調停者の驚嘆
「しかしまぁ、あれだな」
見事な防砂林はともかくとして。屈んでいた体勢から立ち上がったルイスは、ふむ、と唸って振り返る。真っ直ぐ見つめられて猟矢は目を瞬かせた。
「いやなに、信じられなくてな」
この黒髪の少年が同盟の旗印だとは。話には聞いていたが、とても信じられない。本当にそうなのかと疑いたくなる。だってどう見ても凡百の平凡な少年なのだ。その辺りの村の子供と見間違えそうなほどの。
もうひとつの旗印であるビルスキールニル皇女はわかる。あのビルスキールニルの正統皇家の皇女。この世で最も神に近く、そして神に愛された島だ。ミリアム諸島に引きこもり外部との接触を避けるアレイヴ族とてその島の存在は知っている。
それに、アッシュヴィト個人のことも噂に聞いている。"灰色の賢者"と呼ばれ、神を従える者。通常、人間が使役できるのは神の眷属のそのまた眷属である精霊がせいぜい。それほど人と神の格は大いに隔たっている。人間の格など神のはるか下であり、むしろ人間が神に使役される側だ。それを覆し、神を使役する。使役できるのだ。それはビルスキールニル皇家にのみ許された特権。だからアッシュヴィトは特別であり、またそれゆえに同盟の旗印になるのも理解できる。
だがもうひとつの方はどうだ。猟矢とかいう凡百の平凡な子供。こんなものが本当に旗印なのか。噂によれば、あのアッシュヴィトを凌ぐとさえ聞く。
「本当にそうなのか確かめたいのだが、よいだろうか?」
アレイヴ族との橋渡しをする前に確かめておきたい。本当にこの少年がそうなのか。パンデモニウムに対抗できる力を持っているのか。確かめて確信しなければ橋渡し役などできない。
そう主張するルイスに猟矢は困ったように頭を掻く。旗印を背負うにあたっての威厳や覇気というものが不足しているのは自覚しているが、しかしこうも正面きって疑われるとは。俺って本当に威厳ないんだなぁ、と心の中でぼやいた。
「ダッテ。ちょうどイイ、見せてアゲなヨ」
ルイスの不審がる様子を見て、にやにやとアッシュヴィトは悪戯を思いついた子供のような顔をする。この疑問を驚嘆に変えるのが何よりも面白い。皆一様に猟矢を見て力を疑り、その力に驚く。
「おう、やっちまえやっちまえ」
アルフとハーブロークがやんややんやと囃し立てる。規格外の力を見て存分に驚いてもらおうじゃないか。
囃し立てられ、猟矢はズボンのポケットからカードを取り出した。"歩み始める者"だ。専用のケースだとかはないので普段は乱雑にポケットに突っ込んである。
どれほど隠すのが上手い術者でも、武具の発現の瞬間だけはその身に宿す魔力がありのまま他者に見える。発現の瞬間に感じる魔力で互いの実力を知る。ルイスはそれを見て猟矢の力を見極めようとしていた。
「見せてもらおうか。言っておくが不足と感じたら妾は無視するぞ」
猟矢などいなかったとみなして、アレイヴ族との交渉はアッシュヴィトと進める。無能な凡百の少年など必要ないのだ。そう言い張るルイスの様子を見てくつくつとアッシュヴィトが肩を震わせる。その威勢、いつまで持つだろうか。
「"歩み始める者"……」
銀のカードに魔力を込める。ぶわりと風が巻き上がった。猟矢の魔力を受けてぼんやりと発光したカードは輪郭を崩す。まるで魔力の起動に恐れをなすように時化ていた海が凪いだ。
「…"指導者による標準"!」
高らかに宣言すると、猟矢の手に弓が出現した。身の丈よりも大きな弓だ。銀色のフレームに金の装飾がなされている。緑の石をはめ込んだ飾りがついていた。
それを持ち、猟矢はそっとルイスを窺う。ぽかんと呆気に取られた顔と目が合った。
「……は? え?」
驚きすぎて理解が追いつかない。アレイヴ族のいち集落の長老にそぐわない間抜けな声で状況を飲み込む。
武具の発動の瞬間だけは、普段どんなに隠そうともその身の魔力がありのまま晒される。それによって実力の彼我をはかる。それは当たり前のこと。だが今はその常識さえ疑いたくなる。
凡百の平凡な少年にしか見えない猟矢が武具を起動した瞬間に視えた魔力はルイスの予想をはるかに越えていた。その強大さは思わず身が竦みそうなほど。神ですらねじ伏せられそうなほどの。
到底信じられはしない。だが今見て感じたものが真実。ルイスの理解など置き去りにして現実と事実はここにある。
猟矢の持っているものはただの弓だ。魔力を矢に変換して打ち出すだけの。それ自体はありふれたものだ。だが尋常じゃない猟矢の魔力で矢を作ったのなら、その範囲は何処まで及ぶだろうか。文字通り雨のように矢を降らせることも可能だし、それほどの数を射てもなお猟矢は疲労を感じないだろう。それこそミリアム諸島全域に雨矢を降らせたとしても。
どれほど規格外なのだ、彼は。ようやく理解が追いついてルイスは愕然とする。もしこの矢がミリアム諸島に向けられたとしたら、大樹の精霊トレントですら勝てはしない。矢の一射で終わりだろう。パンデモニウムの先遣隊を単独で追い返すほどの力を持つトレントがまるで赤子のように思える。そのトレントを掲げる自分のなんと矮小なことか。
ルイスはようやく侮りを後悔した。軽い気持ちで実力をはかるなど言うのではなかった。数秒前の自分を張り倒したくなる。
「ホラネ? 見た目によらずスゴいんダヨ、サツヤは」
「見た目によらずは余計だ」
その通りなのだけれど。やっぱり見た目に覇気が足りないのはどうにかしないとなぁ、とぼやいた。




