60 解放される記憶
その日は牢獄のそばに宿をとった。二人は宿の人気の少ない食堂で軽く食事をしながらポツリポツリと会話した。
「不思議なのよ。私は十三歳に戻って何度か人生をやり直したけれど、そのたびに私の人生は違って。最初と次はひどいものだったわ。周りに散々迷惑をかけて、人様に恨みを買って。呪い殺されても仕方ないのかも」
「それは違うよ、レティシア。迷惑をかけたのかもしれないけれど、だからって殺されていいことにはならない」
「ありがとう……」
レティシアはリーンハルトの言葉に弱々しく微笑む。
「殿方に媚びるレティシアなんて想像もつかないけれど」
と言って苦笑する。
「あなたにはとても怒られたわ。そして、ミザリーが止めに入ってあなたは去っていった。その直後、私は階段から突き落とされたの。ミザリーかニーナかは分からないけれど」
「それについては呪いだけではなくて突発的なものもあるかもしれない。まあ、ミザリーとニーナは歪な主従関係にあったようだけれど。
レティシアが変わっているようにミザリーもそれにより変化するのだと思う。その時々によって術式の知識も変わってくる。
毎回、何らかの方法で二十歳まで生きられないようには呪われていただろうが、いつも今回のような大規模な呪術を行っていたのではないんじゃないかな。推測ではあるけれど」
彼と話していると少しずつ落ち着いて来るから不思議だ。
レティシアは食欲がないながらも目の前にあるパンケーキをひと口食べた。
「そうね。でも私三回目以降については身に覚えがないのよ。なるべくミザリーと接点を持たないために魔法師学園に通うことにしたんだもの。リーンハルトのお陰で入れてたのだけれど。
それなのに三回目は毒入りの菓子で殺されたのよ。私の友人を使って」
「それは違うと思う。菓子に毒は入っていなかったんじゃないかな」
「え?」
「恐らくそういう呪い。ミザリーからの手紙を読んだ瞬間発動したんだ。手紙の中に何か呪いが発動するようなキーワードがあったのかもしれない」
義弟の話を聞いてなるほどと思う。
「キーワード? ……それならば、私は無実のマリーナを疑っていたのかしら」
繰り返しのなかで彼女を拒絶してしまったので、胸が痛む。
「それはないと思う。彼女とニーナはミザリーが呪いを行うための媒介者だ。ミザリーに植え付けられた強い負の感情を持っていたんだろう。行動も不自然だ。今回呪いが大規模になったのは前回のトレバー氏のように操りやすい人間がいなかったのだと思う」
確かに今回レティシアの周りに常にいたのは、エレインにアランそれにリーンハルト。善良で、凡そ負の感情とは無縁の人ばかりだ。それならば、トレバーは心に大きな闇を抱えていたのだろうか。 今では知る由もない。これからも絶対に近づくことはないだろう。
「せっかく結婚できたのに。それからあとのループでも極力ミザリーとは接触しないようにしたのに恨まれて呪われて。ほんと分からない」
レティシアとしては、やるせない思いだ。
「今回でミザリーは返り討ちにあったけれどね」
リーンハルトが淡々と言う。しかし、きっと複雑な思いを抱えているのだろう。
レティシアとしてもどうにもすっきりしない。
「気に入らないっていうだけで、あんなリスキーなことをするとは思えないわ」
「そうかな? 俺は充分あり得ると思うけれど」
リーンハルトも食欲はなさそうで機械的にサラダを口に運んでいる。
「どうして?」
「もっと前からレティシアはミザリーに恨まれていた。十三歳より前に」
「なぜ、そう思うの? それにそれならばどうして戻ったのが十三歳だったの?」
「それはおそらくアーティファクトの能力によるものだろう。戻る時間を選んでいるわけじゃない。決まっているのだと思う」
レティシアは十三歳以前を思い出す。
「十三歳より前ならば、私はミザリーにべったりくっついていたわ。家族の誰とも上手くいかなくて」
「そこなんだよね。確かにレティシアは警戒心が強かったけれど、来たばかりの頃は上手くいきかけていたんだ。それが急に様子が変わって。
やはり、俺はミザリーがレティシアに対して理不尽な恨みを持っていたのだと思う。悪意に理由なんかないんだよ」
そう言うと彼は洗練された所作でナプキンで口元を拭う。懐から箱を出すと、そこから美しい石を取り出した。
「何それ?」
「ちょっと手を出して」
リーンハルトに言われるままにレティシアが手を出すと、手のひらに白く月のような色をたたえた丸みのある石を乗せられた。リーンハルトが石をのせたレティシアの手を包み込む。
「どうしたの急に?」
どきりとしてレティシアは赤くなる。
「いいから。今からレティシアの抑圧された記憶を見に行くんだ。この石が手助けになる。アミュレットみたいなものだよ。バートン先生から借りて来た」
「よくわからないけれどやってみる」
レティシアは首を傾げつつも、言われるままに石を握りしめた。
「手のひらに気持ちを集中して」
リーンハルトの言葉に耳を傾け言われたとおりにする。すると手のひらの石が温かくなってくる。
「前に噴水で言ったこと覚えている」
「うん」
覚えている。パーティ後のいい思い出だ。束の間だったけれどリーンハルトと二人で楽しかった。
「レティシア、もう一度思い出してみてくれ、子供の頃のこと。ゆっくり目をつぶって」
目を閉じて石の温かさに集中していると、ふわりと靄がかかる。その先に幼い頃の記憶が流れ始めた。家族との初めてのお茶の時間。そう確かリーンハルトはあのとき……自分の分のお菓子を分けてくれた。
「あなた、私にお菓子をくれたわ」
「それから?」
――嬉しかったのに「ありがとう」の一言が伝えられなかった。
幼さをまだ残すリーンハルトが屋敷の中を案内してくれる情景が見えてくる。
二人は毎日一緒に広い屋敷の中を探検するようになった。レティシアは天井の高さや美しい装飾に目を見張る。
リーンハルトが「迷子になるから」と言って手を繋いで歩いてくれた。
下町の育ちのレティシアは美しい芝生や樹木、花壇が珍しかった。
そして古い池の前にやって来る。リーンハルトが嬉しそうに青い瞳を煌めかせレティシアを振り返る。
「レティ、人に見せびらかしちゃダメっていわれているから、父上と母上に秘密だよ」
そう言って、池の水を波立たせ、噴水を見せてくれた。レティシアは陽光を受けてキラキラと輝く水滴がとても美しかったことを覚えている。
記憶が遡り、レティシアが初めてシュミット家に来た日の情景が浮かぶ。
「僕の名前はリーンハルト。よろしくね。レティシア」
「リーンハルト、レティシアはお前の姉になるんだよ」
とオスカーがリーンハルトに言う。
「それじゃあ。レティシア姉さんになるのかな?」
といってにっこりとレティシアに笑いかける。金髪碧眼の天使みたいに綺麗な男の子が手を差し出す。
レティシアは彼に挨拶しようとしたけれど気おくれして上手く言葉が出ない。
「リーン……」
「え?」
孤児院ではレティと呼ばれていた。
「……レティ」
レティシアのか細い声を拾ったリーンハルトがにっこりと笑う。
「わかった。レティ、僕の事はリーンでいいよ」
後退りするレティシアに構わず、リーンハルトはすたすたと近づいてきて彼女の手をぎゅっと握った。ものおじしない彼が少し怖い。でも握る手はあたたかくて。
最初に彼をリーンと呼んだのは自分だと思い出した。
日に日にリーンハルトと遊ぶことが楽しくなっていた。とても優しくて親切な義弟。彼はいろいろなことを知っていて楽しい話もしてくれる。字が読めないレティシアの為に絵本も読んでくれた。
「早く、リーンみたいにご本が読めるようになりたい」
「レティ、焦らなくても大丈夫」
そう言ってまだ幼いリーンハルトが微笑む。
「ねえ、私が字が読めるようになってもリーンはこうしてご本を読んでくれる?」
母は字が読めなかったので、絵本を読んでもらうのは初めてだった。
「うん、もちろん」
その日から字を教えてくれるようになった。彼はレティシアがいた孤児院の先生や子供たちのように意地悪ではない、いつも笑っていてとても親切だ。それに家庭教師の先生よりも優しい。リーンハルトに字を習った方がずっと覚えやすい。
だから、明日も楽しみだった。噴水の前で遊ぼうと約束した。彼の勉強が終わるまでそこでずっと待っていよう。
その日の晩、レティシアが布団にもぐりこんだ頃、ミザリーがやって来た。彼女の横にはメイドのニーナも一緒にいて。
「ねえ、レティシア、あなたにしつこくされてリーンハルトが困っているわ」
「え?」
何のことか分からなくて首をひねる。
ミザリーが悲しそうにレティシアの手を握る。
「私の弟は、お父様とお母様から頼まれてしかたなくあなたと遊んでくれているのよ」
「そんなことないもん。リーンは私に綺麗な噴水を見せてくれるわ」
「え? あなた、何を言っているの? 字も読めないけれど、言葉も不自由なの?」
不思議そうにミザリーが首を傾げる。
「だから、リーンは……」
そこでリーンハルトに「秘密だよ」と言われたことを思い出し、レティシアは慌てて口を閉ざした。
「ねえ、ニーナも聞いたわよね。リーンハルトがレティシアを嫌がっているの」
「ええ、孤児院育ちの文字も読めないような子が義姉だなんてはずかしいとおっしゃっていました。でも仲良くしなければならなくて、とてもお辛いと」
「うそ、うそよ!」
ミザリーがぎゅっとレティシアを抱きしめる。
「お父様とお母様から聞いたわ。あなたはとても卑しい生れなのだってね。
リーンハルトも姉弟になるのは耐えがたい屈辱だって言ってた。でもそんなものに施すのも貴族のつとめだからって我慢すると。
それにあなたは食べ方も汚いから同じ食卓を囲むのは辛いって。
かわいそうなレティシア。でも私は彼とは違うわ。いつでもあなたの味方よ。文字なんて読めなくていいじゃない。マナーなんて気にしないわ。大丈夫。あなたとずっと一緒にいるから。私はずっとあなたの味方だから。
それでね、家族でもないあなたがリーンと呼ぶのはおかしいって。でもあなたは頭が悪くて言っても分からないし、常識も知らないからしばらくは我慢すると。それからこうも言っていたのよ。分不相応で図々しい……」
ミザリーの口から一晩中紡がれる言葉に目の前が絶望と悲しみで真黒になる。
――もう、やめて!




