廃墟で殺されるのにうってつけの日8(廃道善人)
不意に背後の扉が、乱暴に開かれた。
「お、なんだ。もう早、新入部員の勧誘か」
部室に入ってきたのは、うちのクラスの副担任だ。体育教師をしているだけあって、プロのスポーツ選手並みに背が高く、胸板が厚い。明るくてチャラくて、何の悩みもなさそうな、いかにもリア充っぽい、僕の苦手なタイプの男だった。
「って、廃道じゃないか。さっそくうちの部に目をつけるとは、やるな。やっぱり、名前に『廃』って文字があるやつは、廃墟が好きになる呪いでも、かかってんのかね」
いきなり肩を組んでくる。知り合って間もない相手でも、すぐ懐に入ってくるような、距離感のなさが、なんだか人懐っこい大型犬みたいだ。そういえば、この副担任の名前も確か……。
先輩が嫌そうな顔をして、副担任を親指で指し示す。
「これは、うちの顧問、青鬼子だ」
「これって言うなよ」
副担任の青鬼子先生は、先輩の肩にも腕を乗せて、馴れ馴れしい感じで笑っている。
「こいつさ、俺の妹なんだわ。再婚相手の連れ子同士だから、血は繋がってないけど」
先輩の表情が少し硬くなった気がした。やはり年頃の女子は、男兄弟とはあまり関係が良くないのかもしれない。しかも年の離れた義理の兄ということなら、なおさらだろう。
「いくら部長が、美人だからって、俺の目の届くところで、余計なことはすんなよ」
強く背中を叩かれた。先輩に手を出すなという警告だろうが、目の届かないところでならいいのか?
もしかしたら、この先生は、若干バカなのかもしれないと、ふと思った。
「五人揃ったから、廃部にならずに済みそうだな。あいつも、空の上で喜んでくれてるはずだ」
顧問は窓際の花瓶に、視線を飛ばした。
「やべぇ、しおれてるじゃねぇか」
顧問は花瓶を持って、部室を出て行った。あの花を生けていたのは、顧問だったのか。『あいつ』とは誰のことだろう。空の上ということは、部活で亡くなった人なのだろうか。
「廃墟って、やっぱり危険なんですかね」
「多少はね。あらゆることを想定するのが、廃墟探索の鉄則だ。それでも廃墟に事故や事件はつきものだ。怖くなったのか」
「いえ、僕の母も姉も、廃墟が原因で亡くなってますし。安全ではないのは理解しています」
「心配しなくていい。この世界に、危険ではないところなんてないよ。人間は、いつどこで死ぬかなんてわからない。それに死ぬ時は、人間なんて所詮一人だ。足掻くだけ無駄だよ」
先輩の横顔は、やけに寂しそうに見えた。
顧問はなかなか戻ってこない。廊下で誰かと話し込んでいる声が、遠くで聞こえる。女子生徒にでも捕まっているのだろうか。
おかげで、また先輩と二人きりだ。
静かになった部室で、先輩は窓際に置かれた、古い一眼レフカメラを手に取った。
「君は、自分のルーツというものを考えたことはあるか」
「ルーツ……ですか?」
「例えば、自分は本当に、両親の子供なのだろうかとか。もしかしたら親が、犯罪者かもしれないとか」
「まさか……そんなことは」
「DNA検査をしてみようと思ったことはないのか」
「ありません」
「幸せな人生を送ってきたのだな」
幸せかどうかなんて、一番、人と比べてはいけないことだ。比べた瞬間、その幸せは消える。観測されているのがわかった途端に、挙動が変わる量子みたいに。
「ちょうど知り合いがやっている研究所で、今ならキャンペーン中らしいから、試しに頼んでみるといい。そこのパソコンで簡単に申し込みができる」
先輩は部室に昔からありそうな、かなり古いデスクトップパソコンをちらりと見た。
「なんだ、宣伝ですか」
「よく知らない人間の持ちかけてくる会話なんて、ほとんどが相手を騙して、利益を得るための行為に決まってるだろう。覚えておいたほうがいい」
「騙してると宣言した時点で、失敗しているのでは」
「問題ない。目的はそこではない。騙されないと思っている者ほど何かが見えていないものだ」
先輩は、にんまりと笑う。もしかして僕は、すでに罠に嵌められているということだろうか。
「最近、とある研究施設が、実験を開始したらしい」
「実験?」
先輩はカメラを開けて、フィルムの交換をし始めた。指の動きに無駄がない。慣れている。何度も繰り返し、写真を撮ってきた人の動きだ。
「犯罪者の子供は、犯罪者になるのかを調べるための、遺伝子検査と経過観測だそうだ」
「そんなことのために、お金と労力を使うんですか」
先輩はフィルム交換を終えて、僕の目をじっと見た。
「犯罪者の家族にとっては、大事な問題だよ。『そんなこと』ではない」
無防備に、自分の常識だけで、色眼鏡で世界を見ていた部分を、突然殴りつけられたように感じられた。険しい表情をしていた先輩が、しばらくすると、噴き出すように笑った。
「信じたのか?」
「はい?」
「そんな研究、実際に行われていたら、もっとニュースになっている。冗談に決まってるだろ」
「なっ……」
どうやら先輩は、人を騙して楽しむのが、好きなタイプらしい。
「実は頼まれたんだ。検査の申し込みが全然ないから、勧誘してくれと。まぁ劇団員がチケットを自分で売るみたいなもんだよ。ノルマがある」
「それは……大変でしょうけど」
嘘をついてまで勧誘するのは、どうなのか。
「紹介した相手が、検査を受けてくれたら、多少はマージンがもらえる。塵も積もれば山となるというやつだよ。私は一人暮らしをしているから、いろいろお金が必要でね」
なかなかの守銭奴のようだ。
「父親にバレたくないなら、申し込みをうちの顧問名義にして、受け取りは学校にすればいい」
「別に結構です」
「ならば、検査を受けるのは、新入部員の義務とする。今、決定した」
「横暴な。大体、そんなお金、ないですよ」
「うちの顧問のクレジットカードは、ブラックカードだ。暗証番号も知っているから問題ない」
「いやいやいや、問題ありますよ」
「大丈夫だよ。あの筋肉バカは、いちいち明細なんてチェックしていない。どうせ君だって、通帳記入なんて、ろくにしていないだろう」
「通帳記入……ですか」
「前にあっただろう。知らないうちに、口座から金が抜かれているかもしれないという騒動が。久しぶりにチェックしておいたほうが、いいんじゃないか」
お金の管理は、基本的にすべて父がやっている。小さい頃はお年玉を入れていただけの通帳があったはずだが、確かに、ずっとチェックなんてしていなかった。
「時間が経っていると、まとめて記帳されるから、いちいち窓口で手続きが必要かもしれないが。勝手に金を抜かれたままになるよりは、労力は小さい」
「はぁ、まぁそうですけど」
「というわけで、来週までに、検査の申し込みに必要なものを提出するように。返事は?」
「……はい」
何が、というわけで、だ。もうすでに入部したことを、後悔し始めていた。
先輩は僕にカメラを向けて、シャッターを切った。不意打ちすぎて、うっかり目を閉じてしまった。写真好きだった母や姉と違って、うちの父は写真を撮らない人だった。
カメラ自体にあまり近寄りたくないのだろう。
おかげで僕は、人から撮られることに、未だに慣れていない。
先輩は僕と顔を近づけて、一緒にフレームに入るように、もう一枚撮影した。
だから、いちいち顔が近いのは、やめていただきたい。もしかして試されているのか、僕は。
「私は探しているんだ。神咲直夜という、どこかへ消えた、ある男を」
神咲直夜というのは、廃墟の屋上で、記念撮影中の母と姉を驚かせて、転落させたとされる男性教師のことだ。事件のあとに病院から姿を消して、ずっと行方不明のままだった。
「なんで、そんな男のことを」
「その男の隠し子が、私なんだよ」
僕の方を見た先輩は、にっこりと笑った。恐ろしいほど美しい顔で。
やっとわかった。初めて出会ったのに、既視感があった理由が。
その端正な顔立ちが、事件に関する記事で見た、神咲直夜の写真に、とても良く似ていたからだ。
「だからね、場合によっては、いずれ君を殺さなければならないかもしれない」
「僕を……殺す?」
じっと僕の顔を見ていた先輩は、突然、噴き出すように笑い出す。
「冗談だよ」
いろんな意味で、僕の心を釘付けにするような、素晴らしい笑顔を、先輩は投げつけてきた。
間違いない。先輩は頭のおかしな人だ。
それに気が付いた時には、もう僕の人生の歯車は、狂い始めていたのだと思う。