11.きっかけ
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それからしばらくの間、ガーネットと言葉を交わすことはなかった。
先日の件を謝ろうと思うのだが、どう声をかけてよいのかわからない。彼女の方も気まずいのか、リヒトのことを避けているようにも思う。
打開策が見つからず悶々としていたある日、リヒトの元をハンスに連れられたガーネットが訪れた。
「……街に出かけたい?」
問い返した先で、ガーネットは頷いた。
「庭作業に必要な道具を買いに行きたいので、許可をいただけますでしょうか」
「それならこれまで通り、ハンスに揃えさせればいいだろう」
「いえ……できれば使い勝手など、自分の目で確かめておきたいのです。安いものでもありませんから」
彼女の言い分は理解できた。
道具は使う人間にとって最適なものでなければ、性能を十分に活かせない。
とはいえガーネットの置かれた立場を思えば、今出歩かせるのは避けたいのが本音だ。
「ご心配でしたら、誰か付き添うのがよろしいでしょう」
ハンスの提案に、いつの間にか顔を出していたロゼッタが手を挙げた。
「私が一緒に行きます!」
「だめだ。若い女二人など、むしろ不安しかない」
「そ、そうですね……」
しゅんとなるロゼッタに続いて、ハンスが「では私が」と言い出す。
即座にガーネットが首を振った。
「ハンスさんはこの邸を取りまとめる方なのですから。留守になさるのはよくありません」
「それはそうですが……ではどうします?」
皆から視線を向けられ、リヒトは冷汗をにじませた。
なんだろう……ハンスとロゼッタから感じる、圧力という名の期待。
「……わかった。私が行こう」
「えっ!? とんでもありません。私ひとりで大丈夫ですから」
慌てたように否定するガーネットの隣で、ロゼッタがあっさりと頷く。
「確かに旦那様なら適任ですよね。今この邸にいる人のなかで、間違いなく一番強いですし」
「そうですね……氷の辺境伯を襲う愚か者など、そうそういないでしょうし」
「で……ですがヘルバルト伯様が留守にされたら、皆さまが困るのでは」
「全然」
「いえまったく」
驚きのあまり固まっているガーネットに、ハンスが苦笑する。
「リヒト様はご在宅でないことが多いもので、私どもは慣れております。ここ最近はたまたま、邸にいらっしゃることが増えておりますが」
「あ……そうだったのですね……」
「そういえば近々、街の視察にも行かれるのでしたよね?」
突然話を振られ、リヒトは面食らう。心なしかハンスの目が怖い。
「ああ、まあ……。そのつもりだが」
「ではそのご予定を前倒しして、ガーネットさんに街をご案内されたらいかがでしょう。リヒト様ご自身で付き添われた方が、ご心配も少ないでしょうし」
再び全員の視線が、集中する。
とても逃げられる雰囲気ではない。
「……そうだな。今後のことを思えば、街のことも知っておいた方が良いだろう」
「そんな、本当によろしいのですか」
「確かに私が視察ついでに付き添うのが、合理的だ。ただし、条件がある」
リヒトはハンスとロゼッタを交互に見やった。
「さすがに私が使用人姿の彼女を連れ歩けば目立ってしまう。なんとかしてくれ」
領主が異性の使用人を連れ歩くことはまずない。ハンスも心得たりと言った様子で頷く。
「幸いここは王都から離れておりますし、住民はガーネットさんを見てもどこの誰か分からないでしょう。あえてご令嬢として振る舞っていただくのがよろしいかと」
「支度はロゼッタがお手伝いしますね。めいっぱい可愛くしておきますので!」
「いや待て、目立たないよう」
言い終わるより先に、ロゼッタはガーネットを連れて出て行ってしまった。
こめかみを揉むリヒトに、ハンスはにっこりと。
「成り行きに任せるのも、たまにはよいと思いますよ」
なんだかもう、なるようになれという気持になってきたリヒトだった。
◇◇
「ふわーやっぱりガーネットさんは綺麗……!」
髪のセットをしてくれたロゼッタが、頬を紅潮させている。
手先が器用な彼女は、ガーネットの長い髪を編み込み、綺麗にまとめてくれた。
「すみません。買い物に行くだけなのに、大事になってしまって……」
「いいんですよ。たまにはこういう事でもあった方が、楽しいですし」
外出着用のドレスに袖を通したのは随分久しぶりで、なんだか面はゆい。
支度を終えたガーネットを上から下まで眺めてから、ロゼッタは「うん、誰が見ても可愛いです!」と満足げに頷いた。
「舞踏会のときのドレス姿は格別でしたけどね。あの時は、旦那様も見とれて固まってましたし」
その言葉に、どきりとする。
あの日は自分のことで精いっぱいで、ヘルバルト伯がどんな表情をしていたかまで、気にする余裕がなかった。
「普段見ない姿だから、驚かれただけですよ」
平静を装って返すと、ロゼッタはそんなことはありませんと言い張る。
「旦那様って普段、女性にまったく興味を示さないんですよ。ご結婚なさらないのも、たぶんそのせいで」
「でも……縁談のひとつやふたつ、あったでしょう?」
あれだけの見た目なのだ、言い寄る女性には事欠かなかっただろう。
しかしロゼッタは肩を落とす。
「縁談はすべて断ってきたそうです。ハンスさんも、このままではお世継ぎも望めないって嘆いてて……」
「そうだったのですか……それは皆さまも心配ですね」
「はい。だからガーネットさんが来てくれて、みんな喜んでいるんですよ」
……うん?
話の繋がりがまるで見えない。
聞き間違いかと思いロゼッタを見つめたが、彼女はもう一度繰り返した。
「ガーネットさんが来てくれて、私たちほっとしたんです。やっと旦那さまにも春が来たって」
「ま……待ってください。私は使用人として置いてもらっているんですよ」
そもそも、彼は女性に興味がないという話ではなかったのか。
「いいえ。ロゼッタは確信しています。お二人は、運命の赤い糸で結ばれているんです!」
ロゼッタの鼻息が荒い。
話がおかしな方向へ行き始め、ガーネットは慌てて話を切り替えた。
「もう行かないと。ずいぶんお待たせしていますし」
「あっそうですね! 急ぎましょう」
身支度を整えたガーネットを、ヘルバルト伯はじっと見つめていた。
いたたまれなくなった彼女は、おずおずと問いかける。
「あの……何かおかしいところがありますか」
「え? ああ……すまない。普段とは違う姿に、つい見入ってしまった」
平然と答えられ、頬が熱くなる。こんなことを言う人だっただろうか。
「お二人ともいってらっしゃいませ!」
皆に送り出され、ガーネットは馬車に乗り込んだ。
なぜこんなことになってしまったんだろう、と目の前に座る彼をちらりと見やると、目が合った。
「あ、あの。今日はよろしくお願いいたします」
「ああ。たまには息抜きするといい」
そう言った後、ヘルバルト伯は一度沈黙してから、突然頭を下げた。
「この前はすまなかった」
思わず彼を見つめると、整った顔に苦渋の色がにじんでいる。
「君にあんなことをして……どう詫びたらよいかずっと考えていた」
「い、いえ。もう済んだことですし。私は気にしておりませんから」
「何か私にできることはないか?」
「そんな……今日つき合ってくださるだけで、十分です」
本心からそう告げると、彼はそうかと頷いて。
「なら今日は十分に楽しんでくれ。君の行きたいところに、行こう」
優しげな声に、胸がきゅっと締め付けられる。
先ほどのロゼッタの言葉を思い出し、慌ててかぶりを振る。
(余計なことを考えてはだめ)
今の自分は令嬢ではなく、ただの使用人なのだ。期待するなんて、どうかしている。
それなのに胸の奥は騒がしくなるばかりで、ガーネットは途方に暮れるのだった。




