年筆がいいんじゃないかしら……」
「まったく、君は使用人たちの好みを知りすぎだ」
苦笑するリヒトに、ガーネットは胸を張った。
「当然です、私はヘルバルト家の使用人だったのですから」
あの時、彼が通りがからなければ。
出ていくことを、選んでいたら。
運命は時に残酷で、信じられないくらいの奇跡を運んでくれる。
「帰ったら式の準備が待っていますね」
「ハンスたちが張り切っているからな。だいぶ大がかりなものになりそうだ」
当初リヒトとガーネットは、あまり派手な式にしないつもりでいた。
しかし邸に仕える者たち以上に、領民たちがようやく迎えた領主の春を盛大に祝いたいと熱望してくれたのだ。
「リンゼンの皆さんに会うのが、今から楽しみです」
あの時の約束を果たすことができて、心から嬉しく思う。
リヒトを慕う街の人々を、あの子どもたちの笑顔を曇らせずにに済んだのだから。
そっと抱き寄せる彼の胸に、ガーネットは頬を寄せた。
互いの衣装の胸元には、意匠化したスノウドロップの刺繍が誇らしげに煌めいている。
「ガーネット、私の元に来てくれてありがとう」
「リヒト様、私を見つけてくださってありがとうございます」
甘い口づけとはにかむ笑みに、私たちは何度だって恋に落ちる。
めぐる季節を旅するように、ふたりで愛そう。
雪の中にこぼれ咲く雫の花を見つけ、新しい春を夢見よう。
それはきっと、この上なく幸福な日々だから。
終
最後までお読みくださりありがとうございました。
感想、評価等いただけますと嬉しいです。
また次の作品でお会いできるのを、楽しみにしております。




