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【光の降る廃墟22(朝永未来)】

 正義くんは、父の行動をじっと観察していることが多かった。少し見ているだけで、父のやること、言うことを理解し、メモを細かく取って、すぐに真似してみせる。


 父は自分につきまとう正義くんが、小さな分身ができたみたいで可愛いのだろう。二人が一緒にいる時は、わたしや妹よりも、よっぽど本当の家族に見えた。


「苗字は違っても、正義は、俺の息子だからな。なんでもお父さんに言えよ」


 父が酔っ払うと、必ず言う言葉だ。


 息子とキャッチボールをするという夢が叶った父は、正義くんと夕暮れ時の河川敷で、時々特訓をしていたらしい。父曰く、飲み込みが早くて、頭がキレるから、きっと良いピッチャーになるそうだ。


 いずれ息子のドラフト会議に、心の中で念仏を唱えながら、父が一喜一憂する時がきたりするのだろうか。もしそんなことになったら、父は感動のあまり泣きまくって、大変なことになりそうだ。


 やがて正義くんは、うちに初めて来た時よりも、徐々に笑うようになった。父と出会ったことで、正義くんの人生が、明るいものに変化したのだとしたら、やはり父は偉大だと思った。


 わたしもいつか、父のように、誰かを助けられる人になりたかった。できれば、学校の先生になろうと思っていた。困っている誰かに手を差し伸べて、生徒の未来を、光の射す方へと導けるような、そんな先生になれたらいいなと思っていた。




 家以外では、口数が少ない正義くんは、あまり学校でも、わたし以外の人とはしゃべらない。けれど、勉強もスポーツもできるから、女子には密かに人気みたいだ。


 男子には、わたしと正義くんが、兄弟でもないのに、一緒の家に住んでいるということで、からかわれたりすることもあったけれど、正義くんがまったく動じないので、嫌がらせをする男子も、どんどん減っていった。


 同級生の中で、一番体が大きな正義くんに、勝てる男子は誰もいない。時々、正義くんを見て、怯えるような反応をする男子すらいた。大きくて強い男子には逆らえないということだろうか。やっぱり男子は単純なのかもしれない。


 小学校を卒業してからも、中学でも、高校でも、大学でも、わたしたちはずっと一緒にいた。


 正義くんは二人きりの時は、案外寡黙だけれど、特に言葉はいらなかった。余計なことを言わなくても、その行動のすべてが優しかった。わたしもできるだけ、正義くんが可愛そうな子供に戻らないように、いっぱい優しくした。


 大学に入ってしばらくして、二人きりになった時、自然とそういう関係になるのも、無理はなかったのかもしれない。


 正義くんは真面目な顔で、「何事も経験が大事だ」と言ってから、キスをしてきた。正義くんとの行為は、まるで理科の実験でもしているみたいに、一つ一つ、決められた手順を実行していくような、不思議なものだった。


 なんだかわたしは解剖されるカエルにでもなった気持ちだった。何もかもが初めてで、その時は、それがおかしなことだと思っていなかったけれど、やっぱり何かが変だったのだろうと思う。


 まだ大学生なのに、子供ができたことがわかって、正義くんは、父に殴られたけれど、結局、授かった子供に罪はないということで、許してもらえることになった。


 たぶん、同じタイミングで、高校生だった妹も妊娠をしたから、なし崩し的に、認めざる得なくなっちゃったのかもしれない。さすがに二人の子供を、この世から消せという判断は、優しい父にはできなかったのだろう。


 わたしは全然知らなかったけれど、妹は家庭教師をしていた高広さんという人と、付き合っていたらしい。法学部に通う苦学生ということで、とりあえず籍だけ入れて、妹と一緒に、実家にそのまま住むことにしたようだ。


 娘が二人とも嫁に行くと、朝永家はもう途絶えてしまうと父が悲しんでいたら、苗字にこだわりのない妹の彼氏さんは、婿入りしてくれたようだ。


 後継問題が解決したところで、わたしは朝永未来から、廃道未来になった。


 恋と呼べるほどの、衝動も歓喜もなかった。ただ子供ができたから、結婚しなくてはならない。ただ当たり前のこととして、そのレールを歩んでいただけだった。


 わたしたちは若かった。恋と情愛を勘違いしていたことに、無自覚だったのかもしれない。


 生まれてきた女の子には、アリスと名付けた。正義くんが本や映画の登場人物から名付けたいということで、いくつか変わった名前の候補があがったが、女の子の名前として、まともそうな名前をなんとか死守した。


 母と妹の協力がなければ、よくわからない外国人みたいな名前になっていたかもしれない。中でもホラー作品が由来の、『シャイニング』のウェンディ、『ローズマリーの赤ちゃん』のローズマリー、『隣の家の少女』のミーガンあたりは、妹が強く反対してくれたおかげで、知らずに選ばなくて良かったと、後から胸を撫で下ろしたぐらいだ。


 でもわたしは、その時点で、もっとよく考えるべきだった。正義くんが、なぜ娘に、あんな名前をつけようとしたのか。正義くんが、普通ではないということに、もっと早く気付くべきだった。




 授乳期が終わって、子育てを母に手伝ってもらいながら、わたしは大学に復学し、高校教師となった。母校で働くことが決まった頃、ちょうど実家の隣が売りに出されて、お隣さんの一軒家に引っ越しをした。


 アリスが大きくなるまでは、母だけではなく、婿養子をもらって実家に住み続けていた妹にも、いろいろ助けてもらった。感謝しかない。


 正義くんは結局、プロ野球選手になることはなかったが、父と同じ警察官になった。大学時代にプロ野球の球団からスカウトもあったけれど、在学中に子供ができたこともあって、堅実な道を選ぶことにしたようだ。


 父が夢見ていた、ドラフト会議の立会いは叶わなかったが、自分と同じ仕事をしてくれたという意味では、きっと父も誇らしく喜んでいることだろう。


 実際に警察官としても優秀で、どんどん成果を上げて、出世していき、すぐに父の役職を追い抜いていった。酔っ払った父は、正義くんがいない時に、「うちの子にして、本当に良かった」と何度も号泣していたのは、わたしと母と妹だけの秘密だ。


 妻となり、母になっても、わたしはまだ、正義くんとの関係が、恋ではなく、同情と家族の愛によるものだと気付いていなかった。


 けれど、神咲直夜に出会ってしまった時に、すべてわかってしまった。


「先生教えて下さい。ぼくもいつか、こんな写真が撮れるようになれますか」


 廃墟研究部に入ってきた彼のまっすぐな眼差しから、目を背けることはできなかった。


「未来のことなんて、誰にもわかりません。でも、結局は何に感動して、シャッターを切ったのか、どうしてその瞬間を捉えたいと思ったのか。それがきちんと伝わる写真を撮れたら、それでいいと思います」


 本当の恋がなんであるのか。彼と目が合うだけで、彼と手が触れるだけで、心臓が激しく動く。

 先生のくせに。ダメだとわかっているのに。止められない。


「心が揺さぶられた瞬間にシャッターを押すと、奇跡のような写真が撮れることがあります。それは誰かが教えられるものではありません。自分が何に感動するのか、何が好きなのか。それに向き合うことのほうが大事かもしれませんね」


 正義くんとのそれとは、まったく違っていた。


 あまりに遅すぎる春に、わたしは困惑し、酔いしれていた。だからバチが当たったのかもしれない。




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