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1.没落の日

「フルーベル侯爵令嬢。君が選べる道は二つ。使用人としてこの屋敷に仕えるか、今すぐここから出ていくか」


 頬ひとつ動かさずに言い放った男を、ガーネット=フルーベルは無感動に見つめていた。

 侯爵令嬢である彼女に対して「使用人になれ」という言葉が、どれほど侮辱になるかは子供にだってわかる。それをなんの躊躇もなく、淡々と、投げかけられるほど――


(私は憎まれているということね)


 こちらを冷ややかに見やる、リヒト=ヘルバルト(氷の辺境伯)に。

 父がやったことを思えば、それも仕方がないことなのだろう……ガーネットは、内心でひとりごちた。


 きっとこれは、彼なりの復讐なのだ。


 ※※


 二週間前。

 父であるフルーベル侯爵が捕らえられたと聞いたとき、ガーネットは(やしき)の庭園で、日課にしている花の手入れをしていた。


「お嬢様、そんなことは俺がやりますから。汚れちまいますよ」


 困り果てた庭師のお決まりの台詞に、ガーネットもお決まりの台詞を返した。

 豊かな薔薇色の髪が、庭園の緑によく映えている。


「いいのよ、私が好きでやっているんだから。それより見て、この花珍しいでしょう」

「はあ……確かにこの辺じゃ見ない形ですね」


 手のひらほどもある、純白の花。放射状に広がった八枚の花弁を見て、庭師はうんうんと頷く。


「東方から来たんですって。『カザグルマ』という名前だそうよ」

「カザグルマ?」

風車(ふうしゃ)という意味よ」

「へえ……お嬢さんはほんと、変わった花に目が無いですねえ」


 庭師の感心とも呆れともとれる返事を聞き流しつつ、ガーネットは開花した花を慈しむように眺める。

 こうしているときだけは、貴族令嬢に課された煩わしいあれそれも、心の奥底にこびりついた得体の知れない不安も、忘れられる気がするから。

 もう少し開花が進んだら、いくつか切り花にして部屋に飾ろうか……そんなことを考えていたときだった。


「ガーネットお嬢様!」


 呼びかける声に振り向くと、血相を変えた女中が駆けてくるのが見えた。

 いつになく取り乱した姿は、うららかな陽気に包まれた花園でひと際異質で。

 何か良くないことが起きている――瞬時にそう察したガーネットに、女中は青ざめた顔で告げた。


「旦那様が、捕らえられたそうです!」


 そこからは、あっという間だった。

 国王の側近として富と名声をほしいままにしていたフルーベル侯爵は、汚職と収賄、政敵を虚偽の容疑で追放した罪で捕らえられ、一夜にしてすべてを失った。

 父は無実を訴えているようだが、実際のところそれはポーズでしかないのだろう。

 侯爵に恨みを持つ者は多く、次々と糾弾する者が現れても、救済の手を差し伸べる者はいなかったそうだ。


 ガーネットは父がしていたことを知っていたわけではない。

 けれど社交場に出るたびに、昏い何かが自分に向けられるようになっているとは薄々感じていた。

 絶大なる権力を持つフルーベル家をもてはやす数多の視線の中で、それは確実に増えていった。

 結局、彼女が抱いていた得も知れぬ不安が、現実のものとなったのだ。


 ■■


 フルーベル家がすべてを失った日から、二週間が経った。

 誰もいない庭園に、ガーネットはひとり佇んでいる。

 今はどれだけ庭仕事をしても、咎められることもない。父が捕らえられ、爵位剥奪と王都追放が決まったことで、この屋敷に仕えていた者たちはいなくなった。


「あなたたちとも、もうすぐお別れね」


 ガーネットは名残惜しそうに、咲き誇るカザグルマを眺めた。

 この美しい庭も、花木たちも……明日には、人の手に渡る。

 残されたフルーベル家の者たちは、身を寄せられる所を探してはいるものの、落ちぶれた貴族と関りを持ちたがる者はおらず、みな散り散りになりながら生きる術を探していた。


 フルーベル侯爵の一人娘であるガーネットに対しても、受け入れると手を挙げた者はいない。

 父が健在だった頃はあれほど舞い込み続けていた縁談話も、すべてなくなってしまった。


(どうせ王国内のどこにいたって、針のむしろだもの)


 権力争いに利用されるくらいなら、世間から離れた方が心静かに暮らせるだろう。

 そう考えた彼女は修道院行きを希望し、もうすぐこの邸を出ていくことになっている。


「ガーネット……迎えが来ました」


 振り向いた先で、母が疲れた表情で佇んでいた。

 あれほど美しく輝いていた彼女も、今はすっかりやつれきってしまっている。


「お母さま、今行きます」

「……ガーネット。どうか……元気で」


 涙をこぼす母に、ガーネットは精一杯、微笑んでみせた。


「私は大丈夫。お母さまこそ、お体には気をつけて」


 馬車に乗り込み、遠く離れた地へ向かう。もう二度と戻ることはない家を、振り返ることはしなかった。

 目的地である修道院へは、丸一日かかると聞いている。王都に近い修道院では受け入れ先がなかったため、辺境地で見つけたのだと仲介役が話していた。


 王都を出て、見慣れない農村地を抜け、しばらく経った頃だった。

 突然争うような声が聞こえ、馬車が止まる。 


「おいどういうつもりだ! こんなこと聞いてな……ぐあっ!」


 何事かと客車から顔をのぞかせようとして、ガーネットは悲鳴をあげた。

 数人の男たちが、馬車を取り囲んでいたからだ。


「おい、あの女か」

「へえこいつは、上玉だ」


 こちらを見てにやつく男たちの視線に、全身が硬直する。

 身なりや話しぶりからして、恐らく彼らは盗賊だろう。このまま攫われれば、どんな酷い目に遭わされるか分からない。

 震えるガーネットを見てさらに下卑た笑みを深めた男が、客車の扉に手をかけたときだった。


 風切り音が聞こえ、男の手が切り落とされた。

 悲鳴を上げる男と、他の男たちの後ろを、瞬く間に騎馬隊が取り囲む。


「――命が惜しくば、大人しく縄に付け」


 低く、凍るような声に、うずくまっていたガーネットは恐る恐る目を上げた。

 視線先で、灰銀の髪をした男が、盗賊たちを見降ろしている。

 同じ色をした瞳が、こちらへ向けられ――ほんの僅か、見開かれた。


「お怪我はありませんか」


 ふいに声をかけられ、ガーネットは我に返る。

 血に染まった剣を収めていた若い男が、こちらを心配そうに窺っている。灰銀の男とは違い、穏やかそうな雰囲気だ。


「あ……はい。危ないところを、ありがとうございました」

「よかったです。この辺りは盗賊が多いですからね。護衛をつけずに往来するのは危険ですよ」


 そうだったのか、とため息を漏らす。

 王都の外に出たことがないガーネットには、まったく思い至らないことだったし、仲介役の男も何も言っていなかったのに。


「王都から来られたのでしょう? 迎えを呼びましょうか。御者はあのようなことになってしまいましたし……」


 気の毒そうな彼の表情で、御者が絶命していることを知る。

 ガーネットは途方に暮れた。迎えといっても、自分には当てがない。

 明日には人手に渡るあの家には、今さら戻れないのだから。


「お気遣いありがとうございます。私はこの先にあるマウル修道院に向かう予定なのですが、どうすれば良いか……」

「マウル修道院?」


 相手は怪訝な表情でこちらを見つめている。


「あの……?」

「おかしいですね……マウル修道院などという修道院はないはずですが」

「え? そんなはずは……」

「何かの間違いではないですか」


 ガーネットは絶句した。混乱する頭を必死に働かせ、これまでの出来事を反芻し、唐突に理解した。


 自分は、騙されたのだ。


 修道院への仲介役を買って出てくれた男の顔が、脳裏にちらつく。

 今思えばなかなか見つからなかった受け入れ先を、あっさり紹介してきたことを疑うべきだった。


 もし盗賊に襲われていなければ、一体どこへ連れて行かれる予定だったのか。

 考えるだけで、身の毛がよだつ。

 そして自分はこれから、どこへ行けばいいのか。


 体の奥が、絶望で冷たくなっていくのを感じた。

 息がうまく、できない。


「大丈夫ですか。顔色が悪いですが……」

「……大丈夫、です」


 なんとかそう答えたとき、こちらを見つめる灰銀の男と目が合った。


(この人、どこかで会ったことが……?) 


 ぐらりと、視界が揺らぐ。

 いけないと思った次の瞬間――彼女の意識は途切れた。


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