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さまざまな恋の短編集:ノーマル版

守るものができた夏

作者: 道乃歩

 彼女は、海を見つめていた。


 誰もが見惚れるほどに美しい紺碧を、見つめていた。肩まで伸びた黒髪が緩くたなびいて、思わず見惚れそうになる。


「どうして、おれをここに連れてきたの?」


 両親の盆休みに田舎へ遊びに来る間だけ会える、五つ年上の親戚の「お姉さん」。

 美人というより可憐で、誰に対しても優しい。けれどそれだけじゃない、どこか影も感じるその人に、いつの間にか恋をしていた。


 家に帰る前日の今日、なけなしの勇気を振り絞って想いを伝えた。

 求めた結果になるならもちろん嬉しい。ただ、実現する自信ももちろんない。

 胸にくすぶったまま取れないこれをぶつけなければ、いつまで経っても先に進めない。ようやくその事実に気づいた。


「……どうして」


 風の音が、彼女の声を運んできた。告白してすぐ、一言も喋らずにこの浜辺へとやってきたから、突然すぎてうまく対応できない。

 彼女が少しだけ、こちらを向いた。


「どうして、わたしのことが好きなの?」


 言葉に詰まってしまった。恥ずかしさもあるけれど、改めて問われて理由らしい理由が特にないことに気づいたからだ。


 かわいいから。優しいから。大学生なのに大人に見えるしっかり者だけど、時々おっちょこちょいなところを見せてくれるとたまらなくなるから。隣にいるととても落ち着くから。

 ……どれもしっくり来ない。

 改めて、見つめる。普段の彼女からは想像もできない、感情のわからない双眸を、顔を、見つめ返す。


「……影が」


 自然と、言葉が滑り出た。


「影が、気になったから」


 少しだけ、目が見開かれた。


「それって、どういうこと?」

「いつも優しくて、みんなの人気者なのに、なんというか……寂しそうに見える時があるっていうか」


 あの「影」をどう表現すればいいのか、改めて考えると似合いの言葉が見つからない。

 ただ、そう感じる時は普段の印象とは正反対に映る、それだけははっきりしている。


「そんなことを言うの、きみが初めてだよ」


 少しだけ、笑った。嬉しい、悲しい、どっちにも取れそうな笑みだった。


「そっか、影か。ふふ、そう見えるんだ。……参ったな」


 穏やかな波音を奏でる方へ、彼女は足を進める。同時に強めの波がやってきて、彼女のくるぶしまでをあっという間に濡らしていった。

 なぜか、怖くなった。あんなにも綺麗な海が牙を向き、彼女をさらっていってしまうのではないかと想像してしまった。

 それほどに、彼女の背中は恐ろしく無防備だった。


「優しくて、可愛くて、気立てがいい。だから好き」


 こちらに引き寄せなければと、もつれつつ動いた足は再び止まった。


「そういう人、いっぱいいたわ。その度に、思った」


 振り向いたその人は、はっきりと笑みを貼り付けていた。双眸は、冷たい光を含んでいた。


「この人も、しょせん上辺だけなんだって」


 喉が上下する。

 彼女が隠していた影は、飲み込まれそうなほどに大きかった。


「わたしが優しくなくなれば、可愛くなくなれば、気立てのよさを怠れば……消えていくの」


 貼り付けの笑みすら、ぽろぽろと剥がれ落ちていく。


「簡単に、呆気なくね」


 無慈悲に、言い放つ。もはや、自分に向けた言葉ではなく独り言だった。

 それでも、ひとつも目が離せなかった。

 柔らかな物腰の裏に、この人は一度きりでは済まなかった傷をいくつ、必死に隠してきたのだろう。


「ま、待って! 危ないから!」


 再び、彼女が足を進めていく。いくら波がゆるやかだからといって、少しでも攫われたら取り戻せないかも知れない。

 特に、今は。


「このまま、海に攫われたいなぁ。そうしたら、もう余計なことを考えなくても済むでしょう?」


 下半身すべてを海に預けた彼女は、普段と変わらない顔を向けてきた。傍から見れば、海で楽しく遊んでいるいとこ同士に見えてしまうかも知れない。

 そんなにすぐ作れてしまうほど、定着しているのか……。


 せり上がる恐怖を振り払うように、彼女の腕を掴んで引き寄せる。歳は上なのにその手首は驚くほど細くて、思わず背筋がぞっとしてしまった。

 水深がそれほどでなくとも、片手が塞がったまま浜辺へと戻るのはなかなかに難しい。無事到着した瞬間、みっともなく手をついてしまった。


「……馬鹿みたい。本気で、言ったわけじゃないのに」


 照れ隠しのように聞こえたのは、顔を見る余裕がなかったおかげだろう。


「というか、びっくりだよ。あんなにいろいろ言ったのに、幻滅してないの?」


 ようやく立ち上がり、彼女の方へ顔を向ける。間違いなく呆れていた。


「……きみみたいな子、本当に初めてよ。毎年会ってるのに意外と鋭いなんて、全然気づかなかった。つい、いろいろ言っちゃったじゃない」


 細められた目元を見て、泣く寸前の母親を思い出した。今どんな言葉をかければ正解なのだろう。


「おれは幻滅なんてしてないし、これからもしないよ」


 結局、正直に告げるしかできない。


「好きな人が、今まで誰にも見せてなかったところも見れたし」


 居心地が悪そうに、彼女の視線が伏せられる。


「だから、好きになってもらえるように、これからもっと頑張る」


 本当に心外だったようで、勢いよくこちらを向いたまま固まってしまっている。


「……諦めて、ないの」

「うん。もっといろいろ知りたくなったし、なんというか……放っておけなくなった」


『年上に向かって』と生意気に見えたかも知れないが、思ってしまったのだから仕方ない。

 戸惑ったままの彼女に向かい、勇気を出して一歩、また一歩と足を進める。

 逃げないでいてくれたことに安堵して、手を軽く握りしめた。小さい振動が伝わる。


「おれが、守るよ」

「あなたを、守る。絶対、逃げたりしない。裏切ったりしない」


 年下だし、簡単に会える距離でもない。

 ――それでも、ほんの少しだけでも影に触れた、自分なら。


「……きみって、本当にばかね」


 顔は背けても、手は振り払われなかった。

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