02
怜司は一晩、ほんまに何にも考えてへんかったと思う。ほとんど話らしい話もせず、ひたすらやってた。
それは、俺らの場合、いつものことやった。
人にも妖怪にも相性っちゅうのはあるもんで、怜司と俺は異様に体が合うんや。怜司にとっては、そういう相手は珍しいらしい。不感症までは言わんけどな、いろんな相手と寝るくせに、なんのバチが当たってんのか、あんまり悦くはなられへんらしい。
そやから、あんまり慣れてへんのや。気持ちええのに。
いつも、つんけんして冷たい奴やけど、抱き合って燃えると違う。ちょっと感じてくるだけで、なんかめっちゃ可愛いねん。
それもあいつの手管なのかもしれへんのやけど、正直言って俺はメロメロ。
そもそもあいつと寝たことある奴で、怜司に惚れてへん奴はおらんやろう。たぶん。おらんと断言してもいい。いろんな奴が、怜司と寝とうわ。
その中でも、俺は格別やと怜司は言うてる。この千年で一番くらい体が合うって。たぶんほんまや。
俺は啓ちゃんに、探りをいれてみた。甲子園の家で長年、筆頭の座を守ってきた氷雪系のメガネや。啓ちゃんは、怜司に惚れてる。あいつら時々二人でどっか旅行とか行っとうで。マジむかつく。
その啓ちゃんが、怜司はあんまり乱れへんて言うてた。布団の中でも品があるて。節度っていうんか。
へええ。節度ねえ。ふうううん。なるほどねええ。
俺と寝るときの怜司に節度なんかないけどなあ。別に下品な訳やないけど、あいつは乱れる質や。いよいよ極まってくる頃合になると、こいつ息してへんて心配になるくらいや。終わった後も放心状態や。死んでんのかとビビる。
それがまた、ええんやけど。
でも、それがまた、怜司が俺と度々寝たがる理由かと思うと、複雑な気持ちになる。
怜司が用があるのは、俺の体だけで、俺やない。あいつは一発やってスカッとしたいから、俺が呼んだらドア開ける。ただそれだけで、単に抜きたいだけなんやないのか。
そういうのってなあ。それはどうやろ。
あいつは俺を好きな訳やなく、俺は単に、都合のいい虎か。呼んだら来るし、手軽に食える、ピザの宅配みたいなもんなんやろか。
白いシーツに包まって、そう考えると、ピザが何枚も脳裏をチラついた。電話一本で、いつでもお届け……。
ああ。腹減ったなあ。
怜司の寝室には窓が一個もない。時計もない。そやけど俺の腹時計は間違いなく朝やと言うてた。
昨日、リビングで一発やって、怜司がもっとやれと言うから、ベッドにいって、三回くらいやって、さすがにもうええやろと思ったけど、汗かいたし風呂入ると怜司が言うんで、ついて行って風呂入ったら、あいつ風呂でやるの好きやねん。なんの性癖かしらんけど、しゃあないしもう一回やって、死にそうに疲れて、もう寝よかって寝たんや。
怜司も酔うてんのか、やり疲れて眠いんか、段々、正気やないみたいになってきて、もう寝よかっていうとき、あいつは震えてて、泣いてるような気がした。
霞か霧みたいなもんが、寝室に立ち込めて、俺はあいつが溶けてるんかと思った。元々からして、霞か霧みたいなもんなんやしな、怜司は。
大丈夫か、て聞いたら、あいつは小さい声で言うた。
もうどこにも行かんといてくれ、と。
あいつは誰と話してるつもりやったんやろう。
俺に帰るなと言うてる訳やない。そういう意味で、言うてたんやなかった。
だって。あの時もあいつの目は、俺を見てへんかった。
どこか遠くの霧の向こうに向かって、呼びかけてるようやった。
変な夢でも見たんやろうか。
起きるともう、怜司は布団の中にはおらへんかった。
あんまり寝えへん奴やねん。俺と違って。
「まだ寝てんのん。怠惰な虎やなあ」
寝室のドアから覗いて、怜司が言うた。とっくに起きて、もういっぺん風呂入って服着たような感じやった。それはもう何発抜いたかわからんぐらいやからな、めちゃめちゃさっぱりした顔して、怜司は白いシャツにデニム姿で、裸足やった。なんてことない服着てても、スタイルいいし、怜司はいつ見ても、ぞっとするくらい綺麗や。
「朝飯作ったし食えば?」
朝トンや。起きたらゴハン出来てるやつや。
ものすごい二日酔いを感じて、俺は布団の中で丸くなった。酒でこんなんなるわけがない。怜司と寝たせいや。あいつが滅茶滅茶搾り取っていきやがったからや。使い終わった歯磨き粉チューブかて今の俺よりはマシや。
「ほら、信太」
裸足で絨毯を踏んで、でかいベッドしかない部屋に入ってきて、怜司はまだ素っ裸のままの俺の横にごろんと横になった。
「肉焼いたで。神戸牛」
「朝から肉か……やるな」
ベーコンエッグとかやないんや。味噌汁とか。
ダイレクトに肉や。それは精が付きそうやなあ。まあ食えるけどな俺は、起き抜けでも余裕で。
「俺は腹一杯やし食わへんけどな」
しれっと言う怜司の横顔を見上げると、にこにこしていて、寝入り端に見えた正気でないような色は消えていた。
「今日は仕事せな。一晩なんもせんと遊んでもうた」
「悦かったか」
ちょっと恨む目で見上げて俺が聞くと、怜司は不思議そうに真顔になってから、またにっこりとした。
「うん。悦かった」
「俺は疲れたで」
お前と寝ると精神的に疲れるんやで。
「昨日、阪神勝っとうで。お前も家でナイター見とけば良かったな」
済まなそうに苦笑して、怜司が俺の髪を撫でた。
「そういうことやないねん。お前と居るとなんか疲れるわ。はらはらして」
「何に疲れるん」
心外そうに怜司が口を尖らせる。
「泣いてたやろ、明け方。寝る前に」
俺が突くと、怜司はすうっと真顔になった。
「そう? 憶えてへん」
伏し目になった濃いまつげの影が、怜司の白い頬に落ちている。
「どこにも行かないでって言うてたで。お前が俺にそんなしおらしい事言うとはな。俺のこと愛してんのちゃう」
あれは、俺に言うたんやない。それは知ってたはずやったけど、怜司の口から、理由を聞き出したい気がして、俺は咄嗟にそんな事を言うてた。
怜司はじいっと、俺の目を見た。どことなく、悲しそうな目やった。
「愛してる」
「はあ?」
予想もしなかった方向の返事に、俺はぽかんとした。そんな間抜けな声出していいとこやなかった。
「愛ってどういうの? 俺には分からへん。お前のことは好きや。一緒にいると楽しい。お前のアレも好きやし。それが愛してるってことなんやないのか?」
怜司はヤケクソみたいに言うてきた。たぶんちょっと怒ってる。
俺は怜司に聞いたらあかんこと聞いたんやろうか。
「お前でもいい。誰か愛したい。愛して、楽になりたいんや、俺は」
「楽に?」
「お前、俺に惚れてんのやろ。愛してんのや」
けろっとして、怜司はそう言った。俺は答えるタイミングを見つけられへんかった。そやで、って軽く言えばよかったんか。
「お前が俺に惚れてて、俺もお前が好きやったら、相思相愛やろ。それってすごく……楽やんか」
「楽ってなんや。幸せってこと?」
怜司の話してることの意味が、分かるようで分からへん。俺は用心深く、怜司の目を見上げて聞いた。
「幸せかは、よう分からんけど。でも、辛くはないやん。苦しまんでいい。俺は楽になりたいんや。せやし、お前でええわ、信太」
さっきと同じ話を繰り返して、怜司は幸せとはかけ離れた顔つきやった。
「怜司」
「俺は高望みはせえへん。心穏やかに面白おかしく暮らせたら、それでええんや。お前にも何も望まへん。時々ここに来て、二人で会えたらそれでいい。他のと寝たきゃ、やってかまへん。俺もそうするし……」
「怜司、俺、お前に他のと寝たいとか、なんも言うてへん」
もしもお前が、もう帰らんといてほしいと言えば、そうしたかもしれへん。
そやけど怜司はいつも、事が済んだら俺をさっさと帰した。急いで帰らせなあかんみたいに。
今日は誰か来るんか。俺がいたら嫌か。
初めは、そう聞きたいような気がした頃もあったけど、そんなもんは愚問やと思えて、聞いてみたことはない。怜司はいつだって引く手あまたや。俺一人だけと仲ようしとう訳やない。
神戸に初めて俺が来たとき、俺はボロボロやった。いま思うと、死にかけてたんかもしれへん。
蔦子さんは怜司に、この子を慰めておやり、と命じた。怜司は蔦子さんの式や。ご主人様がそう命じたら、拒めへん。
怜司はしばらく俺と一緒にいてくれた。俺が放っといても死なへんようになるまでや。昼も夜もなく、ずっと裸で抱き合うてたわ。怜司の肌のぬくもりと、甘いキスで、俺は救われたわけや。それで惚れたらあかんのか。惚れへんほうがおかしいやろ!
でも、傷が癒えたら、もう平気やろ、帰ってええでと怜司は言うた。出て行けという意味やった。
その時、俺に、帰りたくないと言う勇気はなかったんや。お前のとこが、俺の帰るとこなんやと思ってたんやけど。なんや、違うんか、って、びっくりしてもうて。
怜司は俺に惚れてる訳やない。蔦子さんの式やから。主命に従い、俺の面倒見ただけや。
でも今はもう、お前の意志やろ。俺と居とうて、一緒に居るんやろ。もう、帰らなあかん訳はないよな。
そやのになんで、お前はいつも、俺に帰れて言うんやろう。
「なんやねん信太、話、噛み合わへんな……」
ふいと目を逸らして、怜司は呟いた。
「俺、帰らなあかんか。面倒くさいわ」
「肉食うたら帰って。ベタベタされるの好きやないんや。俺はそういうの、せえへん。深入りしたら、ろくなことにはならへんのやから……」
「怜司」
俺、お前が好きやった。一緒にいると楽しかった。ずうっと一緒にいたい。お前と。同じところに帰って、一緒に寝たい。そう思ってた。お前もそう思ってくれへんか。
二人でいたら、幸せになれるかもしれへんやん。今すぐは無理でも、いつか。
いつかは。
そう思てた時もあった。ずうっと前。
今はもう、あんまり期待もしてへん。こいつは、こういう奴。ただ俺がアホすぎて、諦められへんだけ。
諦めなあかんのやろうなあ。怜司は誰も、好きにならへん。なったとしても、今ぐらいが限界なんやろう。
そう思って見上げた怜司の目が、なんや変やった。またか。こいつは時々、正気でないような目をする。
何もない空中を見てる。こいつにしか見えないもんがあるんやろうな。
そういう物の怪なんやもんな。
朧て言うてましたわ、昔はって、蔦子さんが言うてた。そやけど、その名はもう使てまへんのや。今は、湊川怜司。ラジオとか、テレビとか、そういうものを操れるんどす。人の噂を。
その話そのままに、怜司はベッドに起き上がって、なんやテレビのリモコンでも触るような仕草をした。そしたら何もない空中に、でかいテレビ画面みたいなのが、ぱっと点いて、ちょうどワイドショーめいた報道番組をやってるとこやった。
うわあ。俺、思ったより寝坊してもうてたんやなあ。もうこんな番組やってる時間なんや。帰らなあかんな。早う、帰った方がええわ。
悪い予感がしたんや。すぐ目の前にある怜司の背中を見てると。
その画面を見てる怜司の背中は、微かに光って、どことなく透けてるようやった。
テレビは大阪のニュースをやってた。あっちこっちで野良犬どもが暴れてて、狂犬病で人が死んでると。その犬が、なんと今度は京都にまで現れたと。
それともこれは、野犬騒ぎにかこつけた殺人事件なのか?
死んだのは京都の芸大の女子学生やった。学校の中で死んでたんやって。めっちゃくちゃに食い散らかされて。どんなでかい犬がやったら、こうなるんやという死に様やったという話や。
重要な情報を知る同級生に取材するいうて、興奮した口調のリポーターが、背の高い学生に突っ込んでいってた。
えらいええ顔した男やわ。どことなく、蔦子さんに似てる。蔦子さんに……。
その顔が大写しになった所で、凍り付いたように空中の画面が静止した。怒りをこらえたような男の目が、こっちを見ていて、その視線に射すくめられたような気のする画やった。
なんでやろう。俺は何も知らんかったはずやのに、こいつやと思った。
怜司がいつも見てたんは、こいつや。俺と見つめ合うとき、怜司はいつも遠い目をしてる。お前は誰を見てるんやろう。俺やない誰か。
お前が泣きながら縋り付いて、もう二度と離さんといてと懇願する誰か。
お前が忘れたい、誰か。
でも絶対に、忘れられへん誰かや。
「暁彦様やわ……生きてたんや……」
俺が聞いたことない、呆然とした声で、怜司が呟いた。
「生きてた……」
怜司の背中は震えてて、その震える手が、顔を覆うのが見えた。
ものすごく押し殺された、嗚咽とも喘ぎともつかない微かな声が、怜司の喉から漏れるのが聞こえた。
それを聞きながら、俺は後悔した。
帰っとけばよかった。そもそもなんで来てもうたんやろう。
今朝ここにいて、今、目の前にいる怜司の背中を見ていなければ、俺ももうちょっとの間、アホみたいに悩めたかもしれへん。
怜司は俺が好きやろか。俺と、一緒にいてくれるやろうか。今日はもう、帰るのやめようかな。もしそうしたら、お前は、どう思う? 俺のこと、愛してる?
「生きてた」
怜司が振り返って俺を見た。
その顔から目を逸らすのに、俺は失敗した。
怜司が愛を理解できへんというのは嘘や。お前は認めたくないだけや。自分が人間を愛してるってことを。
だって。お前いま、誰かを愛してる目をしてる。俺が見たことない、その目。
その目で、お前が俺を見ることは、今までいっぺんもなかった。初めから、終わりまで。今日の今まで一回も。
それで分からなきゃ、さすがに俺もアホすぎるやろ。
でも、ほんま言うたら、ずっと知ってた。
「怜司」
呼びかけたけど、怜司は答えへんかった。気のせいではなく、怜司はその時、この世のどこでもないところを見つめていたんやろう。
俺にはもう、手の届かないどこかやった。