56 予感
青いサファイヤのような双眸がまっすぐとレティシアを見る。
「ある日突然レティシアは口を利いてくれなくなった」
そう言われても困る。
「……覚えがないわ」
「おかしいじゃないか。前日まで俺たちはこうして池で遊んでいたんだ。それなのに次の日突然俺と口を利かなくなった。あのとき約束したんだ。次の日もこの池の前で遊ぼうって。噴水が見たいとレティシアがねだったんだ」
彼が揶揄っているわけではないのは分かる。レティシアはリーンハルトに言われて思い出そうとした。そういえば彼と遊んだ気がする。
「うーん言われてみれば、そんな気も……」
もどかしい、黒い靄がかかったように思い出せない。そのうちだんだんと視界がすぼまり頭痛がしてきた。
バシャリと冷たい水がかかる。
「済まない。レティシア、コントロールを誤った」
「平気、なんか頭痛がしていたのが引いた」
「大丈夫か?」
レティシアが目をぱちくりとするとリーンハルトが心配そうに覗き込んでいる。
「めずらしいね。リーンハルトがコントロールを誤るなんて」
彼はそれには答えず苦笑しただけだった。その姿が妙に大人っぽくてどきりとした。また、彼はいつの間にか大人になってしまうのだろうか。少し寂しく思う。
「討伐隊にいたときに話してくれた妄想だけれど、あれで全部?」
また聞かれるとは思っていなかった。
「どうしたの? なんだか、リーンハルトいつもと違う」
子供の頃の思い出話にしてもそうだ。
「いつもって何だよ。この一年ほとんど会っていなかっただろう」
まるでレティシアが悪いような口ぶりで言う。
「それはあなたが忙しいから」
「いいから。前、話してくれたことで全部じゃないだろ?」
「長いから省いたのよ。でも、どうして?」
「大事なことを聞いていない。俺がレティシアを助けようとして死んだ。そんな恰好悪い姿想像もしたくないが。まあ、それは置いておくとして。俺が助けたのなら、なぜレティシアはやり直すことになったんだ?」
もっともな疑問だ。しかし、レティシアはとっさに嘘を吐くことにした。
「それは私がついうっかり死んじゃったのよ」
「ついうっかり?」
早速疑われた。さあ、何と答えようとレティシアは冷や汗をかく。
「そう、酔っぱらって校舎の窓から落ちたのよ?」
「は? 生死がかかっているときにだけ酒を飲んでいたということか」
「そうね。現実逃避ということろかしら」
リーンハルトの鋭い眼差しを感じる。怖くて彼の目を見ることが出来ない。ついうっかり階段から落ちたことにすればよかっただろうか。突然聞かれたので上手い嘘が思いつかない。
「俺が殺されたのはレティシアの誕生日の直前で、そのすぐ後にレティシアは死んだってことだよね。何かおかしくないか? 体まで張ったのに助けられなかったってことだろ。俺、弱いうえにいいとこなしだな」
そう言って自嘲する。やはり嘘は吐くものではない。だからといって本当の事もいえない。言えばきっと彼は……。
「ええっと」
レティシアは上手い言い訳はないかと言葉を探す。
「俺は浮かれた酔っ払いを助けるために死んだのか」
「その時は仲良しだったのよ」
「今より?」
どきりとした。なぜ、そんな聞き方をするのだろう。
「学園でよく一緒にご飯食べたり、サロンでお茶を飲んでいたりしたわ」
「ふーん、サロンでわざわざ? 休みの日に家に帰れば会えるのに? 前はそんなこと言っていなかったじゃないか」
リーンハルトがなぜか詰問口調で聞いて来る。
「かいつまんで話したからよ。そういえばトレバーもわざわざ姉弟でって言っていたわね」
「まったく、それじゃ俺も悪いじゃないか。それでお前に婚約者にもっと会えだのなんだと言っていたのか?」
リーンハルトが頭を抱える。
「どうして? サロンのタルトとても美味しいのよ」
「いや、そうではなくて……。お前と話すと、話がずれていく」
「失礼ね。そんなことないわよ」
レティシアが心外とばかりに言う。
「いいから、黙れ。だいたい、なんで俺はレティシアの誕生日の直前に作業場なんて行ったんだ?」
黙れと言ったり質問してきたり、勝手な義弟だ。
「私が夜遅かったから心配してくれたのよ」
「それでトレバー氏が、俺との仲をあやしんだんだろう?」
「そうよ。下衆の勘繰りもいいところだわ」
ちょっとトレバーには恨みがある。
「俺が、あの日あの時間に作業場に行くと分かっていた『あの人』が知らせた」
「え?」
レティシアは目を瞬く。彼は結構きちんと聞いていたようだ。
「しかもそれはお前の誕生日の直前。俺はきっと『あの人』にとって予測しやすい行動を」
リーンハルトが言いかけたその時、屋敷から洩れる光が突然消えた。二人とも一瞬口を噤む。
「あら、皆寝たのかしら?」
胸騒ぎがする。
「いや、まさか、全体的に明かりが消えている。それにバートン先生は夜を徹して話す気満々だよ」
「痛いっ」
突然胸のあたりに痛みが走る。
「レティシア?」
思い当たり、肌身離さず持っている母の形見の指輪を取り出す。
「割れてる」
「それは、形見か?」
リーンハルトの顔が曇る。
「ええ……」
悲しい。
「けがはない?」
「うん、いきなり割れたから、ちょっと切っただけ、私は大丈夫。それより屋敷に戻りましょう」
初めて感じる禍々しい魔力。嫌な気配が漂っている。二人は自然に手を握り合い屋敷へ向かった。




