第二話
「……宿屋に戻ろう」
魔物を別の仲間に殺させてしまった罪悪感から逃れるように、私は射撃練習をしていた。しかし、使える魔力の量も残り少ない。このままでは倒れてしまうと判断し、私は戻る準備をする。
その時だった。子供の悲鳴が聞こえたのは。
今、私がいるのは街から近い森の中だ。普段なら安全だと言われている森だが、今のこの森は国を覆う瘴気により穢れていて、ここに住む動物たちは魔物化しやすいという情報が街に広まっていた。だから、大人たちは子供に森には絶対に行かないようにと注意していたはず。それなのに悲鳴が聞こえたということは……。
私は無意識に走り出していた。今の自分にできることなどないのに。それでもいてもたってもいられなかった。
思ったよりも子供は近くにいたようで、すぐに子供は見つけることはできた。しかし、明らかに魔物と思わしき生物と対峙している状態だった。
一人の幼い少女が弟らしき少年をかばいながら、必死に魔物に向かって叫んでいる。少年は左手を怪我しているようで、彼の手からは血が流れているのがわかった。
「やめて、ルゥ! なんで襲うの! いつもの優しいルゥに戻って!」
少女の言葉を理解している様子は全く見られず、魔物はグルルと唸りながら少女たちを威嚇していた。この様子だといつ襲われるかわからない。
私は思わず少女たちの前に飛び出し、彼女たちに向かって「逃げて!」と叫んでいた。本当は遠くから気づかれないよう魔物を撃った方がいいのだろう。しかし、少女たちの様子から察するに、この魔物は少女たちと親しい関係だったようだ。おそらく、本来は犬か何かの動物で、この森に迷い込んで瘴気に当てられ魔物化してしまったのだと思う。もしそうなら、少女たちの前で魔物を撃つのは彼女たちにとってショックかもしれない。それがたとえ浄化して元の姿に戻るためと言っても。
少女たちは突然の私の登場に驚いたようだったが、「この子は絶対に殺さないから!」と必死に返すと、少女は気にする素振りを見せながらも少年を連れてその場を去った。
残された私は魔物から目をそらさずに、そっと拳銃に手を伸ばした。
正直、当たるかどうかわからない。私にはまだ、生きているものを撃つことに対して恐怖心があるから。
けれど、あの必死に説得しようとしていた少女の表情を思い出すと、どうにかしてあげたいという気持ちのほうが強くなる。
落ち着いて、私。これは「浄化」だ。少女に言った通り、魔物は殺さない。つまり、私がきちんと当てれば、あの魔物は元の姿に戻る。死ぬわけじゃない。大丈夫。
手が震えているのがわかる。だけど、チャンスはおそらく一度きり。私が思い切り動いた瞬間、魔物は私に襲い掛かってくる。先ほど、私や少女たちが動いたとき、魔物が行動しなかったのは運が良かった方なのだ。
だから少しでもためらえば、今度こそ私は死ぬかもしれない。私は必死にあらゆる恐怖に耐えながら、チャンスをうかがった。
そのときだった。風が吹き、ピンクのリボンが舞ったのは。私はようやくそこでそのリボンが魔物の前足に巻かれていたという事実に気づいた。リボンは上手く巻かれていなかったらしく、あまり強くない風だったのにあっさりと魔物の足首からほどけた。
だが、魔物の注意をそらすのには十分だったらしい。魔物が風で舞うピンクのリボンを見上げた瞬間、私はなんとか自身を奮い立たせて銃口を向けようとした。
しかし私が引き金を引くのより早く、短い詠唱のようなものが辺りに響くと、突然魔物がばたりと倒れた。
驚きでつい手を止める。しかし、背後から聞こえた「撃て!」という声に、まだ魔物は死んだわけではないということに気づくと、私は震えそうになるのを何とか抑え、魔物に向けて引き金を引いた。
魔物の短い悲鳴が聞こえ、私は反射的に目を瞑る。けれど、もともと何者かのおかげで倒れていたとはいえ、浄化できたかどうかはわからない。私が恐る恐る目を開け魔物の方を見ると、白い光が魔物を包み、元の姿だと思われる大きな犬へと見た目が変わったのがわかった。どうやら浄化は成功したようで、私は安堵する。
「やはりな」
不意に横から聞こえた声に、思わずびくりと肩が跳ねる。見ると私よりも二十センチほど背の高い青年が、魔物だった動物へと近づいていき、動物の体を調べ始めた。声からして、先ほど詠唱して魔物を気絶させ、私に「撃て」と命じた人物で間違いないだろう。青年は腰ほどまでに長い金の髪を後ろで結んでいて、顔立ちも美奈子の仲間に負けず劣らず整っていた。
いつもなら、助けてくれたお礼を言ってその場を立ち去るところなのだが、何かが引っ掛かっているせいで上手く行動に移せない。まるで、私は彼の事を知っているような……。
けれど、会ったことがあるのならすぐにわかるはずだ。だとしたら私が一方的に見かけただけ?綺麗な顔立ちだから街中で見かけて印象的だったのかもしれない。でも、何となく違う気がする。
ぐるぐると考えていたのが悪かったのか、急なめまいに襲われ、私はその場に座り込んだ。
「予想通り、浄化されている……。おい、そこの女。おまえは一体……ってどうした?」
青年が近づいてくるのがわかる。けれど、私は彼の問いかけに応えることができずに、そこで意識を手放した。