雷神と踊る氷神
スティーブ・ベルズストーンは博愛主義者である。美しいものをただひたすら愛でる。その美しいものには彼の妻も含まれる。彼が妻、ヴィリ・キャトルは冷たい怜悧さの中に温かい思いやりを抱えている。その差異のなんと美しいことか。だから高潔な彼女をスティーブは心底愛している。
「"ヒュ・モーラゴド"」
だが、それとは別に彼が強烈に心酔するものがある。狂信と言ってもいい。彼の心を捉えて独占するのは氷の女神だった。雷を信仰するシャフ族とそれに取り囲まれたクレイラ島においてもなお、スティーブは氷神を信仰していた。
一般に氷と雷は対になる。だから雷神の地にあって氷神に惚れるのはそれでそれで道理が通るのだ。対の存在を信仰することで均衡が取れるというのがスティーブの持論であった。妻には理解されなかったが。
その力を宿した双剣がスティーブの手に現れる。細身の銀剣は冷たく冴えた印象を与える。まるで氷のようだ。彼の心酔する氷の女神が剣に身を変えたかのように。
麗しき氷の女神の剣は炎砂の砂漠の島でも圧倒的な冷気を誇る。補助具での増強など必要ないほど。
「ヴィリ、ビフォクプレイ」
「…わかった。…"ラゴドアルグ"」
頷いたヴィリは武具を起動する。現れたのはヴィリの身長以上もある巨大な大弓であった。持ち上げることを最初から諦めているのか、同じ意匠の台座に据えられている。薄青にぼんやりと光沢を持つそれは雷光のようでも氷のようでもあった。
矢のないその大弓の弦をヴィリが引く。否。矢はある。それは術者の魔力を矢に変換する。見えないがそこに存在するのだ。
弦を引いたのを気配で確かめ、スティーブは踵を浮かす。狂信する氷女神よ。踊ろうではないか。冷気が空気中の僅かな水分を凍らせてきらきらと光る。
「ハディヴェカンゲ、ボダモーラゴド」
ヴィリの魔力が矢となって打ち出される。それと同時に駆け出した。玉座の間に乱入してきたスティーブたちに気付き武器を構えるレッター級たちの中心を突っ切る。それをなぞるように魔力の矢が追う。
通りすがりに何人かの急所を斬って駆けたスティーブは不意に剣を下げる。ぶらりと脱力したその足元の数歩後ろに矢が着弾した。
「なん…っ!?」
何をした。レッター級の雑兵の誰何の声は直後、駆け抜けた雷撃で掻き消えた。
"ヒュ・モーラゴド"。小さな氷の女神の意のそれはただの氷剣だ。切ったものを凍らせるという点ではダルシーの"ラグラス"と変わらない。だがスティーブはそういう使い方をしない。
ここは雷の神の地。それならば戦い方もそれに倣うべきだ。シャフ族が信仰するのは雷の元素。由来は雷雲あるところに雨は降り、雨が降ればそこに水があるからだ。雲とは小さな氷の粒の集合。だからスティーブは氷剣の力を用いて大気の水分を凍らせて氷の粒を作る。それを集めれば簡易的な雲ができる。そこにほんの少し雷の元素を添えれば雷雲となる。雷の元素などこの雷神の島には満ちているからわざわざ加えるまでもなく自然に付与される。
その氷剣を携え駆ければその軌跡は雷の導線になる。そこにヴィリの雷の矢を打ち込めば導線を伝い、雷雲から矢へ電撃が駆け抜ける。
神に仇なす者に容赦はしてやらない。駆け抜けた雷電はその網にかかった者すべての命を等しく奪った。残酷な神の裁きだ。
「ボダモーラゴド、今日も美しい」
心酔する女神の剣でなく、愛する妻に向かってそう彼は微笑んだ。
「…ナル、ユスヴェトク?」
ぶっきらぼうに振り切るヴィリの頬はほんの少し赤い。口布とフードで隠してはいるがスティーブにはばっちり見えた。気障な言動にいちいち照れる。そういうところがいじらしくて愛おしい。
さて惚れ直させたところで本来の目的に戻ろう。不敬を承知で玉座に上がる。天幕をそっとめくり上げた。
「クレ・セティ……」
じっとうずくまった褐色の毛皮はぴくりとも動かない。まさか、と嫌な予感が背筋を駆け下りた。四肢に穿たれた杭からの出血はすでに止まっていて、赤黒い血がこびりついていた。上顎と下顎を縫い合わせるように突き立てられた何本もの杭からの出血も同様に。
太い四肢の爪はすべて無残に折られ、全身には鞭打たれた痕がついていた。ひどいところは毛皮が剥げ、皮膚が露出している。目を覆いたくなるほどの惨状であった。
「プレイ…ヴィニスル…」
祈るような気持ちでクレイラ・セティに触れる。傷にしみたのか、びくりと身体が跳ねた。ゆるゆると黒い瞳が開かれ、スティーブを見た。
「なんてひどい……今治療を」
この忌まわしい杭から解放しなければ。そして介抱しなければ命が危ない。そのための手段はグウィネスからもらっている。じゃらりと銀のストラップを取り出す。術者の魔力を転換し傷を癒やすものだ。
再生や癒やしの武具は本来存在しない。どういうわけか、作ろうとしても必ず失敗する。神の作為としか思えないそのために回復武具は今まで作ることができなかった。それを破ったのがこのグウィネスの新作というわけでもなく、ただ少し仕組みを変えて癒やしの武具に見せかけただけだ。
召喚された精霊は術者の魔力によって受肉される。そのことを応用し、魔力によって欠損し負傷した肉体を補う。相手がクレイラ・セティという神の眷属だからこそできたことだ。人間相手ではできない。
ヴィリと一緒に杭を抜き、抜いた側から魔力を転換してクレイラ・セティの肉体を補完する。みるみるうちに傷が塞がっていく。
すべての杭が抜かれ傷も補われたクレイラ・セティはゆっくりと立ち上がる。玉座に立ち、頭上を仰ぐ。一息吸い、そして。
天に響く咆哮が哭いた。




