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三都幻妖夜話 六甲アイランド編  作者: 椎堂かおる
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01

 その日は朝から雨やった。大阪あたりが騒がしいと蔦子さんが言うんで、一人で大阪をぶらついて来た帰りやった。

 信太、目立たんように電車で行って、人の話も聞いてきとおくれやす、という蔦子さんには逆らえず、はいはいと阪神電車で行って来たけども、目立たんようには俺には無理やった。バリ目立つ。金髪やしアロハやし、バリバリ目立つ。

 けどそれは、しょうがないんや。なんせ俺は派手好きの虎なんやもん。

 学校帰りの女子高生に電車でものすご引かれたが、それでもにっこり笑うといた。

 怖い? まあぁ、怖いか。そらしゃあないわ。妖怪なんやし、怖くて普通や。そういうもんやで。

 くわえ煙草で夜道を歩きながら、電車でビビってる乗客たちの顔を思い出すと、苦笑が漏れた。

 噂話を聞くどころやない。俺にそんな仕事を言いつけるとは、蔦子さんは何を考えとうのや。噂ていうなら、もっと適任の奴がおるやんか。なんで怜司を使わへんのや。

 今日のあいつは、暇なはず。仕事もないし部屋に居るて言うてた。

 何もする事ないし、部屋で一人で酒でも飲んどくわって。

 俺も暇やし、行ってもいい?

 そう聞いたら、怜司はふふんてわろてた。ふふん、て。

 まあな。俺も暇やていうのは嘘やけど。えらい遅なってしもたけど。

 大阪で、何か起きとう。犬が暴れとう。腹を空かせて、人を食うとうわ。

 何でそんなもんが急に。

 蔦子さんには、大阪は管轄外や。そやけど甲子園から見て、大阪は目と鼻の先。暴れとう犬が、ちょっと神戸も行ってみよかて言うようなら、迎え撃てということなんやろう。俺が。

 ま、そんなもん俺の敵やないけどな。たぶん。なんせ、俺はバリ強いタイガーなんやし、今年は阪神も絶好調、負けるような気がせんわ。少なくとも、腹減って暴れとう病気の犬なんかにはな。

 しかしその、病気部分が厄介や。狂犬病やて人間たちは噂しとうわ。

 狂犬病か。それは強いタイガーかて、ちょっと用心してかからなあかんな。犬はこの後、どうするつもりやろ。

 それを占うのは蔦子さんなら朝飯前とちゃうんかと思うが、ご主人様はいつものダンマリで教えてくれへん。

 怜司にでも聞くか。というのが、今回の口実や。

 怜司に会うのには、なぜかいつも、口実がいる。ただ会いたいから会うんでは、あかん気がする。

 自分につく嘘が、いつも必要や。

 いつから、そういうふうになったんやろうな。

 マンションのエントランスで部屋番号の数字を押して、インターフォンを鳴らすと、誰かが答える前に、入り口の銀色のドアが滑るように開いた。

 ドアの向こうには、間接照明だけの薄暗い廊下が続いてる。

 このマンションには、人間は住んでない。元々は誰か住んでたんやろうけど、怜司が追い払ってもうた。幽霊が出るって噂が流れて、みんな引っ越してもうたんや。

 なんか居るような気がしたことは、俺には一度もないけど、まあ、怜司自体が幽霊みたいなもんやからな。あいつが住んでりゃ十分か。

 廊下を進むとエレベーターがあって、まだ呼んでないのに、そのドアもすうっと音もなく開いた。まるで俺を待ってたみたいや。

 案外ほんまに待ってたんかもしれへんな。今日行く言うたし、怜司は俺を、待ってたんかもしれへん。

 そうやといいけど。会っていきなり、帰れて言われたら疲れるわ。

 そう思いながら、俺は夜景の見えるガラス張りのエレベーターから、ひと気のない六甲アイランドを見下ろした。

 海の上に紙一枚敷いて住んでるような、不思議な街や。

 この島は、海を埋め立てて作った人工島で、なんでかいつもガラガラや。人が少ない。

 マンションとか家もあるし、でかいホテルや学校もあんのに、なんでかいつも閑散としてる島や。

 怜司はなんで、こんなとこ住んでんのやろ。人がいっぱいいる場所が好きな奴やのに。

 蔦子さんに仕える式なんやし、皆と一緒に甲子園の家に住めばええのに。その方が楽しいで。毎日会えるし、毎日やれるやん。ナイターかて一緒に見られるんやで?

 俺も皆も、いつもそう言うとうのに、怜司はな、アホか、お前らとナイターなんか見たないわ、て言うねん。あいつ俺らのこと嫌いなんか。

 そういうこと言われると、俺は割とストレートに傷ついてまうんやけど、あいつは俺のそういうナイーブな虎なところが全然分かってへんのと違うやろか。

 それとも、わざと言うてんのかな?

 蔦子さんは訳知り顔で苦笑いするだけで、何も教えてくれへん。

 俺は切ない。

 そして、エレベーターが異常に長い。

 どこまで行くねんコレ。成層圏まで突き抜けてんのとちゃうか。

 怜司がいじったんやな。このマンション、そんな高い建物やないはずや。あいつが住んでる天辺の部屋まで、ほんまはあっという間のはずや。

 そやのに、あいつが来るなて言う時は、無理に押しかけようったって、そもそもエントランスのドアが開かへん。そこを無理やり押し入ったところで、エレベーターが最上階に着かへん。降りたら屋上やったり、また一階に戻ってたりする。

 会うかどうかは、あいつが決める。俺でなく。

 ずうっと前から、そういう関係や。なんて俺は、立場の弱い虎や。

 俺ら友達ちゃうんか?

 ちゃうわな。

 少なくとも、こういう関係は、友達とは言わへん。

 ピン、と微かな電子音を立てて、エレベーターが止まり、滑るようにドアが開いた。開くとそこは廊下ではなく、そのまんま最上階の部屋の玄関やった。

 怜司の部屋はいつも、誰もいないみたいに片付いてる。雑誌か映画に出てくるような、格好のええ部屋か、モデルルームみたいに見える。

 あいつは霞か人食うてる妖怪なんやし、生活感とかないんやろ。飯もあんまり食わんしな。腹に入れるもんて言えば、ほんまに酒ぐらいやないか。

 そう思いながら、勝手に上がりこむと、広い玄関を抜けるアーチの先の、さらにだだっ広いリビングルームに、怜司はいた。

 ものすごくデカい壁一面の窓があり、一枚ガラスが嵌め込まれている。それに続く大理石の階段に、怜司は座り込み、タンブラーに入った琥珀色の酒を飲んでいた。

 酔っているような乱れた気配は全然ないけど、怜司が酔っ払ってるような気がした。

 窓から見える朧月が、ちょうど満月やった。雨上がりの夜空に、潤んだようにかかっている。

「もう来えへんのやと思たわ」

 別に責めるわけでもない、さらりとした口調で、怜司は俺を見るなり言うた。

 でもたぶん責めてんのやろな。

 答える代わりに、そばに行って、俺は手土産に持ってきた冷えたバドワイザーの瓶を、怜司の真っ白な頬に押し当てた。

「やめろ、もう、何やっとんねん濡れるやろ」

 二本ある瓶をうるさそうに押しのけて、怜司はやっと刺々しい口調になった。

 それが面白うて、俺は思わずにやりとした。

「今さらビールなんか持ってきても飲まへんし」

 呆れた風にいう怜司の持ってるタンブラーには、確かにもっと強い酒が入ってる。今さら薄いビールなんか飲む気はせんやろうなあ。

 でもお前、これ好きやん。なんとなく、手ぶらでは来にくくて、途中で買うてきてん。

「今日は一人なんか。寛太は」

「家におるよ。竜太郎とナイター観てるんやないかな」

「お前もそうやと思てたわ」

 夜景のほうに目をやって、怜司はタンブラーに残ってた酒を一気に空にした。

 怜司の座る段の上には、空っぽのタンブラーがもう一個あった。

 俺のかな。俺のやろうなあ。

 そう思うと、なんや、にっこりしてきた。

 怜司、俺のこと、待っててくれたんか。

「大阪行ってたんや」

 怜司の隣に腰を下ろして、俺はバドワイザーの瓶の蓋を開けた。シュッという音と一緒に、麦の匂いがした。

 開けた方を差し出すと、迷惑そうなしかめっ面の後、怜司は渋々受け取った。申し訳程度に怜司がそれを飲むのを見てから、俺は自分の分の瓶も開けた。

 乾いた喉にはビールが美味いわ。

「知っとうか、怜司、大阪の狂犬病の噂」

「知っとうわ。誰にもの言うとうのや」

「怖!」

 マジ怖い怜司の口調の冷たさに、俺は笑い声を立てた。

 怜司めっちゃ怖い。いつもそうや。怒ってると、酷薄そうな横顔がなおいっそう綺麗で、なんかこう、胸の奥の方がぎゅうっとなるんや。

「はよ、やろうよ、信太」

 間近に俺を見つめて、それでも怜司は遠くを見るような目をしていた。薄い鳶色の目はいつも、どこを見とうのか分からん感じや。

 俺を見てるのか、どうか。全然、分からへん。

「来たばっかりやん」

「他に何すんの」

「話すとか」

 俺は怜司の目を見て真面目に言うた。でもやっぱ、怜司は俺を見てへんみたいに見える。息に香る酒精に酔えるぐらい近くにいても。

「お前とは、あんまり話したないねん。黙ってやろう」

 怜司は苦しそうな伏し目になって、俺にキスした。冷たい唇やった。

 そのまま怜司が俺の服を脱がすのを、夜の窓が写していた。真っ暗な世界に、阪神高速湾岸線の輝く橋が見えた。天空を走るような一直線の橋がきらきらライトアップされていて、その背景には神戸の夜景と、六甲山が見える。

 綺麗やな。

 怜司はたぶん、この景色が好きで、ここに住んでんのやろな。

 別に俺や、甲子園の家が嫌いやからやない。

 ここで二人で会うと、怜司はまるで俺が好きみたいな顔をする。一瞬やけど。ときどき。

 それが見たくて、ここに来る。

 俺は別に、お前とやりたい訳やないねん。そのへんはお互い不自由はしてへんはずや。

 俺はほんまはただ、お前と座って話したいだけなんや。

 お前がほんまは何を考えてんのか、教えてほしいんや、怜司。

「焦らしてんと早うして信太。なんも考えんでもええようにしてくれ」

 怜司は俺を床に押し倒して、縋り付くような目をしていた。

 それや。その顔。めっちゃそそる。お前のその、俺がいないと死にそうな、思いつめた目。

 俺はずっとお前が、俺のこと好きなんやと思ってた。

 そう思おうとしてた。

 そやけど、そういう時のお前は、ほんまは俺を見てない。それに気づいたん、いつやったかな。もう、ずうっと前や。憶えてる限り、ずうっとそうやった。

 月がさ、夜道を歩いてると、ずっとこっちを見てて、自分についてくるような感じがするやんか。

 怜司が俺を見てる目は、あれと同じや。

 そんな風な気がするだけで、月はほんまは俺を見てへん。ついてくる気がするんは、錯覚やねんて。

 気のせい。俺がそう思うだけ。

 そやったら月は、ほんまは誰を見てるんやろうな。俺ではない何を。

 そう思いながら、怜司を抱くと、甘い声で鳴いて、まるで俺が好きみたいやった。

 朧月が、やっぱりこっちを見てるような気がする。怜司の顔を見るのが辛うて、そこで抱き合う間、俺はずうっと月を見ていた。


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