32 今では知る由もなく
今日はバートンのところへ行く日だ。レティシアは学舎を出て、時計塔を目印に研究棟へと向かった。学園の敷地は広く油断するといまだに道に迷う。
学園生活を送るにあたって、レティシアはバートンのところに月二回通うことが義務付けられている。魔力適性検査では前回と同じようにリーンハルトを頼り、同じ手順を踏んで学園に入った。前回の貯金があるといえ、勉強は苦手なので、バートンの推薦なしでは入れる気がしなかったからだ。
しかし、前と違うのは彼と少し親しくなったこと、検査の終わりに茶を飲むようになり、他愛のない雑談をするようになった。時にはリーンハルトも一緒に。今日は義弟はいない。彼にミザリーのへの疑問をぶつけて以来少しぎくしゃくしているのだ。
そのときコンコンとノックの音がした。バートンが返事をすると、ガチャリとドアが開き、一人の男子生徒が顔を出す。
「先生申し訳ありません。来客中でしたか」
レティシアを見て眉尻を下げる。黒髪に整った面立ち、レティシアには見覚えがあった。
忘れもしない。
「アラン……」
震える声で呟く。記憶の中にあるより少し若い。最初の人生でレティシアを守り、命を落とした従者だ。黒髪の少年が戸惑う。
「あの、僕をごぞんじだったんですか?」
制服のタイから、彼が上級生だという事がわかる。それなのにレティシアに対して敬語を使う。つまり、最初の人生で平民だった彼はこの時点でレティシアを知っていて。
「あ、いえ、その」
「僕のことは、リーンハルト様から聞いたんですか?」
「え?」
「リーンハルト様の姉上のレティシア様ですよね」
レティシアは混乱した。彼はリーンハルトの友人?
「ええ、初めまして。あなたは私のことをリーンハルトから聞いているのね」
――ループ前の記憶がよみがえる。
「ある方から、あなたを守るようにと頼まれました」
「ある方? なぜ?」
「あなたは可哀そうな人だからと」
「私が、可哀そう?」
――彼に私を託したのは、リーンハルト?
だが、あの頃の彼との関係は冷え切っていて……。
「ねえ、あの不躾なことを聞くようだけれど。あなたはリーンハルトの親友なの?」
するとアランは驚いたように目を見開いて首をふる。
「リーンハルト様はそう言ってくださいますが、僕にとって彼は恩人です」
「そう、よかったら、この後、少しお話をしませんか?」
バートンの元を辞した後、レティシアは彼を学園のカフェに誘った。放課後とあって閑散としている。この時間リーンハルトは図書館で勉強していることだろう。
「それで、あなたは魔法師を目指しているの?」
「いえ、僕は騎士を目指しています。魔法が使えると有利なので」
レティシアの従者になったという事は、彼の夢はかなわなかったのだろうか。少し切なくなる。
「それで、あのリーンハルトが恩人って?」
「話せば長くなるのですが」
「大丈夫です。あなたは?」
アランが、にっこりと微笑んで語りだす。
「僕の家はもうないのですが、もともとは男爵家で父の散財が原因で没落したんです」
「あ、いえ、ごめんなさい。そんなことまで言わせてしまってもういいんです」
いきなりの重い話にレティシアは慌てた。踏み込み過ぎた。するとアランがくすくすと笑いだす。
「ここまで言ったんです。最後まで話させてください」
そう言って語られた彼の半生は悲惨なもので、結局のところ思い余った母親が息子を連れ湖で入水をはかる。ボートから飛び込もうとしたところ、当時十二歳のリーンハルトに助けられたらしい。
親子の周りの水を凍らせたそうだ。その後リーンハルトは魔力を使いすぎて倒れたという。そんなことがあったなんて同じ家に住みながら知らなかった。きっとそれはレティシアのループが始まるよりもほんの少し前の時間なのだろう。別に十三の誕生日に戻っているわけではないのだから。あの頃は自分の事で手いっぱいで、自分しか見えていなかった。当然リーンハルトが寝込んでいたことにも気づいていなかったのだろう。
「そのとき魔法ってすごいんだなと思いました。彼がいなければ、僕も母もあの時死んでいたし、シュミット家の支援がなければ、この学校には通えていなかった」
レティシアはずきりと胸が痛んだ。彼の人生を捻じ曲げたのは自分かもしれない。いずれにしてもアランがレティシアを守ろうとしてくれたのは、リーンハルトのためなのだろう。
あの頃は自分の悲劇に酔っていて、従者など芝居の書割に過ぎなかった。今まで彼を知ろうともしなかった自分が本当に恥ずかしい。
(死にたくはない。でも私には誰かが命を賭してまで守るほどの価値もない)
善良なアランはレティシアに巻き込まれて殺された。
「だから、僕はいつかご恩返しをするつもりです」
「それはいけません!」
慌てて遮る。
「え?」
「リーンハルトはきっとそんな事、望んでいません。だから、あなたは、自分の思う通りに生きたらいいのです」
「いえ、あのそれは」
「私も、シュミット家に救われました。それにこの学校に入れたのはリーンハルトのお陰なんです」
「それはどういう事です」
アランが目を瞬く。
「確かに私はシュミット家の親戚ですが、彼らが引き取る必要のないほど遠縁です。そのうえ貧民街で育ちました。だから、養女にしてもらえなければ、私はきっと飢えて街の片隅で死んでいたことでしょう」
レティシアが早口で真実を伝えると、アランの瞳は驚愕に見開かれた。
「養女という事は皆さんご存じでしょうが、貧民街の出だということは隠されています」
「どうして、あなたはそんな大切なことを僕に」
「あなただって話してくれたのに、私が話さないのはフェアではないから。
それに、義父もリーンハルトも見返りを求めて誰かを助けるわけではありません。だから、あなたはご自分とお母様との人生を大切になさってください。ごめんなさい。なんだか口幅ったい事を言ってしまって」
レティシアは赤くなる。今になって偉そうなことを言ったと恥ずかしくなってきた。彼にこんなことを言う資格などない。ただアランには何かの犠牲になって死んでほしくなかった。
「そんな事はないです。そう言って頂けて嬉しいです。だが、あなたも少し自分を大切にした方がいい」
真剣な声でアランが伝えてくる。
「え?」
「ここには人の目も耳もあるのですから、誰かが聞いていて噂にでもなったらどうするつもりです」
「それならば、あなたも」
するとアランはにっこりと笑う
「僕の家の秘密は秘密でも何でもないでもないですよ。皆が知っています」
彼の言葉が突き刺さる。
二度目も三度目も彼を巻き込まなくて良かった。
彼はレティシアと拘わらなかった人生で、自分の夢を果たしたのだろうか……。
今回は母、息子ともども幸せになって欲しい。




