森に分け入る
「ジュンビしようカナ!」
ミリアム諸島に接岸する準備をすると言ってアッシュヴィトが立ち上がる。船酔いを起こして甲板にひっくり返るハーブロークの腹を跨いで通り、船尾に立つ。
少し格好つけたアッシュヴィトは左手から指輪を抜く。"インフェルノ"、と石門を喚び出す。出現した石門を見上げて文言を紡ぐ。
「地を這う生命の大樹、我が声に目覚めん」
舌に載せるのは樹神ラウフェイの召喚詠唱だ。ミリアム諸島への接岸すら許さない大樹の精霊トレントを抑えて上陸するには樹神の力が必要だろうと見越してだ。
「邪気縛り付ける緑樹の母神、眠れる力を地上にもたらせ、"緑樹の母神"ラウフェイ」
非戦闘時だからだろうか。いたって静かに石門は開かれた。そこからひょこりと頭を覗かせ、そして船首に立つように樹神ラウフェイはそっと降り立った。
薄緑の布をベールのようにかぶり、それが落ちないよう蔦の冠で留めている。ベールと髪の間から頭を垂れるシダが折り重なって顔の半面を隠している。足はなく、腰から下は二股により合わせて作られた太い木の根だ。
琥珀のような色の瞳をした樹神ラウフェイは木の根の足を曲げてアッシュヴィトに膝を折った。
「久しきや、愛しき我が主」
「ドーモ。用事はナントナク察してくれると思うケド…」
「仰せのままに」
そうやりとりを交わすアッシュヴィトと樹神に、ヴィト、とバルセナが呼びかけた。どうやら乗り換える小舟の準備ができたらしい。海に浮かべた小舟に甲板から縄梯子を下ろして乗り換えるという。
それを聞いた樹神は、ふむ、と目を細めた。
「それならばこうしましょう」
樹神が自らの髪を手で梳く。触れた髪束が同じ太さの蔦に変じた。しゅるしゅると髪だった蔦を伸ばし、アッシュヴィトとバルセナの身体を絡めて持ち上げる。
そしてそのままそっと小舟の上に下ろす。縄梯子を順番に降りるより早いでしょう。得意げに樹神ラウフェイは微笑んだ。
あれは樹神か。察したルイスが胸に手を当てて一礼する。アレイヴ族式の礼拝だ。ダルシーもまた同じように礼を取る。敬虔な信徒に樹神は一瞥をくれただけだった。
「あ、ついでに甲板で伸びてるハーブロークもオネガイしてイイカナ?」
「承知」
頷いたラウフェイは同じように蔦を伸ばす。そして2人よりもやや乱暴にハーブロークの身体を小舟に引きずり下ろした。
「ぐえ」
小舟は漕ぎ出す。猟矢とアッシュヴィト、バルセナとハーブローク、アルフ、ダルシー、ルイスの7人と樹神の8人の船はいささか狭い。樹神が船首の先端に腰掛けているが、船は不思議とバランスを崩さない。
徐々に海岸が見えてくる。あの小さな砂浜が大樹の精霊トレントが外部からの接触を唯一許す場所である。
「妾はそこで待ち構えて外の人間と話をするのが好きでな」
さすがに集落にまで連れ帰ることは相当稀だったが、食料を持ち込み簡易的な机と椅子を設置して歓待したのだとルイスは語る。
へぇ、とアルフが声を上げる。そろそろ船底が海砂につくほど浅くなる。そうなったら船を降りて小舟を手で引っ張りつつ海岸に上がる。船酔いでばてているハーブロークに手伝えと叱咤しかけたその刹那。
「うぉわ!」
海岸に接する防砂林から何かが飛んできた。硬く重いその球体はまるで砲丸のように船を狙う。当たったらひとたまりもない音と重量感で飛んでくるそれはコココの実であった。
「おや」
直撃しそうなそれをしゅるりと樹神ラウフェイの蔦が絡め取って受け止めた。コココの硬い殻に詰め物をし、にかわで閉じたものを砲丸にしているようだ。コココの実そのものよりも重いそれは、もしひとの頭に当たれば死にかねない立派な凶器だった。
それらを受け止め、船を護衛する樹神はよく通る声で防砂林のものに話しかけた。
「我が身を知らぬか、幹の子よ」
ぴたりと砲丸の投擲が止まった。よろしい、と微笑んだ樹神は髪を変化させた蔦を櫂の代わりに小舟を砂浜に接岸させる。蔦で手を貸し、猟矢たちを砂浜に下ろす。ダルシーとルイスはその場で礼拝の姿勢を取った。
小舟から降りた樹神は防砂林の中で息を潜める存在を顎で示す。隠れてないで出てこいと呼びかけると、ずるりと防砂林から何かが這い出てきた。
それは顔のついた樹木であった。幹のわずかな凹凸が人の身体のラインに見える。頭にあたる部分には琥珀の目とうろの口がある。後ろに垂れ下がる枝が頭髪のように見えた。手足は枝や根だ。これが大樹の精霊トレントの姿であった。
「樹神、ヨ。アナタ、ハ、人間、ノ、味方、ヲ、スル、ノデス、カ」
「それが愛しき我が主の命令ならば」
トレントの非難にラウフェイはしれっと頷く。人間の味方ではない、主の味方だ。主が命ずるならばどんな命令も遂行するだけのこと。
今回はミリアム諸島に降り立つためにトレントの排除行動を止めさせるためにいる。アッシュヴィトが門前払いされることなくミリアム諸島の代表と話し合いの席を設けるそのためだけに召喚された。
ラウフェイがいる以上、トレントは樹神の顔を立てて話し合いの席を作るしかない。苦い顔をしたトレントは応じると言って踵を返して防砂林に消える。
「人間、ヨ、異端ノ芽、ヨ、耳無キ、芽ヨ、入ル、ガ、イイ」
ばきばきと草木がひとりでに割れて道を作る。その先に話し合いの席を作るという。島から出るまで命と安全を保障することを約束させ、樹神はよろしいと言いたげに頷いた。
「ここから先は人間の努力次第です。愛しき我が主よ」
話し合い自体は任せよう。樹神の威光で無理矢理言うことを聞かせるのは筋が違う。そう言ったラウフェイは指を鳴らす。虚空に蔦の束が伸び、左右に別れるとそこに石門が現れる。ラウフェイはその中へと身を消した。
「ヨシ、じゃぁ行こうか!」




