凍結融解
これだから戦いは嫌なんだ。必ず傷を負うから。ぼやいた彼は大槍が貫いた脇腹に杖の先端を押し当てた。スタックを消費して氷の魔法を呼び出す。極冷の氷で傷口を凍らせて簡易的に止血を施した。
それでも流れた血が戻るわけではなく。貧血で混濁する視界を頭を振って明瞭にさせる。それでもまだ目が眩んだ。
「……違う…これは……」
違う。これは目眩ではなく。ぐらぐら揺れる視界の端に見えたもの。夜を切り取ったような闇色の影とそれに包まれるようにして立つ女。
「夜の女神…"ノート"」
氷剣と水精による攻撃。大槍の一撃。そして。あぁ。あと一人は召喚だったのか。猛火を消す水蒸気の音に紛れて詠唱を紡いでいたのか。
夜闇の女神の名を持つ精霊の姿を最後に認め、エイトゥルの意識は暗転した。凍りついた砂浜にエイトゥルの身体がくずおれる。支えを失ったようにその場に崩れ落ちたにも関わらず、倒れ伏した彼からは穏やかな寝息が聞こえた。
「ありがとう、"ノート"」
どういたしまして。夜の女神"ノート"は主の謝辞に軽い会釈だけで応えた。対象を眠りに落とす夜の女神はその役目を終え、元あったようにずるりとバルセナの影に沈み込むように立ち消える。
カーディナル級ともあれば下っ端が知らない情報だって知っているだろう。この通り杖がなければ軟弱な男だし捕獲は容易い。そう判じてバルセナは拿捕に切り替えた。夜の女神を召喚し、彼を眠りに落として捕虜にすることにしたのだ。
でなければ不利だった。ダルシーの氷剣の力は杖に吸収され保持され、そしてエイトゥルの力としてこちらに牙を剥く。彼女の氷剣の凍てつく力は強力なのだ。こうして海岸一帯を氷漬けにするほどに。普段は制御して一点に作用するようにしているらしいが、それを全方位に向ければこうなる。潮風に吹かれた冷気に肌をさすった。
この力が自分たちに振るわれたのなら、勝つのは非常に難しい。一瞬ですべてを凍てつかせる氷はこうしてハーブロークの四肢を凍らせた。全身が水でできている"リムノーレイア"など即座に氷漬けだろう。水の精霊はかろうじてその冷気の及ばない距離まで逃げ出すことに成功したようだが。
ところでこのハーブローク、どうしようか。エイトゥルが放ったにしろ、元はダルシーの氷剣の力だ。氷の属性元素に作用して切ったものを凍らせる。その凍結は永遠のものではない、と以前説明を受けた気がする。
「ハーブローク、大丈夫?」
「手足がめちゃくちゃ冷たい以外は」
つまり溶けるまで放っておくしかないか。湯をかけようにもこの大柄な男の動きを封じるに足る量の氷を溶かすほどの湯を用意するのは面倒だ。
キロ島は火の島。火や熱に関する武具なら豊富にあるだろう。それらの術者を呼びつけて溶かしてもらうか。非常に間の抜けた光景を説明せねばならないが。うーん、とバルセナは氷漬けの恋人を眺めながら唸った。
「……戦闘終了。状況を報告する」
通信武具に話しかけながらダルシーは眠るエイトゥルに氷剣を向けた。投げ出され、砂浜に転がった杖に切っ先を突き立てる。まるで断頭のように力任せに叩き切った。武具破壊。ぱきん、と杖は砕けて壊れた。それを認めてからエイトゥルの腕を後ろ手にまとめて凍らせる。氷の枷を施してからようやく氷漬けのハーブロークを振り返った。
「……こう言っちゃなんだけど」
ものすごく体勢が間抜け。ダルシーが呟いた。戦いの最中にポーズなど気にしていられないし、ましてや瞬間的に凍結されたのだから仕方ないのだが。
「うるせぇ」
左足を踏み込み、右腕を振りかぶろうと振り上げた瞬間の姿勢で凍結されたハーブロークはばつが悪そうに視線を逸らした。
どうやって溶かそうかと相談を始めようと口を開きかけたバルセナを制し、ダルシーは氷剣の峰を、こつん、と氷に当てた。瞬間、その箇所から氷が溶けていく。
氷の属性元素に作用する剣なのだから、凍らせる以外にもこういうことができるのだ。そう言いたげに自慢げに微笑み、間抜けな姿勢のまま凍ってしまったハーブロークをその戒めから開放する。凍傷ができてしまっているのが見え、お大事に、と添えておく。キロ島は火の島であるから、温泉やらそういったものも豊富だ。凍傷に効く湯くらいあるだろう。
「…ユミオウギ、ところで聞きたいんだけど」
ところでこのエイトゥルは捕虜にしてよかったのか。通信武具を介してユミオウギに、そしてこの光景を視ているであろうカガリに念のため問う。殺せと言うならこのまま首に"ラグラス"を突き刺すだけだが。
いや十分だ、連れてきてくれ。捕虜の回収をするための部隊を派遣するから逃さないように。そうユミオウギが答えた。
艦隊からの先遣隊はエイトゥルひとりだけではない。島の各所に先遣隊が侵入している。それを迎え撃って戦闘が起きているのが"千里眼"で視える。海路で島に取り付きやすい場所などユミオウギがとっくに"観測"しそこに戦力を置いている。おかげで各所の戦闘はすべてこちらの勝利で終わっている。捕虜を捕らえたのはエルジュからの客人がいる海岸を含め3箇所。5人だ。それだけいれば情報を引き出すには十分。もう何人かは収容していて、あとはエルジュからの客人が捕らえたカーディナル級である。
それらの拷問の役に名乗りを上げたのはヒヤミで、収容が済んだ捕虜たちは彼女の拷問を受けている。普段は武具を研磨し美しく仕上げるのが役目の彼女のその研磨術の粋を味わっている頃だろう。
「さぁて、簪隊。始めようぞ」
簪隊の準備が終わった。報告を聞いたカガリは、すぅ、と息を吸い込んだ。




