沈殿する夢見
帰りたい。帰るためには役目を終えること。何処までも沈み込みそうな深みと静けさをまとったエイトゥルは自らの武器である杖をゆっくりと振り上げた。
何か来る。素早く動いたのはバルセナだった。"ニルヴァーナ"を呼び出して振りかぶった。先端に重みと慣性を乗せて、棍棒のごとく振り抜いた。
「やだなぁ」
叩き込まれた六尺棒を自らの杖で受け止め、エイトゥルは心底嫌そうに呟いた。ぎりぎりと力が拮抗する。
「だったらとっとと負けて帰れ!」
見た目通り、男にしては細い。武術に長けるとはいえ女のバルセナと拮抗、いやむしろわずかに押される程度の膂力だ。そう判じてハーブロークが切り込む。愛用の大槍"グングニル"を腹めがけて突きこんだ。
さすがにこれは受け止めるほどの膂力もない。不利を悟ってエイトゥルが拮抗を振り切って後ろに飛び退る。その頬を冷気が撫でた。
「……"ラグラス"」
砂浜に氷剣"ラグラス"を突き立てたダルシーがそっと囁いた。瞬間、エイトゥルの頬をかすめて巨大な霜柱が峻立する。鋭く尖った霜柱に浅く皮膚を割かれ、エイトゥルは痛みに顔を僅かにしかめた。
「痛い」
だから嫌なんだ。吐き捨てるように呟いたエイトゥルは距離を取る。それを追うように霜柱が突き立っていく。6つ目の霜柱が突き立ったところで、エイトゥルは反撃に出た。
「スタック追加。エレメント、"氷"」
白い冷気を放つ霜柱に、とん、とエイトゥルは杖の先端を軽くぶつけるように押し当てた。その瞬間、彼に最も近い場所にあった鋭い霜柱が消失した。押し当てられた杖の先端がぼんやりと薄青に輝く。
成程。スタックとはそういう意味か。その光景を見てバルセナは瞬時にエイトゥルの武具の能力を理解した。あの杖は魔法をスタックする。自身に向けられた魔法の属性元素を吸収して無効化する。エレメントタイプの武具は彼に効果がないのだ。ダルシーの"ラグラス"の能力である氷の属性元素を操る力は吸収されて無効化されるということだ。そのことを彼は目の前で証明してみせた。
そして、保持するということはすなわち。
「スタック消費。エレメント、"火"」
すなわち放出することもできるということ。杖の先端が赤く光ったと認識するより先、業火が巻き起こった。火にまかれて霜柱が溶けていく。氷から水蒸気に変わったそれは白い霧となって潮風にさらわれて霧散する。
「ふ…っ、くく…」
くつくつとエイトゥルの肩が震えた。漏れ出す笑い声は次第に大きくなっていく。
「くくく……っあは、あはははは!!」
湧き上がる感情に任せてエイトゥルは高笑いする。先程までの沈鬱で気だるげな雰囲気の影もない。厭世的だったさっきまでと違い、この世の万象すべてが愉快でたまらないといったふうだ。
成程、この二面性が"反転"の呼び名の由来か。
「はははは! 燃えろ、灰になれ! はははははははは!!!」
愉悦に満ちた笑いを発しながらエイトゥルは杖を振る。軌道に沿って業火が巻き起こった。
「ダルシー、水!」
「……もう…」
炎には水。対極にあるそれを呼び出せとハーブロークが叫び、声を受けたダルシーは背中に魔力を集中させる。刻まれたそれは母から受け継いだ精霊。木に恵みを与える水精。汝が根源は世界樹の滴り。汝が姿を現世に刻め。
「"リムノーレイア"」
背中が弾ける。蛹が背を割って翅を伸ばすように錯覚した。背中の魔術式から魔力が形をなしてダルシーの足元で滞留する。ずるりと現れたそれは水の精霊リムノーレイア。
すでにやるべきことは理解しているのだろう。ダルシーの指示を受けるまでもなく、精霊は火炎に立ち向かっていく。海岸の砂浜の砂利を舐めるように迫る猛火に手をかざす。空気中の水分を集積し、その指先に作り上げた水塊を火へと叩きつけた。
じゅうじゅうと水煙があがる。その霧を隠れ蓑にしてハーブロークが突っ込んだ。大槍の重量を活かして槍を叩き下ろす。気付かれたがもう遅い。身を翻そうとも槍の穂先はエイトゥルを捉えている。
「…っ!!」
目の粗い砂浜に鮮血が散った。急所は避けたがそれでも致命傷に近い。赤く染まった脇腹を押さえ、それでもエイトゥルは笑った。
「ははは! どうした! まだ生きているぞ! 私はまだ生きているのだ!!」
業火に水で対抗するというのなら、その水、凍らせてやろうではないか。杖を振りかざす。先端が青く輝く。
どうした、万魔に対抗する反逆者たちめ。この程度か。この程度では死にはしない。カーディナルひとり殺せずして、万魔の悪徳を揺るがすことなど誰ができようか。
「お返しといこう! スタック消費!! ……はぁ…もう嫌だ……"氷"」
すべてを凍らせるほどの静寂の世界へ。再び性格が反転する。波打ち際まで凍らせてエイトゥルは沈鬱に呟いた。
ダルシーが放った氷の力を吸収し自分のものとして呼び出した氷の魔法はその場一帯を氷漬けにした。真っ先に切り込んできたハーブロークの四肢を凍らせて砂浜に縫い止め、それだけでは足らず霜柱としてダルシーとバルセナに攻撃を加える。鋭い氷の棘が柔らかい皮膚を裂く。
自分ほどではないが傷を負わせてやった。ぼたぼたと鮮血を滴らせたエイトゥルは口端を持ち上げる。瞬間、痛みに顔をしかめた。
「…痛い…痛いよ……」




