12.思い出の花
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到着したのは、領内でもっとも人が集まる街・リンゼンだった。
足を踏み入れたガーネットは、賑やかな街並みに瞳を輝かせる。
「王都にははるかに及ばないが、なかなかのものだろう?」
「はい。とても活気があって、素敵です」
路地にはさまざまな店が立ち並び、行き交う人たちの表情も生き生きしている。
見たことのない食べ物や雑貨に、ついつい目移りしてしまう。
「やあ、領主さまじゃないですか。いつもご苦労様です」
「領主さま! よろしければ採れたての果物をどうぞ」
「領主さま、うちの焼きたてパンもいかがですか?」
次々に声をかけてくる町の人に、ヘルバルト伯も慣れた調子で応じている。
王都では貴族に気安く声をかけてくる平民は少ないので、ガーネットは驚いた。
土地が変われば、随分風習も変わるものだ。
「あっ! りょうしゅさまだー!」
「りょうしゅさまー!」
今度は子供に囲まれ、人だかりが大きくなっていく。
なるべく目立たないようにと思っていたのに、これでは逆効果になってしまう。
どうしようと焦るガーネットに、ヘルバルト伯は目配せした。
(心配するな)
そう言われていると気づき、落ち着きを取り戻す。
彼にならって、令嬢らしくにこやかに対応していると、くいくい、とドレスを子供が引っ張った。
「ねえりょうしゅさま、このひとはだあれ?」
「りょうしゅさまのこいびと?」
その質問に、全員が耳をそば立てている。
慌てて否定しようとするガーネットを、ヘルバルト伯はやんわり遮り。
「ああ、そうだ。正式に結婚が決まったら皆にも報告するから、今日のところはそっとしておいてくれるとありがたい」
それを聞いた人々は、「これは失礼を~!」と蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
以後は誰も近寄ってこなくなり、代わりに期待に満ちた視線があちらこちらから飛んでくるようになった。
「よろしいんですか、あんな嘘を言ってしまって」
「あそこで否定するほうが、怪しまれるだろう」
貴族男性が妻や婚約者でない女性と連れ立って歩くなど、普通はあり得ない。
彼のいうことは尤もなのだが、妙に落ち着かない。
「なるべく目立たないようにと思っていましたが……無理でしたね」
むしろこれ以上ないほど、注目されてしまっている。
ヘルバルト伯はおかしそうに。
「これで君に手を出してくる輩もいないだろう」
ほんの少し細められた灰銀の瞳に、ガーネットの鼓動が跳ねた。
迷惑をかけて申し訳ない気持ちなのに、彼の表情が「大丈夫だ」と告げている。
それだけで心強く、温かい気持ちに包まれていく。
「ヘルバルト伯様は領民の皆さまに慕われているんですね」
「私はこの通り無愛想だからな。皆が気を遣って話しかけてくれるのだろう」
そう言いながらも、彼の横顔はどことなく嬉しそうで。
「この先に多くの店が並んでいる。せっかくの機会だ、いろいろ見て回るといい」
その言葉に、ガーネットは素直に頷いてみせた。
■
ヘルバルト伯は宣言通り、ガーネットが行きたい場所すべてを案内し、つき合ってくれた。
「リンゼンは銀山や銅山で栄えた街だからな。王都にはないものも多い」
彼の言う通り、銅で作られた食器や日用品、銀細工の多彩さは目を見張るほどだ。
彼と一緒に道具を選んだり、美しい工芸品に心躍らせたりするのが、新鮮で、むず痒くて、温かい。
(ここに来た頃は、こんな日が来るなんて思いもよらなかったのに)
ガーネットを見ようともしなかった冷たい横顔には、拒絶の色しか浮かんでいなかった。
今隣にある横顔は穏やかで、こちらに向けられる灰銀の瞳に、昏い光は感じられない。
「この先に花屋があるが見ていくか?」
「はい、ぜひ」
軒先に並んだ花たちを見て、ガーネットは目を輝かせた。
「王都では見たことのない種類がたくさんあります」
ふと、ある植木鉢に目が留まる。
「これ……スノウドロップ?」
鉢の中央には、細長い葉が何枚も生えていた。花が咲いていないのは、まだ咲く時期ではないからだろう。
傍で見ていたヘルバルト伯が、いやと首を振る。
「これはおそらくスノウフレークだ。スノウドロップは草丈がこんなに高くはならない」
予想外の返答に、ガーネットは思わず彼のことをまじまじと見つめた。
「どうした?」
「あ、いえ。お詳しいので驚いてしまって。以前、花には疎いと仰っていましたから」
それを聞いた辺境伯はしまったと思ったのか、ばつが悪そうな表情になる。
「……実は、スノウドロップは亡くなった母が好きでな。子どもの頃、私もスノウフレークと間違えそうになったとき、母が教えてくれたんだ」
ヘルバルト伯の母親は随分前に亡くなったと聞いている。
彼によると花が好きな人で、特に雪の中に咲くスノウドロップを好んでいたのだそうだ。
「母が生きていた頃は、あの庭園も毎年冬になると、たくさんのスノウドロップが咲いていたんだが」
「そうだったんですね……」
そんな特別な花が、あのドレスにはあしらわれていたのだ。
そう思うと、嬉しさがこみあげてくる。
「私、咲かせたいです、スノウドロップ」
あの庭で、もう一度。
ヘルバルト伯はほんの少し驚いた表情を見せてから、微かに笑んだ。
「ああ。楽しみにしている」
帰り際、馬車に乗り込もうとする二人を住民たちが呼び止めた。
「領主さま、ご婚約おめでとうございます!」
差し出された大きな花束に、ガーネットは目を瞬く。
そういえば、自分たちは婚約者の振りをしているのだった。街歩きがあまりに楽しくて、すっかり失念していた。
「まだ、正式に婚約はしていないんだがな」
ヘルバル伯は苦笑しつつも、「ありがたくいただいておこう」と受け取る。
住民たちはガーネットに向けて、深々と頭をさげた。
「領主さまのこと、よろしくお願いいたします」
花束を受け取った彼女は、ふわりと微笑んだ。
「はい。リヒト様を、ずっとお傍でお支えいたします」
人々の間で歓声が上がる。
中には涙ぐむ人までいて、ガーネットはちくりと胸が痛んだ。
できることなら、彼の傍にいたい――
その気持ちに嘘はないけれど、ここに集まった人達が抱く期待に応えられるわけじゃない。
いずれがっかりさせると分かっているだけに、申し訳ない思いでいっぱいだった。
帰りの馬車の中でも、喜ぶリンゼンの人々が頭から離れなかった。
そんなガーネットの様子に気づいたのだろう、ヘルバルト伯が気づかわしげに問いかけてくる。
「どうした。顔色が優れないようだが」
「あ、いえ……街の方々に嘘をついてしまったのが申し訳なくて」
「ああ……ずいぶん期待させてしまったからな」
大きな花束を見て、彼は苦笑をにじませる。
「皆さまあんなに喜んでくださったのに、がっかりさせてしまうかと思うと」
「こればかりは仕方がない。君に非はないのだから、気にするな」
いっそのこと、嘘が真実になってしまえばいいのに。
ついそんなことを口にしようとして、飲み込んだ。
一体自分は何を考えているのだと、頬が熱くなる。
「ガーネット」
「あっはい!」
「今日は楽しかったか?」
その問いに、心から頷いてみせた。
「こんなに楽しい時間を過ごしたのは初めてです」
彼は「大げさだな」と笑ってから。
上着のポケットから取り出したものを、差し出した。
「工芸品の店で見かけたんだが。君に似合うと思って」
「えっ……私にですか?」
受け取って中を開けてみると、銀細工の髪飾りだった。
美しく繊細な装飾は、鉱山を抱くこの地らしい。
「……このような素敵な物、いただいてもよろしいのですか」
「先日の詫びだと思って受け取ってくれ」
「ありがとうございます。……とても、嬉しいです」
照れくさそうに言いやる彼を見ていると、得も言われぬ感情が湧き上がってくる。
嬉しくて、切なくて。
甘くて、ほろ苦い。
(私、彼に惹かれているんだわ)
もうどうしようもなく、苦しいほどに。
認めてしまえば、強く願わずにはいられなかった。
たとえ使用人でもいい。
どうかこの時間が、ずっと続きますように――と。




