ローマ人再考
過去扱ったものですが、さらに詳細な研究がされたので再び触れたいと思います。結論から言えば面白くも何とも無い…。欧州はすべてイギリスと似かよったものになります。分かりやすく言うと弥生人と縄文人にもう1つ新しい民族が居るって感じです。日本でも正確には3波だといわれててあるかもしれません。
ただ日本は3つ目が難しい。現代の結果から3つの波があると言う分析になっただけで、その時代を詳細に知る事は出来ないのです。2つの可能性として、縄文時代後期の海洋民。これは妄想じゃなくてネズミの伝播に中国名南部から4000年前と言う中途半端な時期が出ています。
これらに縄文弥生とする形と、もう1つは弥生縄文に対して近畿の古墳時代の別の流入です。後者のケースでもネズミも上手く説明できて、それまで中国南方が占めていた半島をそもそも個体数が少なかったため北部からのネズミに駆逐されたと出来ます。半島に居ないからと直接船で来なくても良いです。必ずしも海洋民である必要は無い。
私が考えるのは、すでに半島で縄文人と弥生人は混合してて、これらの混血が最初に日本に広がったため第3の波になって、次に古墳時代に主に中国東方部からの金属器集団が渡来したと見ています。海洋民も同時に説明できます。半島で混血した縄文人が海洋民だったと見て良いからです。
純粋な弥生人が居ないってのが私だけの個人の説です。それと言うのも小数ならいますが、かなり早い時期から混血が多数派を占めてるのです。実際純粋な弥生人が大量に出てきたら変わりますけどね。私はこれが古い定説による思い込みなんじゃないか?と見ています。ただ半島に縄文人に近い集団がいたのは間違い無いですが、その集団が日本から渡航した集団なのか?はまだなんとも言えないです。
確かに古代に日本と半島に分かれて住んだ東南アジア系ってのはありえます。ただほとんど遺跡が見つかってなくて細々それらの集団が生き残ってきたと考えるより日本から移住したのでは?の方が自然だってだけです。日本も3波だった可能性はかなり高いですが、問題はその時代は明確じゃないって点です。
欧州はその点単純です。古来に住み着いたクロマニヨン系。これは正確には2回の伝播があります。父系なら簡単です。日本人と近縁なC1A系とサミー人がその子孫であるI2系です。後は新石器時代の農耕民であるアナトリア=トルコ農耕民。そして現代欧州人の主たる遺伝子である。クルガンを代表とする草原牧畜民です。
ただこの第3の波金属器技術も持ってきています。だから日本の古墳時代と良く似ています。天皇系がそれらを支持母体としたのか?または近畿にを天皇家がそれらの先端技術集団を集めたのか?は分かりません。ただ狩猟採集、農耕、金属加工というのは文化の流れとして似てるのかと思います。
ローマ人も大枠ではこの欧州のどこにでもあったパターンと同じです。ローマだけの特徴を見ると、ザクロス山脈のイラン農耕民の広がりが大きいです。これはアナトリアが欧州全土の広がりだったのに対して、イラン農耕民は東部中央部にとどまってる点が特徴的です。元々のローマ人は典型的なビーカー人と良く似たカスピ海やや南部のステップ草原集団です。
ただその後ギリシャや中東などの当時の先進の文化国からの大量流入で遺伝的に変わってしまったと言う点です。これはかなり重要で。何故シーザーは同系統のゲルマン人を全く遺伝的にも異なる民族だと見たか?でこれなら当然です。当時シュメールやエジプトで先行していた中東圏と遺伝的に似たギリシャの影響を遺伝的に強く受けたからです。
ギリシャも言語的には印欧語族ですが、母系の遺伝を強く受けて中東系に近い集団に当時なっていました。ギリシャはトルコ帝国で遺伝的に変化したといわれてますが、これは間違いです。元々中東系の血が濃いだけで一部の支配集団が印欧語族だっただけだと古人骨の調査から見ています。
中央アジアに移住した集団はアナトリア農耕民とイラン農耕民の混血ですが、どうも欧州は西に行くほどイラン農耕民の影響が少ないようです。おそらく本来はギリシャまででしょう。それがローマの発展でギリシャからの移住者が多くて遺伝的影響を受けたと見ています。ローマがギリシャの文化的後継だったのは良く言われてる点なので。
時代の変化後との人骨の調査があり、ローマ発展後にイラン農耕民の影響が高くなるので、新石器時代の移住では無いです。
その後大きな変化を起こすのですが、ローマ帝国崩壊後のゲルマン民族の移動ですっかりと他の地域同様ビーカー人に代表されるような集団の色が強い地域に変化していきます。ただローマ時代にアフリカなどの影響もちらほらあり、小数の他地域と違う地中海地域全域や中東系のローマ時代の影響は残ってることは残っています。
後はちらほらあるノルマン人=バイキングの影響ですね。ただ正確にはバイキングではないそうです。あくまでフランス北部のノルマン地方と似た遺伝的な影響が現代のローマ人やイタリア全体にあるようです。
スペインと違ってレコンキスタ前後のイスラム圏の影響は余り無いです。
根本的にはバイキングは3集団の混合集団なのでその割合以外大きな違いはありません。だから現代と違う決定的な部分はやはりゲルマン人の移動の時期だと思います。ギリシャの調査ではなかったので分かりませんが、現代でもイラン農耕民の影響があったなら今のギリシャは多分他の欧州とやや違う遺伝集団なのかな?とは思います。
元々クロマニヨンが中東発だったと思うので、他の集団も合わせて広義ではコーカソイドとして中東まで似たような集団だと思います。日本の縄文人と弥生人ほど異質な集団の混合では無いと思います。当時すでに北部集団と交わっていたので、復元顔から現代のアマンダン諸島のD系と同等の縄文人がいたとは思いません。
その点日本ほど劇的な変化があった混血じゃないので地味ではありますけどね。金属加工集団と農耕民の肌の色の違いぐらいかと思います。