第五話
演習中、さすがにもう終えた方がいいと考えたのか、アイドさんが軽く手を挙げた。
「……一度休憩にしましょう」
その言葉を合図に、アイドさんが魔術を使って出していた、リアルな魔物の姿が一瞬にして消える。アイドさんが魔術を解いたのだ。途端、私の身体から一気に力が抜けた。
「情けないですね、マドカ。これが実戦なら、あなたは死んでいたかもしれませんよ」
「うっ。そうですね。すみません……」
事実なので素直に謝ると、今度はアイドさんが「それに」と話を切り出した。
これはお説教コースかもしれないと、顔が引きつるのがわかる。案の定、アイドさんは私の銃の握り方について文句を言い始めた。
「マドカは相変わらずすぐにきちんと銃を構えることができていませんね。銃を構えようとするとき、一瞬、最初の頃にしていたような握り方をしようとしていたでしょう。あの握り方をどこで知ったのか知りませんが、あれだと的に当てにくいと散々注意しているのに。今はなんとか身体能力面で補うことができていますが、ちゃんとした握り方を習得しないと、いつか敵に隙をつかれて最悪死にますよ」
アイドさんの指摘はもっともなので、教えてもらった銃の握り方を思い出しながら必死に話を聞いていると、ユークが「そこまで」と口をはさんできた。
「アイド、そこまでにしてやれ。今は休憩時間だとアイドが言ったのだろう。少しはマドカを休ませてやったらどうだ」
「ですが、ユーク、すぐに指摘しなければ、マドカは次にいかすことができません」
「だが、今の疲れている状態では、身に着くものも身につかないだろう。思うように手を動かしにくいのだから」
ユークに言われ、アイドさんは「わかりました」と引き下がった。友人と言っても、アイドさんはユークに逆らえないのかもしれない。もしくはそれほどユークを信頼しているから、ユークの言うことは正しいと思い、従うべきだと判断したのか。
ユークはアイドさんに「わかってくれたようで感謝する」とお礼を言うと、私の方を見た。
「マドカは向こうで休んでいてくれ。ルーシェがお菓子を用意してくれたらしい」
「ルーシェさんが来ているの?」
ルーシェさんとは、銀髪に褐色肌の青年だ。彼は先日行った魔道具店の店員のようで、彼もまたユークの友人らしい。前回行ったときには用事があったようで会えなかったが、その次の日の練習の時、ユークに用があって来ていたので紹介されたのだ。以来、ユークに用があるとき限定だが、この空間にやってくるようになった。彼はお菓子作りが得意らしく、来るたびにお菓子を差し入れてくれるので、今回も彼のお手製だろう。
ユークは「あぁ」と頷くと、彼がいると思われる端の方を指した。
少し遠いので顔ははっきりとわからないが、銀の髪にあの肌の色はおそらく彼だろう。
「今日は動物の形をしたクッキーだそうだ。ジェイに頼まれて作ったらしい」
「ジェイ、動物が大好きみたいだもんね」
ルーシェさんは魔道具店の店員なので、ルゥに会いに来るリラたち姉弟とも知り合いらしい。彼女たちに頼まれてお菓子を作ることはよくあることなんだそうだ。
ルーシェさんたちのやり取りを想像すると、微笑ましい気分になる。こんなことを考えていると、一時的にでも「記憶を失っていくこと」を考えなくて済むので、気が楽だ。
ユークに「私はアイドに用があるから先に行っていてくれ」と言われたので、私はウキウキしながらルーシェさんの元へと駆けていった。
ルーシェのもとに走っていくマドカを確認した後、私はアイドの方を見る。
「今晩、大丈夫か」
「……マドカの事について、ですね」
「察しが良くて助かる」
今知りたいことはまず、マドカの練習成果だ。私は彼女の指導をしていないため、それが一番わかるのは、彼女を直接教えているアイドだった。
それだけならここで話をしても問題はないが、他にも話さなければならないことは多くある。そしてそれはここでは話しにくい内容だ。だから、アイドに時間があるか確認する必要があった。
「……ところで、話はそれだけではないですよね?」
私にはまだ用があると確信した言葉に、さすがの私もたじろぐ。やはりアイドには私の考えがわかってしまうようだ。
「あぁ。実はその、マドカの事なんだが」
「? その話は今晩話すのでは?」
なぜかここでは鋭さを発揮しないアイドに、私は話しにくいという気持ちを何とか押し込め、説明し始めた。
「そのことではなく、実はマドカに……名の由来について説明されたんだ」
「は?」
予想外と言わんばかりに、アイドは素っ頓狂な声を出した。いつもの隙を見せようとしないアイドにしては、珍しい表情だ。
「その、マドカは意味を知らずに話したんですよね?」
「たぶん、な。私も由来を話されたときは、ここが異国だからとそんなことすっかり忘れていたし、あとになってその意味を思い出したんだ」
「忘れてはだめでしょうよ……」
呆れてため息をつくアイドに、私は何も言い返せなかった。
私の祖国で知られている言い伝え。それは、名前はその人自身を表し、他人に本当の名前を教えるということは、その相手を信頼していることの証だというものだ。
だから私やアイド、ルーシェは、お互いに長い本当の名を知っているが、マドカたちには愛称しか教えていないのである。
けれど、他国ではそうではないらしく、マドカの出身もおそらくそうなのだろう。マドカが自身の名前を偽っているような様子は見られなかった。そのため、マドカは本当の名前を名乗っていたとわかる。
それほどまでにわが国では名が重要だと考えられているが、当然、名前の由来を教えることに関しても重要視される。
わが国では、自身の名前の由来を教える相手は、配偶者のみとされる。つまり、結婚相手だ。
本人に名付けた親類が由来を知っているのは当然だが、本人が自ら教える相手は結婚相手のみである。そのため、親友相手にも教えない。私はアイドやルーシェとは親しいが、彼らの名の由来までは知らないのだ。
つまり、マドカは知らず知らずのうちではあるが、私に求婚したようなものなのだ。
「マドカは異世界人です。今回の場合には当てはまらないと思いますので、おそらく大丈夫でしょう。それにこちらが由来を話したわけではないのでしょう?」
アイドの言葉に「それは大丈夫だ」と頷く。
「ならいいです。ですが、話はまだ終わっていないんですよね?」
「あぁ。実はマドカがその由来を話した時のことだ」
マドカが自身の名前の由来を話した時を思い出しながら話す。名前の由来の意味については伏せたが、そのとき、マドカの様子がどこかおかしかったことを説明した。
「なぜか悲しそうな顔をしていたんだ。私たちの国のように、名の由来に何か言い伝えのようなものがあったりするのかもしれないが、それについては正直わからない。聞いたところで教えてくれるかわからないだろうが」
「だからマドカを元気づけたいのですね」
本当にアイドは私の考えていることがすぐわかる。もしかしたら私がわかりやすいだけかもしれないが。私は頷くと、アイドは一つの提案をした。
「一般的にですが、何か贈り物をするでしょうね。もしくは本人が楽しいと思うことをさせる。例えば、美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見たり。贈り物の場合も同じです。本人が好きそうなものをあげる。例えば男性なら仕事に使えそうなものや趣味のもの、女性なら服飾関係や花と言ったものですね」
「なるほど」
納得し、マドカが好きそうなものを思い浮かべようとする。だが、すぐに気づく。
私はマドカの好きなものを知らない。好きなものだけではない。嫌いなものや、彼女の国、趣味や家族の事など。せいぜい私が知っているのは、名前とその由来、それと異世界から来た聖女だということくらいだ。
「どうかしましたか?」
黙り込んだ私を心配そうに見るアイド。見破られるとはわかってはいたが、私は曖昧に笑ってごまかした。
私はマドカについてよく知らない。だが、それは大した問題ではない。これからマドカの事について知っていけばいいのだから。
そのときはそう思っていた。のちにマドカの置かれている状況を知るまでは。