プロローグ
もう、疲れた。
男の感想はそれだけだった。
三十年という月日は、男から若さを奪い、家族を奪い、気力をも奪っていった。
初めは金になるからと始めた傭兵稼業、同じ日にギルドに登録した友が死に、同じ戦場で笑いあった仲間が消え、同じ歳の男女が引退し、いつしか自分を深く知るものはいなくなっていた。
男は決して強くはなかった、只ひたすらに、死なぬよう、目立たぬよう、必死になって生き抜いただけであった。逃げることだけが得意であった。
そして、気が付けば三十余年。
勝馬に乗ったこともあった、戦いにすらならない戦場もあった、裏切られた事も、裏切ったこともあった。
だが、それももう古い思い出。
男が産まれる前から続いていたという戦争は、なんの拍子かあっさりと終わりを告げた。
男は困惑した。金の為に始めた筈の傭兵稼業は、いつしかそれ自体が男の生きる意味に変わっていた。
故郷には待っている者も居らず、戦後報酬として貰った金貨は、死ぬまでに使い切れるかと言う量になり、最後の戦場に立つ前に新調した武具は、一度も使われず新品のまま。
改めて思えば、傭兵以外に出来ることなど無く、財産を遺す相手も思い当たらず、本当に自分には何も無いのだと突き付けられる。
いっその事、何処かの田舎に家でも買って過ごそうか。
家を買ってもなお懐に余る金貨があれば、死ぬまでは暮らせるだろう。この金で奴隷を買っても良いな。
決して前向きでは無く、後ろ暗い考えを浮かべながら歩く男の耳が、小さな、本当に小さな泣き声を捉えた。
早足で声のする方へ向かった男が見たのは、背中を大きく斬られた女性の姿。そして、大切に抱えられた小さな赤ん坊。
戦場ではよく見た光景だ。しかし男は既に傭兵ではなく、彼女は敵でも味方でも無い。
助けたい。
それは、男に初めて生まれた感情だった。
脈を見ると、まだ生きている。男はすぐに薬草を噛んで女性の背中に貼り付け、包帯でぐるぐると巻いた。
自身の外套を切り裂き、背負紐にして女性を背負い、赤子を大事に胸に抱いて、近くの村に歩き始める。
金の使い道は、決まったなあ。
男は現金な自分を笑いながら、しっかりと大地を踏みしめた。
この出会いこそが、自分が歴史に残るきっかけになるなどと、男は生涯知らないままで。
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後の歴史家は、謎多き傭兵、「負けずの敗者」について頭を悩ませた。
功績は無く、有名であった訳でもなく、しかし、歴史の分岐になったであろう大きな戦においては、必ず参戦していた記録が残っている。
常に戦いを求めていたという記述がある。
最高の傭兵であったという記述がある。
最低の臆病者であったという記述がある。
生き汚い男であったとも、死に場を求めていたとも言われている。
この男の事が解らない、解らないがただ一つ、確実に伝えられている事がある。
それは、彼の孫娘、絶剣の英雄が日頃から言っていたという言葉である。
―あの人こそ、最高の父であり、最愛の祖父であり、最強の師だった。私の全ては、お祖父様に与えられたのだ。
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これは、傭兵という仕事が、便利屋と呼ばれ始めた頃、平和になりつつある世界で巻き起こる、一人の少女と、それに関わる人々の物語。