28 リーンハルトとの関係
ノックをすると「どうぞ」と入室を促す声がした。義弟の声は記憶のあるひくいものではなく、子供の高く澄んだ声。懐かしい。リーンハルト……。
レティシアが部屋へ入るとまだ幼さを残すリーンハルトがぎょっとしていた。さらさらで柔らかそうな金髪が陽光をうけきらきらと輝く、驚いて大きくみひらいたアイスブルーの瞳が愛らしい。
「どうしたんだ? 流感でねていたんじゃないの?」
寝巻姿にガウンを羽織ったレティシアの元に彼が駆け寄って来る。
「うん、もう熱はさがったから、大丈夫」
「大丈夫なわけないでしょ? ふらふらしているじゃないか」
そう言って、まだ小さく華奢な体で、レティシアを支えようとしてくれる。義弟が優しい。そう彼は基本優しい子なのだ。
「リーンハルト、今までごめんなさい。あなたにひどい事ばかりしてきたわ。初めての茶会で、私が転んだとき、あなたが助け起こそうとしてくれたのに、ひどいことを言って、あなたの手を打ってしまった。本当にごめんなさい。それにあなたにフォークを投げつけて頬を傷つけた。痛かったでしょう」
レティシアは跪いて謝った。たっているより、跪いた方が楽だったからだが、リーンハルトはそうは取らなかったようで、
「姉さん、やめてよ。顔を上げて。それにフォークってなんのこと?」
リーンハルトが青く澄んだ目を瞬く。
(ああ、そうか、このリーンハルトには、過去の過ちをすべて詫びることは出来ないんだ)
レティシアはそんな簡単な事に今更気付く。彼の白皙の頬を傷つけたあの出来事は、もう許しを乞えないのだ。体がまだ辛いので、地べたに額をつけて謝るレティシアの頭をリーンハルトが小さな柔らかい手でしきりと起こそうとする。
「それに、私、あなたのお菓子やデザートを勝手に食べたりして、本当にごめんなさい」
我ながら彼にはひどいことをしてきたと思う。そういえば、ミザリーにはそんな仕打ちをしたことはなかった。
(あれ? リーンハルトの方がよっぽど私の被害をうけていたの?)
なぜか義弟に対しては執拗にむきなって突っかかっていたような気がする。
「何を言っているんだ。姉さん、僕たちは姉弟じゃないか。別にそれくらい構わないよ」
真摯な様子で言ってくる。
「ありがとう、こんな私を姉とよんでくれて」
リーンハルトは優しくて心が広い。拍子抜けするほどあっさりと許してくれた。肩の荷が少しおりたと同時にレティシアはそのまま具合が悪くなって意識が飛んだ。
その後、レティシアの流感はぶり返す。前回とは違う展開だ。
しかし、頻繁に見舞いに来てくれたのはミザリーではなく、リーンハルトだった。
「リーンハルト。来てくれるのは嬉しいのだけれど。あなたに風邪がうつってしまうわ」
彼は義父母からもそう言われているはずだ。しかし、その義父母にしてもレティシアの様子を心配して見に来る。
「大丈夫、すぐに出て行くよ。今日は綺麗な花がさいていたから」
そう言って、リーンハルトがスイートピーを持ってきてくれた。
「ありがとう本当に綺麗」
淡いピンクの繊細な花びらに、甘い香り。気持ちが癒される。
「じゃあ、姉さんまたね」
陽光にきらきらと彼の金髪が輝き、天使のような笑みを浮かべ、部屋から去って行く。もっと早く謝ってリーンハルトと仲良くしていれば良かった。本当に可愛い義弟。
早速アナが花瓶に花を活けてくれる。
「嬉しいわ。お姉様ではなく、今日はリーンハルトがお花を持ってきてくれたのね」
するとそれを聞いたアナが、窓辺にさす明るい朝の陽ざしの中で、くすくすと笑う。
「違いますよ。お嬢様、お花はずっと坊ちゃまが持ってきてくださっていたんですよ」
「え?」
「ふふふ、ミザリーお嬢様が持ってきたことにしてくれって言われていたんです。でも、もうその必要もないですね」
――知らなかった。リーンハルト、本当に、ごめんなさい。私は大切にされていたのね。それなのに、どうして今まであなたに何も返さなかったのだろう。いつも自分のことばかりで。
本当は怒っていなかったのね。傷つけられた貴族としてのメンツを守っただけ。あなたは一族の跡取りなのだから、それは当然のことで。義弟の優しさに、ちっとも気付かなかった。
レティシアは、ぽろぽろと涙がとまらなくて、アナを困らせた。
流感がすっかり良くなり、体力が回復すると、レティシアは食堂に降りて行き、みなと食事をともにした。
すると、義父母も義弟も驚きに目を瞠る。
「レティシア、いつの間にお作法が身についたの?」
前回の努力がここで生きるとは思わなかった。本当に自然に身についた所作だ。突然行儀の良くなったレティシアに家族が不信感をもつのではとどきどきする。
「私も、しっかりしなくてはと思いまして。あの、お父様お母様、リーンハルト、それにお、お、お姉さま、これからも宜しくお願い致します」
ミザリーによろしくというのはかなり心理的に抵抗があったがそこは頑張った。みな喜んでくれる。しかし、ミザリーだけが微笑みながらも少し顔をこわばらせていた。
レティシアはスープを口に運びがらも、ミザリーの様子を注意深く観察する。視線に気が付いた彼女と目が合った。その瞳に、一瞬レティシアに対する嫌悪の色が浮かんだように思う。
「ごめんなさい。ちょっと頭が痛くて。風邪かしら。レティシアを看病していたら移ったのかも」
と困ったように眉尻を下げると食事の席から中座した。
優しい笑顔ではあるが、もうこの時すでにミザリーから嫌われていたのだと確信した。




