表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/53

廃墟で殺されるのにうってつけの日7(廃道善人)

 ことあるごとに顔が近いのは、やめてほしい。


 もしかして、僕は試されているのだろうか。それとも、真意を探られているのか。


「それはただ……入りたかったからです。母と姉の母校なんです、この学校は」

「奇遇だな。同じく、父の母校だよ」


「父親なのに母校って、なんか変な言い回しですよね」

「子供が生まれてくるのは母体だからだろう。父親から生まれる技術ができれば、いずれ父校という言い方もされるようになるかもしれないが。で、本当にそれだけか?」


 先輩はさらに顔を近づけてくる。近い。近すぎる。


「実は……母や姉が残した廃墟の写真を見て、廃墟に一目惚れをしたんです」

「さらに奇遇だな。私もきっかけは、父の写真を見たからだよ」


 身近な人間の影響で、廃墟に魅入られたのは、僕だけじゃないことが、少しだけ嬉しかった。だが、それと同時に、少し複雑な気持ちだった。


 いわゆる、理解されたいくせに、理解されると困る症候群とでもいうのだろうか。お気に入りの服を着て出かけたら、電車で隣に座った人が、同じ服を着ていた時のような。同志を見つけて嬉しいはずなのに、悲しくなるアレだ。


 実に面倒くさいと自分でも思う。


「そんなに素晴らしい写真なら、ぜひ見せてくれないか」


 僕はスマートフォンを取り出して、一番好きな廃墟写真を、先輩に見せた。古い一眼レフカメラに残されていた写真を、スマートフォンのカメラ越しで撮影した画像だ。


 じっと画面を覗き込んでいた先輩の、瞳孔が開くのがわかった。世界で一番美味しいものを食べた時みたいな、うっとりとした表情で、まるで感動のあまり、今すぐにでも泣いてしまいそうな、そんな瞳をしていた。


 もしかしたら、僕が初めてこの写真を見た時も、こんな顔をしていたのかもしれない。


「なるほど。そういうことか。すべて理解したよ。このデータ、私にもくれないか」

「いいですよ」

「アドレスを入れるから、少し貸してくれ」


 先輩は画面を操作して、データを転送しているようだ。やけに時間がかかっている。


 そんなにデータ量は多くなかったはずだが、先輩のスマートフォンが通信制限でもかかっているのだろうか。やっと転送が完了すると、スマートフォンを返してきた。


 先輩は自分のスマートフォンを確認しながら言う。


「時々あるんだよ。こういう奇跡の一枚が。実に素晴らしい」


 その瞳は、大事なおもちゃをもらった子供みたいに、キラキラと輝いているように見えた。


「一瞬を切り取っただけの写真なのに、なぜか時と空間を超えて、別の誰かの心に刺さるようなものが出来上がってしまう。見たことも行ったこともない場所なのに、一瞬でそこにいるような不思議な錯覚にとらわれてしまう、圧倒的な実在感を持った写真というのが」


 興奮気味に先輩は、写真を崇めるように、スマートフォンを高く掲げた。


「写真は場所と時間を閉じ込める魔法のようなものだ。その中でも、特殊な能力を持っている人がいるんじゃないかと感じる時がある。魔法使いのような人がね。同じものを撮影しているのに、決定的に何かが違うんだ」


 きっと先輩も、これまで何度か見たことがあるのだろう。僕が心を奪われたのと同じように、素晴らしい廃墟の写真を。


「わかります。僕もその魔法を手に入れたかった。だから、母や姉がいたこの部に入れば、いつか僕も、こんなに素晴らしい写真を撮れるかもしれない、そう思ったんです」


 先輩はちらりと僕を見て、不敵に笑う。


「君は、どんな写真を撮っているんだ。見せてくれ」


 僕はスマートフォンに転送してある写真を、いくつか先輩に見せた。

 先輩は困ったような顔をしている。


 わかっていた。あんなにすごい廃墟写真を見せた後に、僕が撮った写真が、いかに残念なのかぐらい、自分でも嫌というほどわかっていた。他人の目が、これほどまでに雄弁なのかと、僕はその残酷さを思い知った。


「才能というのはギフトだ。いくら努力しても、到達できない領域というのは必ずある」


 先輩が言葉を選んでいるのがわかった。遠回しに、才能がないと言われているようにしか聞こえない。


「でも……挑戦してみないと、本当に向いているかどうかすら、わからないと思います」

「そうだな。ならばやってみればいい。ちなみに、私は、こういうのを撮っている」


 棚から取り出したファイルを開く。今では入ることが禁止されている、有名な廃墟の写真も混じっていた。


 一目見ただけで、格が違うのがわかった。僕が一目惚れした写真と、雰囲気が似ている。寂しくて、悲しいのに、やけに美しい。そんな廃墟の写真が、ずらりと並んでいた。


「ものになるかどうかは、君次第だ。ただし、君の心を奪ったものと『同じもの』ではダメだ。『超える』作品を目指すべきだ」

「……はい。頑張ります」


 圧倒的な差を見せつけられた後の、口から出た『頑張る』という言葉の虚しさが、胸の奥の方にある、大事なものを握りつぶしそうになるのを、必死に耐えていた。


 続いていると思っていた道が、突然途絶えて、巨大な崖が、目の前に広がっていたら。始まる前から終わっている場合は、どうやって前に進めばいいのだろう。


 僕には翼はないのに。先輩にはその翼があるのだ。きっと。


「どうかしたか」

「いえ、なんでもないです」 


 先輩は口元に一本、人差し指を立てた。


「では善人、入部記念に一つ、いいことを教えてやろう」


 さっそく下の名前を呼び捨てとは。

 自分のことは、絶対に名前で呼ぶなと注文をつけておいて、勝手にもほどがあるんじゃなかろうか。


 だいたい、女子に下の名前で呼ばれたなんて、初めてかもしれない。なんでこんなに、心臓がドキドキしているのか。落ち着け、僕の心臓っ。


「君も知りたかったんだろう。君の母親と、姉の死の真相を」


 先輩は『君も』と言った。

 つまり、嘘をついていたのは、僕だけではなかったようだ。


「さて問題だ。あれは本当に事故だったのか。それとも三人は、故意に死に追いやられたのか」

「三人?」


 どうしてここで、二人ではなく、三人になるのか。


「君の母親と姉が、廃墟で死んだのは、不慮の転落事故でということになっているだろう」

「……違うんですか」


「私はね、あの場所にいた、別の真犯人こそが、三人を死に追いやったのだと思っている」

「真犯人が……三人を?」


 さっきも三人と言っていた。先輩は何を知っているんだろうか。


「どういうことですか。詳しく教えて下さい」

「それはダメだ」


「はい?」

「今、教えてしまったら、君は退部してしまうじゃないか」


「え、いや、それは」

「私が学校を去る日に、真実を教えてやるよ」


 まさかそれって、卒業式までお預けということだろうか。鼻先におやつを乗せられて、待てと言われている犬のようではないか。


「卑怯ですよ」

「それまでに君自身が、真実にたどり着いた場合は、ご褒美をやろう。とっておきの廃墟に連れて行ってやる」


「とっておきの廃墟って……どこですか」


「本当の父と行くはずだった、美しい廃墟だよ」

「……本当の父?」


 先輩は花瓶のそばに置かれていた、古いカメラを険しい表情で見つめていた。カメラのレンズには、少しヒビが入っていた。


 僕の家にあった古い一眼レフカメラと、同じ型番だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ