15.屈しなかった想い
(今の音は何……?)
ガーネットは恐る恐る窓の外を窺うが、外は薄暗く状況がよくわからない。
直後、ドアの外の廊下をばたばたと走る音が聞こえ、怒号が飛びかった。
「おい何があった!」
「近くで火の手が上がっているぞ!」
何か事件でもあったのだろうか。
間もなく扉の鍵が開く音がして、オスカーが現れた。
「クソ……面倒なことになったな」
彼は吐き捨てるように呟くと、いきなりガーネットの身体を抱え上げる。
「や……やめてください!」
反射的に抵抗するも構わず、オスカーは彼女を抱えたまま部屋を出た。
今なら逃げられるかもしれない。
咄嗟にそう気づいたガーネットは、力任せに手足を動かす。
「暴れるなよ。死にたいのか?」
苛立った声に、必死に抵抗を続け。
「貴方の好きにされるくらいなら、死を選びます。降ろして!」
そう叫んだと同時、オスカーはぴたりと足を止めた。
次の瞬間、ガーネットは床に叩きつけられ声にならない悲鳴を上げる。
痛みで動けない彼女に馬乗りになったオスカーは、冷ややかに言い放った。
「だったら今ここで、死なせてやるよ」
首を絞められ、息ができなくなる。
見降ろすオスカーの目は、屈辱と憐憫で淀みきっていた。
「本当に君は忌々しい女だな。素直に僕のものになるといえば、手をかけずに済んだものを」
抵抗しようとするが、力が入らない。
意識が薄れゆくなか、ガーネットはただまっすぐにオスカーを見据えていた。
たとえここで死んだとしても、心は屈しなかった。
そのことを、この男の魂に刻みつけるために。
(申し訳ありません、ヘルバルト伯様)
約束を、果たせなくて。
せめて最期にひと目だけでも、貴方に会いたかった。
雪の中に咲く花が、白くなる視界に浮んで消えてゆく。
その瞳がゆっくりと閉じられようとした刹那、自分の名を呼ぶ彼の声がした気がした――
「ガーネット!!」
鈍い衝撃音と共に、オスカーの身体が吹き飛んだ。
急に息が吸えるようになり、ガーネットは激しく咳き込む。
朦朧とする意識のなか、うっすらと目を開けた先で、愛しい人が自分の名を呼び続けていた。
「ガーネット、しっかりしろ!」
ああ。
これは夢だろうか。
そっと手を伸ばし、彼の頬に触れる。こちらを見つめる灰銀の瞳へ、せいいっぱい微笑んだ。
「……会いたかった、です」
告げた瞬間、強く抱きしめられた。
ヘルバルト伯の鼓動と体温が伝わり、涙が溢れてくる。
(夢じゃなかった)
彼が、来てくれた。
名を呼んでくれた。
そう安堵したとたん、ガーネットはふっと力が抜けていくのを感じる。
「……ガーネット? おい目を覚ませ!」
慌てふためくヘルバルト伯の腕の中で、彼女は再び意識を失ったのだった。
■
ガーネットが目覚めたときは、大騒ぎだった。
泣きじゃくるロゼッタと、報告を受けすっ飛んできたヘルバルト伯、ずっと待機していたらしい医師や場を収めようとするハンスが入り乱れ、わけがわからない。
女中頭の一喝でひとまず男性陣は部屋の外へ出され、医師の診察を終えたガーネットは、ロゼッタに事の顛末を教えてもらっていた。
「あの朝、ガーネットさんがいないって旦那様が言い出したときは、またいつものが始まった……くらいにみんな思ってたんです」
”いつもの”とはどういうことなのか。
そこのところ聞きたい気もしたが、ガーネットはぐっと我慢し、先を促す。
「でもその後すぐに、本当にいなくなったのが分かって。血相変えた旦那様が門番を問い詰めていたところに、庭師の方が現れたんです」
「なるほど……それで、偽者がいたことが分かったんですね」
本物が現れたことで、偽の庭師がガーネットを連れ去ったことが分かったのだろう。
あのときは雪が降っていて視界も悪かった。間近で会った彼女すら気づかなかったのだから、門番が間違えたのも無理はない。
「旦那様は血相を変えて出ていくし、ハンスさんは騎馬隊を招集するし、何が起きているのか、私たちも怖くて……」
「ごめんなさい、私のせいで皆に怖い思いをさせてしまって……」
ロゼッタは「何言ってるんですか!」と首を振る。
「一番怖い思いしたのはガーネットさんです! 旦那様が連れ帰ってくれた時は、みんな本当にほっとしたんですから……」
その時を思い出したのか、彼女はまた目に涙を浮かべている。
迷惑をかけたにもかかわらず、ここにいる人たちはこんなにも自分を心配してくれたのだ。
その温かさに、目頭が熱くなる。
「ヘルバルト伯さまはよく、私の居場所がわかりましたね」
オスカーの隠れ家は(おそらく良からぬことに使用していたのだろう)、身近な者ですら知らなかったはずなのに。
「その辺は私もよく知らないんで、旦那様に直接聞いてみてください。たぶんそろそろいらっしゃると思いますよ」
その言葉に、どきりとする。
目を覚ましてから彼とゆっくり話をしていないせいか、改めて顔を合わせるとなると急に緊張してくる。
(あのとき私、彼に……)
強く抱きしめられたときの感触が、今さらになって蘇ってくる。
直後、扉がノックされ、ヘルバルト伯が姿を見せた。
「少し話をしたいんだが、具合はどうだ?」
「は、はい。大丈夫です」
入れ替わりでロゼッタが出ていき、あっという間に二人きりになってしまう。
心の準備が間に合わずどぎまぎしていると、ガーネットの顔を覗き込んだ彼は、眉を寄せた。
「顔が赤いようだが、まだ熱があるんじゃないか」
「いえ……本当に、大丈夫ですから」
気恥ずかしさで、顔が熱い。
そんなガーネットを体調が悪いと気遣ったのか、ヘルバルト伯は少し離れたところに腰を落ち着けた。
「……ヘルバルト伯様、この度はご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「謝罪なんてやめてくれ。君をあんな目に遭わせてしまったのは、私の落ち度だ」
「そんな、ヘルバルト伯様に落ち度などあるはずがありません。そもそもこれは、私とオスカーの問題なのですから」
「違うんだ」
そう言い切った顔には、苦渋の色が浮かんでいる。
「私がもっと早く決断していれば、こんなことにはならなかった」
「ヘルバルト伯様……?」
話によると、ガーネットが偽の修道院送りになった件について、彼は以前から調査していたそうだ。
捕らえた盗賊と取引をして情報を引き出し、黒幕がオスカーだということをつきとめたらしい。
「ただ奴を追い詰めるには、確たる証拠がなかった。下手に追及して逃げられでもしたらやっかいだと慎重に事を進めていたんだが……」
彼は大きく息を吐くと、かぶりを振った。
「こんなことになるのなら、無理をしてでも奴を断罪しておくべきだった。あの時、もう少し着くのが遅かったらと思うと、今でもどうにかなってしまいそうだ……」
ガーネットが攫われたと判明してから、ヘルバルト伯は盗賊から聞き出していたオスカーの隠れ家に急行したそうだ。
外で騒ぎを起こしかく乱し、邸の中に飛び込んだ彼が目にしたのは、ガーネットに馬乗りになったオスカーの姿だった。
「オスカーはあの後、どうなったのですか」
「捕らえて王都へ送った。今回の件で、二度と表舞台に出てくることはないだろう」
万が一、ぬるい処分をするようなら、北の国境安全は保障できない。
国王を脅してまで念押ししたという話は、後日ハンスから聞くことになる。
膝の上で拳を握ったヘルバルト伯は、深く頭を下げた。
「本当にすまなかった。詫びて済むことじゃないのはわかっているが……」
ガーネットはベッドから降りると、ヘルバルト伯の傍に歩み寄る。
握り締めた拳にそっと手を添えると、彼ははじかれたように顔を上げた。
「謝らないでください。ヘルバルト伯様が迎えにきてくださっただけで、私には十分すぎるのですから」
「ガーネット……もう二度と、君をあんな目に遭わせない。どこにも行かせない。他の誰にも渡したくないんだ」
「はい。これからもお傍にいさせてください」
そう微笑んでみせると、彼は小さく頬を震わせた。
握り返してくれた手は大きくて、とても温かかった。




