第十話
マドカが眠ったことを確認し、一階の酒場に下りる。
リラたちの母親である女将に案内され、奥の個室へと足を踏み入れた。
もうすでには中にはアイドとルーシェの姿がある。私はルーシェと向かいに座っていたアイドの隣へと腰を下ろした。
「それで、ユーク様。マドカの様子はどうでしたか?」
「泣いたりはしたが、今は落ち着いて寝ている」
アイドは「そうですか」と安心した表情をすると、ルーシェの方を見た。
「それでルーシェ、魔道具について得た情報を」
「わかった」
頷いたルーシェが取り出したのは、誰かからの手紙だった。
「これは森の魔女からの手紙だ。ここには魔道具の情報と魔力を辿った末に辿り着いた犯人について書かれている。本当は魔道具についての情報を外部に漏らしてはいけないという約束があるそうなのだが、今回は仕方なしということで教えてくれた」
「効果についての情報も教えてくれなかったのは、そういう理由があったんですね」
「だったら最初から魔道具探索について私たちに頼むなという話だ」
森の魔女が魔道具を盗まれなければこんなことにならなかったという苛立ちが声に出ていたのか、アイドやルーシェの体が強張る。私を怒らせてはいけないと思ったらしい。私は謝ると、続けるよう促した。
「……まず、その魔道具を使うには代償があるらしい。それは使った本人だけではなく、入れ替わった相手にもあるようだ」
ルーシェの言葉に、マドカの話で聞いていた「記憶を失う」という話を思い出す。もしやこのことかと思い、「記憶を失うことだったりするのか」と問うと、アイドが驚いた顔をした。
「まさか、マドカは記憶を失っているのですか?」
「あぁ。自分の事が思い出せなくなっているらしい。今は少し思い出しているようだが」
先ほどのマドカの様子を思い出すと胸が痛む。自分の事を忘れていくことに対し恐怖や不安を抱き、今まで頑張ってきたマドカ。私たちの前では普通に接しようとしていたことを考えると、彼女を心から守ってあげたくなった。
「おそらく、記憶を失うというのはだいたいあっている。だが正確に言うと、『自身の記憶がなくなり、その体の持ち主の記憶へと変わっていく』というのが代償らしいが」
「『その体の持ち主の記憶へと変わる』?」
私とアイドの声が重なる。
「森の魔女の手紙にはそう書いてある。マドカは別人の記憶があるかについて言っていないか?」
ルーシェに聞かれ、私は首を横に振った。
「そんなことは言っていないと思うが。ただ、マドカはあの体の持ち主『ミナコ』を物語の主人公だと言っていた。物語で説明されているミナコについての知識ならば、もともと知っていてもおかしくはない。だから、別人の記憶だと思わなかったのではないかと」
「『物語の主人公』というのはどういうことか理解できませんが、ユーク様の言っていることの可能性はありますね」
「……今ユーク様の話を聞いてふと浮かんだ考えがあるんだが、良いか?」
ルーシェが挙手したので、発言を促す。ルーシェは手を下ろすと、「推測なんだが」と説明し始めた。
「以前、魔道具を使って入れ替わるには、相手と共通する部分がないといけないと言ったと思う。あくまでも俺の考えなんだが、その共通部分っていうのはもしかして、『聖女であること』なのではないか?」
「『聖女であること』? 聖女は普通一人では?」
アイドが疑問をぶつける。だが、私は思い出したことがあった。
「聖女自体は一人だが、聖女の素質があると判断される浄化能力を持つ少女は、実際には複数人いると聞いたことがある。つまり、何人もいる聖女候補のうち一人を国が選ぶんだ。もしかしたら召喚されたミナコは、国によって選ばれたうえでこちらに呼ばれたのかもしれない」
「だからもしかしたら『聖女の素質のある人間』という部分が、そのミナコとマドカに共通していたのかもしれないと考えた。もしマドカが聖女の素質がある人間なら、今でも記憶をなんとか保ち続けていられることに説明がつく。聖女には、外部から受けたものを『害』だと判断した場合、できるだけ守ろうとする力が働くと聞いたことがあるしな」
逆に考えれば、聖女でなければマドカはとっくに記憶をなくし、「ミナコ」へと変わっていた可能性がある。その可能性を考えるとぞっとした。
「それに、魂と肉体の魔力の質が違えば、いくら体が聖女でも浄化能力が使えないはずですよね。それなのにマドカは撃つことのみとはいえ、浄化することができていた。聖女の素質があると考えたほうが自然です」
二人ともマドカが聖女だろうという意見で一致していたが、重要なのはそこではない。入れ替わりを元に戻し、魔道具を返すことだ。
「マドカが元に戻る方法はあるのか?」
私が疑問を口にした瞬間、しんと静まり返った。その様子を見て、最悪の可能性が頭をよぎったが、ルーシェの「一つだけある」という言葉に、すぐさま反応した。
「本当か?」
ルーシェは「あぁ」と頷いた。
「入れ替わったうちのどちらかで良いんだが、自分の名前を思い出している状態で、その魔道具を使うことが、元に戻る条件だそうだ。魔道具は腕輪らしいんだが、その腕輪を付けた状態で魔力を込めればいいらしい」
「そうなると問題は……」
「魔道具の場所、ですね。ルーシェ、犯人は誰なんです?」
先ほど森の魔女の手紙には犯人が記されていると言っていた。ルーシェも当然知っているのだろう。
「……魔力を辿った結果わかったのは、その残されていた魔力が王宮魔術師に値する魔力の持ち主ということ。そして、王宮魔術師は当然、城の外には基本出ない。つまり……」
「どう考えても聖女の護衛の一人である魔術師が怪しいですね」
アイドの言葉に私とルーシェは同時に頷いた。
「魔道具もその魔術師が持っているだろう。だから何としてでも取り返さなければ」
そしてマドカの魂を元に戻す。そしたらきっと、マドカは幸せになれるだろうから。
町の小さな宿屋の一室に、二人の青年がいた。
一人はこの国の第一王子、ジョルジュ。もう一人は黒いローブを身にまとった王宮魔術師のアンリだった。
この部屋には念のため結界が張ってある。そのため、誰かに話を聞かれるような可能性は全くなく、二人は向かい合うように座って話を進めていた。
「今日の様子で理解できただろう。あの女は何とか浄化できてはいたが、利用するには力がない」
「そうだね」
二人は今日の森での出来事を思い出す。人助けに乗じて、彼女の実力を調べようと森に連れて行ったが、あの様子だと彼女では国王陛下の下した命を達成することはできないだろう。
国王陛下の命とは、瘴気の原因を魔王に仕立て上げ、それを理由に魔王を倒すことである。聖女を召喚したのは、そんな魔王を倒し、のちに戦争の士気を高めるためだ。
もちろん、それ以外にも理由はある。優秀な魔物にはならずに知能が低いままの魔物や、濃すぎる瘴気のせいで魔物と化してしまったもの、そういった者たちを浄化する、いわば後始末も彼女に任せるつもりだった。
正直なところ、浄化能力があり、かつ利用しやすいものなら誰でもいいのだが、あの女はさすがに能力が低すぎる。おまけに暗すぎて接しにくく、利用しようとする気も起きない。うわべだけはなんとか取り繕っているものの、あの女とは関わりたくないとジョルジュは考えていた。
「さすがに今日の出来事でよくわかったよ。あの子は役に立たないって」
「ならば、俺がどうしようと文句は言わないな?」
「勝手にするといい」
このアンリという男は、正直ジョルジュには理解できなかった。ラルフはまだ若いからミナコに惚れて彼女に優しくしていたのはわかる。オスヴィンの行動も、国に雇われた人間だから、上手くミナコを誘導して浄化させようとしているのは納得がいった。だが、このアンリという男はどうもミナコを神格化している。
アンリが意識を失ったミナコを部屋に運んだ時のことを、ジョルジュは思い出した。あのとき、アンリはすでにミナコに協力し、森の魔女から魔道具を盗んで使ったことでミナコとあの女の魂は入れ替わっていた。怒って理由を問うと、「ミナコが一時的にでも元の世界に帰りたいと言った。期間は一月だから問題ない」と返ってきた。さすがのジョルジュもその言葉に呆れた。そんな理由でそんな行動をしたのかと。国王陛下からの指令はどうなるのかと。
だが聞けば、入れ替わった相手も聖女の素質はあるという。結果はひどいものだったが。そのため、無意味にこの町で時間を消費した。一月経てばミナコが戻ってくるからそれまでは我慢しろとアンリに言われ、仕方なく従った。この件は国王陛下にも伝わり、なぜか陛下本人が受け入れたからだ。国一番の魔術師であるアンリには、陛下も逆らえなかったのだろう。結局はアンリ自身が一月も待つことができず、今こうしてミナコを呼び戻そうとしているが。
あの女が利用できればミナコを待つ必要はなかったのにと、ジョルジュはため息をつく。オスヴィン辺りはあの女を気にしていたようだが、結局手助けしていない時点でミナコの方がまともな働きをすると判断したのだろう。あの女の印象は最後まで仲間内で変わることはなかった。
「では、あの女のすべての記憶を消す」
そのため、彼女がどうなっても構わないと、ジョルジュは頭の中で呟いた。だからこれは単純な疑問だ。
「なんでそんな面倒なことするんだい? 魔道具を使って入れ替わればいいじゃないか」
「昨日の宿での件、覚えているだろう。あの女は今まで俺たちの名前を忘れていたはずなのに、思い出していた。つまり、『ミナコ』という存在に近づいている。そうなったとき、魔道具を使っても魂が体に少しでも定着していたら失敗に終わるかもしれない。ならば魔道具を使わず、いっそあの女の魂の存在を消して、召喚術でミナコの魂を呼び戻した方が確実だ。だがさすがに魂のみを消す方法は知らないからな。まだ残っているあの女の記憶を消せば、ミナコの魂を呼び戻しても自然に融合するだろう。本当はわずかな魂の残滓ですら残したくないが」
「ふうん」
聞いた後にどうでもいい話だったとジョルジュは気がついた。そのせいで返事もいい加減なものになる。だが、アンリは気にしていないようだった。
「ではここで失礼する。俺は今からあの女の元へ向かう」
「もう朝になるし、寝たらどう?それに彼女、宿にいないんだろう?」
遠回しに自分は今寝たい、だから巻き込むなという意思を込めてジョルジュは言うと、アンリはふっと笑った。
「大丈夫だ。見当はついている」
瞬間、一瞬にしてアンリの姿は消えた。
そのとき、黄色い何かがきらりと光ったような気がした。




