第四話
ルナーツェ国の王は冷酷で、平気で部下を切り捨てる、優しさのかけらもない男だ。
彼が瘴気を広げる理由は、自身の指示に従う兵を増やすため。つまり、瘴気によって魔物化した獣等を従わせ、他国を滅ぼそうとしている。
他国を滅ぼすのは、大昔に彼ら魔族を虐げた国への復讐。それはゲームにおいても実際のこの世界においても、同じ。共通の認識だ。
……けれどそれは、あくまでも私が知っている「噂」である。
「……どう見ても、噂と違うよね……」
「何か言ったか?」
「いいえ」と首を横に振ると、ユークはそれ以上追及せず、「飲め」と私に水筒を手渡した。私はありがたくそれを受け取り、ごくごくと飲み干す。
今は戦闘練習の最中だ。あれ以来、数回ほど戦闘練習をしたが、特に彼は何もしてこない。むしろ、はっきりとした物言いはするものの、親切にしてくれる。実際以前も今も、私が言いたくないのだろうと判断すると、それ以上尋ねてこない。ただ面倒なだけかもしれないが。
最初は彼を瘴気の原因かもしれないと疑っていた私だが、この調子だとそうは思えない。それに噂に聞くような性格は見られないため、今の私の警戒心は最初ほどなくなっている。そのせいか、美奈子の仲間といるときのような張りつめた空気は一切なく、私自身も以前より明るくなった気がした。
「マドカ、もう休憩は終わりです。練習を再開しますよ」
「……はい」
「返事するときははっきりと」
「はい」
まるで母親のように小言を言う彼は、アイドさんという。彼はユークの友人で、私が以前倒れたときに運んでもらったあの家もアイドさんの家らしい。後日ユークに教えてもらった。
実を言うと戦闘練習に付き合ってもらっているのは、主にアイドさんだ。今私がいる場所は、戦闘練習のためにとユークが魔法で作り出した特殊な空間だ。それを作るのに結構な魔力を使うらしく、練習自体はユークが付き合うのは難しいとのことで、拳銃の扱いも知っているアイドさんに白羽の矢が立った。アイドさんは優しい見た目に反して結構厳しい人なので、そのおかげか順調に戦闘能力が上がっている気がする。
「準備はいいですか? では行きますよ」
彼の言葉を合図に練習が再開された。
「ごめん、ユーク。宿屋まで送らせるなんて」
ようやく練習が終わったころには、もう私の体はくたくたで使い物にならなかった。そのため、そんな調子だといつ魔物に襲われてもおかしくないとのことで、ユークが宿屋まで送ってくれることになったのだ。
「別に構わない。実は宿屋方面に行きたい店があるから、マドカを送るのはついでみたいなものなんだ」
「そうなの? ちなみにそれってどんな店?」
もしかしたら、魔王という立場と何か関係があるのだろうか。警戒心は薄くなったとはいえ、まだ彼を瘴気の原因ではないと断定したわけではない。何かわかるかと思い、私がさりげないふりをして聞くと、ユークは特に気にする様子も見せず教えてくれた。
「魔道具の店だ。魔道具を売っていたり、魔道具の鑑定や難しくなければ修理も行ってくれる。これでも私は魔術師だからな」
「え? ユークって魔術師なの?」
初めて知った情報に驚いたが、よく考えれば高度な魔術が使える説明がつかない。私は一方的に彼が魔王だと知っているから魔術が使えることも知っていたが、そのことを彼は知らないのだから表向きは魔術師と名乗っていても何もおかしくはない。
「お前、私が何度も魔術を使って見せたのに、なんだと思っていたんだ?」
「それはもちろん、魔――」
「魔王」と思わず言いかけ、すぐに口を噤む。ごまかすために浮かんだのは「ま、魔法使い?」という何とも間抜けな回答だった。ユークには「ほとんど変わらないだろう」と呆れた顔をされた。事実なので何も言い返せない。
「そ、それで、ユークはその店に何の用なの? 魔道具を買いに?」
無理矢理話を逸らすと、ユークは呆れた視線を私に向けたが、すぐに「魔道具の探索を頼んでいたんだ」と返ってきた。
「魔道具の探索、か。人に頼むほどだからよっぽど必要なものなんだね」
「まあ、な」
何の魔道具を探していたのか気になるが、これ以上聞くと詮索しているようでユークも嫌な気分になるかもしれない。そう思い、別の話題を持ちかけようとすると、ユークが「マドカも来るか?」と意外な誘いを持ちかけてきた。
「え? いいの? 邪魔じゃない?」
「別に大丈夫だろう。それに、会ってほしい奴もいる」
「会ってほしい奴?」
誰なのか気にはなったが、会いに行けばわかるだろうと思い、せっかくだから誘いに乗ることにした。
魔道具屋の見た目は、日本でいう骨董品店のような古めかしい雰囲気だった。
ユークに続いて中に入ると、中も同様の雰囲気だった。一般的な骨董品のようにいかにも古めかしくかつ高そうなものが、棚やテーブルに並べてある。うっかり当たって落としてしまいそうで怖いので、私はなるべく品物を見ないようユークの背中を見つめていた。
「店主、いるか?」
ユークがカウンターに向かって声をかけると、先ほど誰も立っていないと思っていたそこに、一人の老人がいつの間にか立っていた。
ユークは彼を見つけると、「マドカは好きに見ていていい」とだけ言って、老人と共に奥の部屋へと消えていった。
「どうしよう」
言われた通りに商品を眺めればいいのだと思うが、やはり落としそうで怖い。どうしたものかと考えていると、急にスカートを引っ張られ、私は思わず「わっ」と声を上げた。引っ張られた方を見ると、私が気付かなかっただけでずっといたらしい大きな犬がじっとこちらを見ている。どうやらこの犬がスカートをくわえて引っ張ったようだ。
「あれ? あなたどこかで……」
そこまで言いかけてすぐに思い出す。
この犬はユークと出会った日、魔物化して少女たちを襲おうとしていた犬だ。
前足にピンクのリボンをつけていたためわかった。おそらく、あの後誰かがピンクのリボンを拾い、再び巻き付けたのだろう。たぶん、あのときの少女たちだと思う。もともと、彼女たちがこの犬にプレゼントしたものかもしれない。
「えっと、確かあの子たちが呼んでいた名前は……『ルゥ』だっけ」
私が呟くと、犬はバウッと鳴いた。どうやらあっていたらしい。忘れやすい今の私がこの子の名前を思い出せたことに少し驚いたが、無事に思い出せてほっとしていると、入り口の扉が開いた音がした。そちらを見ると、あの時の少女とその弟らしき男の子が立っている。彼女たちは私に気づくと、「あっ!」と嬉しそうに近づいてきた。
「あの時のお姉さんだよね? ルゥを助けてくれた」
「……えっと、私一人の力だけじゃないけれどね」
あのときはユークの力もあり、何とか浄化できたのだ。それを伝えると、「でも助けてくれたのには変わりないよ」と少女と男の子は微笑んでくれたので、私もつられて笑顔になった。
「あのときは助けてくれてありがとう。ルゥのことも。元に戻してくれたのはお姉さんだって、ユークさんが教えてくれた。弟の怪我もたいしたことなかったし、お姉さんのおかげだよ」
どうやら、ユークから私の事を聞いたらしい。私は「あなたの方は怪我しなかった?」と尋ねると、「無傷です」と軽く体を動かして見せたので、私はほっとした。彼女たちが無事だったのなら何よりだ。
「それで、君たちはこの店に何の用で来たの?」
魔道具屋なんて、魔術関係の者ぐらいしか普通利用しない。日常生活で使う魔石などは雑貨屋等でも売っているし、子供が来るような場所ではないはずだ。
そう思って尋ねてみると、どうやら彼女たちはこの犬のルゥに会いに来ているらしい。なんでもルゥを拾ったのは少女たちなのだが、家では犬など飼えない。そこでたまたま出会ったユークが、この魔道具屋で飼ってもいいかここの店主に相談したらしい。結果、店主は了承し、定期的に少女たちはルゥに会いに来るんだとか。
「だからユークさんには感謝しているの。弟もユークさんのこととても尊敬しているし」
少女が男の子を見やると、男の子は嬉しそうに「うん!」と返事をした。
それから私たちはお互いに自己紹介をした。少女の名前はリラで、弟の方はジェイというらしい。
私の方はユークと知り合いである彼女たちに違う名前を名乗るのもおかしいと思ったので、本来の名である「まどか」という名前を伝えた。リラたちは「不思議な響きね」と言っていたので、こちらの世界ではやはり日本人名は違和感があるのかもしれない。けれど好意的な雰囲気ではあったので、私は少し嬉しくなった。
その後、ルゥを抱っこしながら彼女たちと雑談をしていると、ユークたちが戻ってきた。
その表情はどこか暗く、もしかしたら頼んでいたものは見つからなかったのかもしれないと思ったが、私たちの姿を見た後、その表情はすぐに驚きへと変わった。
「驚いた。ルゥがマドカにそんなに懐くとは」
その言葉に、今度は私の方が驚く。ルゥは最初から私に好意的だったし、抱っこも嫌がらなかったので、人懐っこいと思っていたのだ。
けれど、リラたちもユークの言葉に同意らしく、うんうんと頷いた。
「ユークさんもそう思う?やっぱりルゥ、マドカさんには懐いているよね。ちょっと妬けるな」
頬を膨らますリラに、「ご、ごめん?」と謝ると、「なんではてな?」とジェイが不思議そうな顔をした。
「まぁ、マドカさんはルゥを助けてくれた恩人だから、懐くのもわかる気がするけどね」
寂しそうなリラに対し何か思うことがあったのか、ルゥは私の腕から抜け出すと、リラの足元に擦り寄った。それを見てリラは嬉しそうな声を上げる。
「いいなあ、お姉ちゃん。ぼくもルゥを触りたい」
羨ましそうな顔をするジェイに、今度は座っている彼に近づいてぺろぺろと彼の手を舐めるルゥ。ジェイはくすぐったそうにしながらも、ルゥの頭を撫でていた。
「ルゥは優しいな。ならば私も癒してもらおうかな、ルゥ。実は仕事で疲れているんだ」
一瞬、ルゥの体がぴしりと固まった気がしたが、気のせいだったようだ。ルゥはゆっくりとユークに近づくと、ユークの前でちょこんと座った。それを見て、ユークが嬉しそうにルゥの頭を撫で始める。
そんなユークの目は優しく、まるで本当の家族を相手にするかのようにルゥに触れていた。その姿はどう見ても噂で聞く魔王の姿ではなった。
ユークが魔王であることは、ゲームの情報から判断して確実だと思うが、やはり彼が瘴気の原因だとは思えない。よく考えてみれば、彼が瘴気を生み出す原因だとしたら、大切だと思っているだろうルゥを傷つけ、利用していることになる。彼が裏でそんな残忍なことをするとは思えない。
私はこの人を信じてみたい。まだ出会って間もないが、私は心の底からそう思った。
「すまないな、結局送るのが遅くなってしまって」
あの後、結局長く話しこんでしまい、気づけば辺りは暗くなっていた。リラたち子どもをそのまま帰すのも危ないので、先に彼女たちを送ってきたところだった。
「別に構わないよ。それにユークが会わせたかったのってルゥでしょ? 私も元気そうなあの子を見られてよかった」
「そういってくれると連れてきた甲斐がある」
そう微笑むユークからは、本当にルゥたちの事を気にしているのだと伝わってきた。
ユークが私を連れて行くと決めたのは、私がルゥを気にしていたのもあるが、おそらくルゥ自身も私を気にしていただろう様子も関係していると思う。リラたちはルゥが私に懐いていると言っていたが、あれはたぶん、魔物を撃った私を心配してのことだったのではないかと思う。魔物は凶暴化しているとはいえ、全く元の意識がないわけではないと言われている。もしかしたら、あのとき震えながら撃とうとした私に、ルゥは理性を失いながらも気づいていたのではないだろうか。
けれど、それをユークに伝えたところではぐらかされるだけだと思うので、私はそれ以上何も言わなかった。
真っ暗な中、宿屋への道を二人で歩く。立ち並ぶ店に明かりはともっているが、街灯がないため、私の住んでいた都会とは違って辺りは暗い。この町に来てから二週間は経つが、いまだに慣れない。
けれど、この世界でも元の世界と変わらないものがあった。それは夜空に浮かぶ月だ。よく小説だと「月が二つある世界」というものが存在したりしたような気がするけれど、この世界の月は一つだ。そのせいか月を見ると安心できて、この世界に来てからの私はよく月を眺めるようになった。
私はつい足を止め、月を眺める。
「うん? どうした?」
ユークも私に合わせて足を止める。そして私の視線の先にある月に気づくと、「月か」と呟いて、私と同じように眺め始めた。
「聖女は確か異世界から召喚されると聞いた。マドカの世界にも月はあるのか?」
私自身は召喚されたわけではないが、「ゲームの世界」という差異はあれ、私の世界も美奈子と同じ世界なので、私は「うん」と頷いた。
「この世界の月も私の世界と変わらないんだけどね。でも、だからなのかな。月を見ると安心するんだ」
「たぶん、それだけじゃなくて名前に『月』っていう字が入っているのもあるかもしれないけれどね」と付け足し、そこで自分の名前の意味を思い出した。「まどか」という名前がどういう経緯でつけられたかを。
「『月』? 『マドカ』という名にか?」
ユークに尋ねられ、私は首を横に振る。
「『まどか』は下の名前で、『月』が入っているのは名字の方。ええと、この世界ではなんていうんだろう。ファミリーネーム?いや、英語だから違うかな……」
私がうんうん唸っていると、ユークには何となく言いたいことが伝わったのか、「家族を表す名前の方だな」と返ってきた。私はすぐに「たぶんそれ」と頷く。
「私の名前は『高月まどか』っていうんだけど、言葉にするとだいたい『高くて丸い月』みたいな意味になるんだ。名字だけだと『高い月』なんだけど、名字を気に入っている家族が『名字に合わせた名前を付けたいね』って言ったから、私の名前は『丸い』という意味がある『まどか』になったの。昔は『丸い』って意味の名前なんてどうなのって思っていたけど、今では響きも良いし、結構気に入っているんだ」
今の今まで忘れていたくせに、「気に入っている」なんてよく言える。この世界に来てから忘れやすくなったとはいえ、自分の気に入っていた自身の名前の由来すら忘れていたくせに。
心の中で自嘲していると、なぜかユークはふっと嬉しそうに笑った。
そんな反応をされるとは思わず、「何か私おかしなことをした?」と問うと、ユークは笑みを崩さず首を横に振って否定した。
「いや、してないから安心しろ。ただ、今のマドカが楽しそうに名について語るのを見て、本当に自分の名前が好きなんだなと思っただけだ」
そんなに楽しそうに話していただろうか。そんな疑問が顔に出ていたのか、ユークは「あぁ、楽しそうだった」と答えた。
「そんな風に自分の名前を嬉しそうに語るお前を見ていると、『マドカ』という名前を考えた人は本当に幸せだろうなと思う。自分の考えた名前を気に入ってくれたということだから」
ユークにそう言われ、そこまで言ってくれたことを嬉しく思うのと同時に、私は悲しくなった。
なぜなら、私は誰が「まどか」という名前を付けたのか思い出せないからだ。由来を知っているということは、おそらく誰が考えたのかも聞いているはずだろう。けれど、今の私は誰が自分の名前を考えたのか思い出せないし、その話を聞いた人物も思い出せない。
あからさまに暗くなった私に対し、ユークは心配そうに「大丈夫か?」と聞いてきたが、私はそんなことは言えず、すぐに「大丈夫」と笑顔を作った。
言えるはずがない。名前を考えた人物が誰か忘れているなどと。それほど、私の記憶がなくなっているなどと。
ユークの事は今では敵と思っていないし、彼の事を信用したいと思っている。それでも、彼を頼りにすることはできないだろう。こんなことを言っても、解決するわけではないのだから。