【光の降る廃墟4(朝永将太)】
あんな事件があっても、俺たち一般人には、普通に翌日がやってくる。
何も変わらない。当たり前の毎日。
平々凡々。それが一番いいと大人は言うけれど、若者にとっては、多少は刺激が欲しくなることもある。無い物ねだりというやつだろうか。
別に俺だって、現状に満足していないわけではない。いつも通りを楽しんでいる。
俺の朝は、アリスと一緒に登校することから始まる。好きな女と朝から会えるなんて、俺は本当に運がいい男だと思う。
しかも、すぐに二度寝をして遅刻しそうになる俺のために、アリスは毎朝、電話でモーニングコールをしてくれる。耳元でアニメの声優さんみたいな、死ぬほど可愛いアリスの声で起こしてもらえる俺は、世界一の幸せものだ。宇宙一かもしれない。
だから絶対にこの場所は、誰にも譲らない。特にあいつには、死んでもくれてやるつもりはない。
「昨日の晩飯、リクエスト聞いてくれて、ありがとな」
「べつに……材料残ってたし」
「次はオムライスがい……」
アリスに睨まれた。さすがにしつこくしすぎるのは、得策ではないようだ。
「いや、なんでもないっす」
しばらく沈黙が続いた。何度も言い出そうとして、やめてを繰り返す。
アリスが怪訝そうな顔で、俺を見ている。
「なんなの。言いたいことがあるなら、言えば」
そこまで言われたら、言わないわけにはいかない。
「あんまりあいつと……仲良くすんなよ」
「あいつって、誰」
「先生だよ。あの美術の」
「なんでそんなこと、将太に命令されなきゃいけないの」
「命令じゃないけど、なんか嫌な感じがするんだよ、あいつ……男の勘っていうか」
自分でも何を言ってんだろうって思う。みっともない。本当にみっともない。
アリスにカバンで殴られた。
「いってぇーな。なんだよもう」
「昔、私のこと振ったくせに」
「振ったって、幼稚園の頃だろ」
あの頃の俺はまだ、恋だのなんだの、何も知らなかった。今もバカだが、昔の俺はもっとバカだった。なんでせっかくの告白を断ってんだよ、過去の俺様は。バカかよ。大バカ野郎だよ。
「んな昔のことはノーカンだ、ノーカン」
アリスはムッとした顔で、俺を睨んでいる。
「一年の女子と付き合ってる人に、あれこれ言われたくないんですけど」
「あ、あれはだな、断ったけど一回だけデートしてくれって、言われたから仕方なくで。付き合ったとかじゃねーし。別に何もなかったんだから関係ないだろ」
「なら、将太にだって関係ないでしょ」
プイッとそっぽを向かれて、教室に入っていったアリスは、その日ずっと、俺と目を合わせようともしなかった。
休み時間に、ゴシップ系に目がないクラスメイトからメールが回ってきた。
『似てない? あの事件の現場に』
そのメッセージに添えられていたリンク先のブログには、『おまえが言うな』事件の映像で使われていた、あの廃墟にそっくりの写真が、いくつも掲載されていた。
そのブログは、前にアリスがお気に入りのブログだと、こっそり教えてくれたところだった。俺にはその写真の良さなんてものは、さっぱりよくわからなかったが、アリスにとっては、神様みたいにすごいレベルの腕前らしい。
しかも、あの美術の先生が撮る写真にも似ていると、前にちらっと言っていたことがある。それから俺にとってあいつは、ただの美術教師から、警戒すべき敵に昇格した。
だから、そのブログを見た瞬間、これであいつを倒すことができるかも、なんて思ってしまったのかもしれない。乗りかかった船、じゃないな。あれだ、渡りに船ってやつだ。
『そのブログ書いてるの、もしかしたら、うちの美術教師じゃね?』
俺はメッセージを返信した。そのあとは、あっという間だった。
伝言ゲームのように、学校中の生徒に広まっていく。学年、男女問わず、ポップコーンが熱で弾けるみたいに、あちこちに情報が飛び跳ねていった。
あるタイミングで、事件をまとめたネットの掲示板に、情報が書き込まれた。学校から外の世界へ。さらに情報が広がっていく。もう誰にも止められなかった。
次第に先生の個人情報が特定され、いつの間にか学生時代の噂話として、「多くの生徒や先生に手を出して中絶させた」「隠し子もいるらしい」「自殺未遂をした人もいて学校をやめた」「騒動を起こすたびに転校していた」とか、本当かどうかもわからない、先生のありとあらゆる経歴までもが書き込まれ、拡散されていった。
廃墟ブログのコメント欄も、みるみるうちに炎上していく。それはもう面白いように。
『犯人はお前か』
『人殺し』
『A校の美術教師って本当ですか』
『早く自首しろよ』
やがてニュースやワイドショーでも、とりあげられる始末だ。
『こちらの廃墟ブログに掲載されている画像と、『おまえが言うな』映像の現場が似ていると、ネットでは話題になっています。中には都内の学校に勤める教師が、ブログ主ではないかという噂もありまして……』
やっぱりなと俺は思った。あいつは怪しいと思ってたんだ。これで危険なやつから、アリスを守ることができた。あいつは自業自得だ。過去に自分がやったことの、報いを受けただけだ。
そうだ。俺は悪くない。そう思っていた。