雷哮、淘汰
落雷が落ちた。そう錯覚しそうなほどの大咆哮。びりびりと空気が震えた。
雷の元素は憤怒と罵倒を象徴する。怒りという激しい感情を表すものが雷だ。
「あら、あの犬っころ。元気になったの」
これは少し意外だった。あの連中がクレイラ・セティの救出に向かったのは先程察知した。だが傷だらけの獣をここから運び出すのがせいぜいだろうと思っていた。傷だらけの巨獣を連れての逃亡劇など、目の前のこいつらを処理した後でゆっくり追えると思ったから放っておいたのに。まさか治療まで行うとは。どういう手段を使ったのか知らないが、厄介な。
高齢だからろくに動かないだろうと水槽に放り込んだ老亀が実はとんでもなく活発だった。そんな印象だ。よく動き回る亀は水槽に体当りして水槽を叩き割ってしまうだろう。
「でも大好きよ、そういうイレギュラー」
予測不可能なほどアクアリウムは面白い。余裕の笑みを浮かべたミュスカデは糸を手繰って"気狂いの人形たち"を操ろうとした。刹那。
「ヴィト、そこ!」
刹那、アルフの指示を受けて放たれたアッシュヴィトの衝撃波が空間を凪いだ。衝撃波は空気を断つ。張り巡らされていたミュスカデの魔力の糸ごと断ち切る。操り糸との接続が切れ、人形同然に操られていたレッター級たちはがくりとその場にくずおれた。
「あらやだ」
糸が切れた。そのことを感じ取ったミュスカデは"気狂いの人形たち"を崩す。手の中の木片は空気中に解ける。そこに迫る黒い大槍。
「"エイジス"!」
再び堅牢な盾を顕現させる。万象を阻むとされる盾はハーブロークの一撃を難なくいなす。
すべてとは言わないが、大抵の攻撃ならば受け流す。あの神の眷属の獣の咆哮が起こす雷撃でさえ正面から受け止めることができる。その堅牢な盾はミュスカデのお気に入りだ。咄嗟に出せるほど愛用している。"ドッペルゲンガー"が記憶している使用履歴の中で常にトップを誇る。
「この盾がある限り私は誰にも傷つけられない。素敵でしょう?」
殺意をはらんだ攻撃であっても、自分に向けられるすべては自分のものなのだ。だから避けるなんてことはしない。正面から受け止めるというのがミュスカデの信条であった。
その信条を保証するのがこの万象阻む盾だ。この盾のお陰で信条を履行することができる。
「ちっ、あの盾をどうにかするのが先か」
「"ノート"、できる?」
いくら堅牢な盾を持つといえど関係ない。術者を眠りに落としてしまえばいい。それができるかとバルセナが問う。返答は否だった。眠りの呪いの干渉さえあの盾は阻むというのだ。
それならば夜の女神"ノート"にやれることはない。やれることがないなら帰還させる。召喚武具はその場にただ立っているだけでも魔力を消費する。魔力の節約のため、夜の女神"ノート"を還す。現れた時の光景を逆再生するかのように、夜の女神はどぷんとバルセナの影に沈んだ。
「盾、か」
それなら、と猟矢は手に持っていた弓を戻す。"指導者による標準"の弓を元の手のひら程度の大きさのプレートに戻す。
"歩み始める者"の能力を考え出し、決定としたものの未だ使ってない能力がいくつかある。そのうちのひとつを披露する時が来たようだ。想像通りの効果を発揮するようにうまく仕組みができていればいいが。そう思いながら手元のプレートに魔力を込める。
「"侵略者による淘汰"!」
それを発動した後、"指導者による標準"の弓を再度呼び出す。即座に弦を引いて弓を射た。
「は、何をするかと思ったらただの矢1本……」
万象阻む盾の敵ではない。侮るミュスカデの目の前で信じられない光景が起きた。
矢は盾に突き刺さった。魔力で構成された矢だからそれ自体は不思議ではない。問題はその着弾点から、まるで酸をかけたかのように盾が融解したのだ。堅牢な鉄の盾がどろりと溶ける。
"侵略者による淘汰"。侵略。侵食。その言葉から酸が溶かすイメージを連想した。物を溶かす。透過する。その想像から構築された能力は防御の無効化。相手の盾や防御壁、身を隠す遮蔽物その他を貫通する能力を武器に付与する。
それでもってミュスカデの愛用の盾を貫いた。残念ながら矢は盾を融解させるまでにとどまり、その矢尻をミュスカデに届かせることはできなかった。
だがそれで十分。この間にアルフは用意を整えていた。本来"観測士"は場の観察を専門とし戦闘に加わることはない。だが武器を持っていないわけではない。
これを持つのはいつ以来か。そう思いながら重厚なつくりのボウガンの標準をミュスカデの胸に向けた。
「"アルバレスト"。…じゃぁな、ミュスカデ」
姉さん。その言葉はボウガンの射出音に掻き消された。




