幕間小話 隠したカオとコエ
自警団の生活はそれからも続き、様々なことがセレットを襲った。驚き怒り悲しみ喜び笑っているうちに娼館の印を見た時の動揺も抜け、事実をありのままとして受け止められるようになっていた。
パンデモニウムという不穏な輩が世界中を襲っているという噂を聞いた。ベルミア大陸の4つの王家が集う議会であるノーブル・コンダクトはパンデモニウムに服従し、その証として貢物をすることに決めたという。そのおかげで、市民たちは暴力に蹂躙されることなく平和な日々を過ごせるのだと。
きっとそれにはシヴァルス国の領主も噛んでいる。彼の人は元気だろうか。2度しか会ったことがない彼を父親と呼ぶには自覚が薄すぎた。
「セレット、ちょっといいか」
ノーブル・コンダクトが服従を決めてから比較的平和な年月が流れたある日。リーダーであるジョラスはセレットを呼んだ。これは深刻な話だと声音で悟ったセレットはその場にかしこまった。
「時折、うちに出入りする女の子がいるだろう」
それはふと、ある日からこの配達局と自警団を兼ねた組織を装った反パンデモニウム組織に出入りするようになった少女のことだ。ジョラスが巧妙に、時には不自然に引き離すためセレットは彼女のことをよく知らない。
「あれは領主様の娘……つまり、その」
繕う言葉など得意ではないので直球で言おうとして、しかし飾らず言うのはためらわれて口ごもるジョラスが言うには。
あれはシヴァルス国の正当な領主の娘。つまり正妻の子であり、セレットにとっては異母兄妹にあたる存在だったというのだ。素性が素性のために今まで言えず、今まで黙ってきたというのだ。そしてそれが、セレットが少女と顔を合わせないよう引き離してきた理由だ。
だがこれ以上伏せるには限界があった。"観測士"を目指す少女はとにかく知りたがりで、ジョラスがやけに引き離そうとするセレットのことをしつこく追及してきた。少女が遠目に見たセレットの髪色は自分とそっくりで、もしかしたらあれがシヴァルス国の公然の秘密の存在なのではないかと疑問を抱いたのだ。
言葉が上手くないジョラスはついにそれをごまかすことができず、逃げるように追及の場から立ち去るしかできなかった。そのことをネキアに厳しく言われ、そして腹を決めることにしたらしい。
すなわち、セレットの存在と素性を少女に教え、そして引き合わせてもよいかということだ。
「あぁ、まぁ、別に…」
今更会ったところで何かが動くわけでもないし何かが変わるわけでもない。だろう。おそらく。
別に構わないという旨を伝えると、ジョラスはあからさまにほっとした表情をした。拒否されたらまたどう言葉を弄するか悩まなければならないところだった。
そして、セレットは初めて自分の異母兄妹と対面することになる。恐ろしいほどにそっくりだった。忌々しい売女は奥様の子供の容姿も盗むそうだというメイドの陰口の意味を納得するほどに。あれほどそっくりだなんて、まるで下賤の子が正当な後継の資格を持つみたい。いいえきっと奥様のお嬢様に似るようにあの売女が矯正したのだわ。当てつけよ。成程その意味を理解した。単にどちらも父親似であっただけだが。
「エ……エメトラルダ・カプリコルダ・シヴァルスよ」
「セレストリア・カプリコルダ・シヴォナ。…セレットでいーよ」
まさかこれほどまでにそっくりだとは。幼い頃から母親に聞かされていた者の存在を前に、エメトラルダは硬直した。それと同時に、メイドの陰口の意味も正確に理解した。
エメトラルダ自身、母親から常々聞かされていた"売女"の存在について悪い印象を持っていない。屋敷の離れには父を誘惑する悪い魔女とその使い魔が閉じ込められているのだと聞かされていた。なんだか童話みたいな話はエメトラルダには現実離れしすぎていて、母親のように憎しみを募らせるほどではなかった。よく知らないおとぎ話の存在に感情移入できるほど精神は幼くなかった。かといっておとぎ話で装飾された憎悪の意味を看破できるほど大人でもなかった。
大きくなるに従って物事の分別がつくようになり、母親の死を経て精神的に成長した後にその意味を理解した。自分には異母兄妹がいるという話は中々に衝撃だった。そしてその存在がシヴァルス国の公然の秘密なのだということも。何処の誰だということまでは噂には乗らず、秘密の主は謎のままだった。
その謎を解き明かし異母兄に会ってみたいというのが"観測士"を志したきっかけなのだが、まさか予想を超えた動揺はエメトラルダを萎縮させた。
「え、えぇと、きょ、今日のところは帰るわね」
正当な後継としての勉強の時間が迫っている。"観測士"に憧れての勉強として市街をふらふら出歩くのは許されているが、それとは別に後継としての勉強もしなければならない。きちんと後継としての勉強を欠かさないことが"観測士"の勉強をするための条件だ。後継の勉強を怠れば取り上げられてしまう。
しどろもどろにそう言い訳をしながら、エメトラルダは自らの屋敷に帰っていった。
それからエメトラルダは自らの意志でセレットを避けた。疎んでいるというよりどう接していいかわからぬのだろうよ、とネキアが弁じた。
意識的にしろ無意識的にしろ避けられるのは慣れている。セレットもそれを気にした風もなく過ごした。顔を合わせたいとも思わなかったし合わせたくないとも思わなかった。向こうが会いたいならそうすればいいし会いたくないなら避ければいい。
そしてその歪な関係は今日まで続いた。その微妙な空気を仲間たちも読み取ったのか、徐々に自警団の空気は歪んでいった。
今は身分を伏せてはいるものの、頻繁に出入りする少女の正体はいずれ判明してしまうだろう。領主の娘であるとばれてしまうのも時間の問題。それとそっくりな容姿が目の前にいるのだ。公然の秘密の存在を思い出し、そして結びつけてしまうのは致し方ないこと。
だからセレットは自らの容姿を隠すためにフードを被ることにした。エメトラルダが顔を見て萎縮するのなら、顔を隠せばいいと単純に思った。顔を隠そうが隠すまいが出自に変わりはないので効果はないだろうと思っていたが、意外なことに効果が出た。
顔を見ることを引き金にして異母兄妹であることとそして母親同士の確執を思い出してしまうようだ。そう判じてセレットはフードを被り続けた。効果はてきめんで、フードを被っている間だけはエメトラルダもセレットに分け隔てなく声をかけてくるようになった。2人のわだかまりが溶けたことで自警団の中の空気も変わり、再び穏やかな団となった。
だからセレットは顔を隠し続ける。そのフードに本性を隠して。
床の張り替えはしたのか。そう聞きたいのを素顔と一緒に隠した。




