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廃墟で殺されるのにうってつけの日5(廃道善人)

 しばらく眠っていた先輩が目を覚ました。

 気持ちよさそうに伸びをしてから、僕のほうをじーっと見ている。


「おい、善人、さっきから何をそわそわしている」

「いや、別になんでもありません」


 僕は嘘をついた。本当はトイレに行きたかった。この地下室に閉じ込められてから、もうすぐ丸一日が経とうとしている。


 先輩による深淵問題の連打のおかげで、しばらく忘れかけていたが、さすがにそろそろ限界だった。この部屋は、廃墟の地下にある書庫だ。トイレはない。


「私が寝ている間に、何か変なことをしていたんじゃないだろうな」

「してませんからっ」


 全力で否定をするが、先輩はまだ疑いの目で、僕を見ている。


「怪しいな」


 もちろん実際に、僕は何もしていないし、そんな勇気もない。


 だが、いつか無事に、ここから出られた時のために、あれやこれやと妄想する目的で、先輩の寝顔を、心に焼き付けておくことぐらいは、大目に見てほしい。心の中ぐらいはフリーダムであるべきだ。


「そんな勇気もないというわけか。つまらんな」


 あんまりな言われようだ。だが勇気を振り絞って、先輩に襲いかかったら、それはそれで人生が終わりそうだし。何もしなかったらバカにされるし。一体どうしろというのか。


「君の父親は、確か警察官だったな。拳銃を使ったことがあるだろうし、一度ぐらいは、人を殺したことはあるのだろうか」


 突然、何を言い出すかと思ったら。


「あ、あるわけないでしょっ。日本の警察は、そう簡単に銃は撃ちませんから」


 僕の父は警察官だ。息子に善人なんて名前をつけてしまうぐらいには、いつも良き善人であろうとしているタイプで、常に市民の安全のことを考えて、黙々と誰かを助けている立派な警察官だった。


 冷静沈着という文字を、耳なし芳一ばりに、身体中に書いてあるかのような、とても真面目な男だ。


 もし正直者がバカを見るような目にあっても、相手を許せと、殺すぐらいなら、殺されなさいと、教えられてきた。


 その言葉は亡くなった母や、その両親がよく言っていた言葉らしい。母方の両親も正しき良い人だったようだ。そういう意味では、うちの父は、衝動的に人を殺す行為とは、一番遠いところにいる人間に思えた。


 そんな父の血を引いているのなら、僕だってもう少し冷静沈着だったら良かったのだが、どちらかというと、ちょっとばかし天然が入っていて、笑い上戸なところは、亡くなった母に似たのかもしれない。僕は会ったこともないから知らないけれど、写真の中の若い頃の母は、よく笑っていたように思う。


 ふいに尿意の高まりを感じて、誰に教えられたわけでもないのに、小刻みに足踏みをして、なんとか、その衝動を抑えようとしていた。胡散臭げに、僕を見ていた先輩が言う。


「そんなことをして、効果はあるのか?」

「知りませんよ」


「逆効果じゃないのか」

「うるさいな。ほっといてくださいっ」


 効果は未知数だが、何もしないでいられるほど、僕のメンタルは強くない。


「少しは落ち着いたらどうなんだ。頭がおかしい人にしか見えないぞ」

「こんな状況で落ち着いていられる先輩のほうが、頭がおかしい人にしか見えませんよ」


 地下に作られたこの書庫は、かなり長い間、使っていなかったのだろう。ほこりっぽくてカビ臭い。ごく小さな通気孔のようなものはあるので、窒息死することはなさそうだが、ネズミでもない限り、そんな場所から外に出ることはできない。


「だから探索する前に、トイレは済ませておけと、あれだけ言っておいただろうに」

「まさか、丸一日もずっと、こんなことになるとは思いもしなかったんですよっ」


 先輩は手回し式ラジオの、充電した電気がなくなる度に、ぐるぐると取っ手を回して光を補給するが、事態は何も改善していない。


 いつまでこの状況は続くのか。どうしてこんなことに。悪いのは間違いなく先輩だ。


「廃墟に事故や事件はつきものだろ。あらゆることを想定するのが、廃墟探索の鉄則だろうに」

「そんな鉄則、知りませんからっ」


「君が無知なだけだ。というか君が入部届けを出した時に、その話をした記憶がある。まったく覚えていないとは、本当に、君はバカだな」


 先輩の口が悪いのは、今に始まったことではないが、ただでさえぐったりしているのに、精神的にダメージを上乗せしてくるのは、やめていただきたい。


 先輩が急に近づいてきたと思ったら、にっこり笑った。


「ここですればいいじゃないか」

「はい?」


「君もそろそろ喉が渇いてきたんじゃないか。丸一日、水分を補給していないんだ。あとはもう、これぐらいしか飲めるものはないだろう」

「いやいやいや。先輩、冷静になりましょう」


「私はいたって冷静だよ。どうせ出すなら、もったいないじゃないか。ぜひ感想を聞かせてくれたまえ。少しぐらいなら、味見をしてやってもいい。この手の体験談の記事は、かなり金になる」


 この期に及んで、また金か。


 先輩の母親は再婚をして、実家は裕福な家庭だったはずだが、高校からは一人暮らしを始めたそうだ。義理の家族とあまりうまくいっていないのかもしれない。


 とにかくいつも、お金が足りないとぼやいている。学費は特待生で免除されているらしいが、両親の反対を押し切って、一人暮らしを強行したせいで、さすがに生活費は自分で稼ぐ必要があるようだ。


 おかげで僕が自分のために作った弁当は、搾取され続けているし、飲み物代もなぜか僕が出すことになっていた。もしかして、食料確保のために、僕は入部させられたのでは、と思いたくなるぐらいに、僕は先輩の生命維持に貢献している。それだけ先輩は守銭奴だということだ。


 だからってこんな形での、生命維持の手助けは勘弁願いたい。


「緊急事態なら、許されると思わないか」

「許されるわけないじゃないですか。頭おかしいんですかっ」


「ならもし、私の頭がおかしくなかったら、問題ないのか?」

「問題ありまくりです」


「なぜだ。私はこんなに正気なのに。君の水分は無駄にならない。私も金を稼げる。これ以上ないほどに、論理的な行動だとは思わないか」

「頭がおかしいんですか。そんなこと言い出す女子高生が、正気なわけないでしょうが」


「君はこの世界にいる、すべての女子高生に会ったことでもあるのか」

「……ないですけども」


「なら、なぜ、そんなことを言い切れる。もしほかの女子高生が、もっと酷い思考をする者ばかりだったら、私のほうがよっぽど普通であり、正気だということになる。確かめもせずに、決めつけるのは良くないと思うぞ。君のほうが頭がおかしいんじゃないか」


 この人はまた、ああ言えばこう言う。

 先輩にだけは言われたくない。お前が言うなすぎる。


「とにかく、こんなところで、やめてくださいっ」

「なら、どんなところだったら、いいんだ。私たちは今のところ、この部屋から出られないようだが。今なら他に誰もいない。これ以上のシチュエーションはないだろう」


 先輩の手が伸びてくる。僕はじりじりと後ろに逃げる。何をやっているんだ僕たちは。


「例えそうでも、ダメですってば。もう、いい加減にしてくださいっ!」


 声を荒げて、先輩の手を強く払った。先輩は僕の顔をじっと見てから、噴き出すように笑う。


「冗談だよ」


 その笑顔が、最高に可愛いのがムカついた。

 いつだってそうだ。初めて出会った時から、先輩は無駄に美人で、最低な人間だった。




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