赤の夜明け
珍しく夜明けに目が覚めた。
一度眠ったら寝坊するほどよく眠り込む自分が、である。誰かに叩き起こされるのが常であるのに、珍しい。バハムクランに所属している今はディベルカがその役目だが、修行時代は師匠であるグウィネスだった。
「お師匠様、元気にしてるかなぁ」
キロ島で修行を積み、一人前と認められて弟子を卒業し独立してエルジュの街に配属されて以降、会っていない。風のうわさで活躍は聞くが、直接会ったり言葉を交わしてはいない。何か便りをよこすほどの用事もないし会いに行く用事もない。仮に様子伺いに会いに行ったところで油を売っている暇があるかと叩き帰されてしまうだろう。
だから向こうから便りが来ることも、こちらから便りをよこすこともないのは平穏無事であるという証拠なのだ。それでいい。
きっちりとバハムクランに貢献し、名を馳せればその評価は師匠の耳にも届く。それが便りになる。逆もしかりだ。"マギ・シス"。クレイラ島の言葉で"魔の達人"を示すその称号は遠く離れたエルジュの街にもよく響いていた。
師グウィネスは健在。それに対する返事は自身の名を世界に響かせること。そのためにも技術を磨かなくては。師のように、今までにない新たな能力を持つ斬新な武具を作るのが早いのだろうが、あいにくそんな才能には恵まれなかったので既存の打ち直ししかできない。だが既存の打ち直しでも精巧な魔術式による良質なものであれば評判は上がる。あの職人の仕事は丁寧だと評価されればいい。
「そうと決まれば!」
珍しく早く起きてしまったことだし、師のように新作の武具を考えてみるのもいいかもしれない。ぼんやりと構想は頭にある。こんなことができたらいいと思うそれを実現するために、それをなし得るための魔術式を組む。どうなりたい、どうしたい、どうすればいい。考えながら真っ赤な服に袖を通した。
赤は最も尊い色だとエルデナは思う。職人には欠かせない火の色でもあるし、血の色でもある。情熱を示す色でもあるし勇気や勝利を暗示する色でもある。だからエルデナは真っ赤な衣装に身を包むのだ。
さて、と構想をメモするために筆を執った時、こつんと窓から音が聞こえた。小さな何かがぶつかるような、小さな小さな音。普段なら昼の喧騒に紛れて聞き漏らしてしまいそうな小さな音だが、誰も起き出していないこの早朝にはやたら大きく響いた。
「…あれ?」
窓のそばには小さな光の玉が浮いていた。ふよふよと浮遊するそれは人のかたちをしている。ぱちぱちと火花を散らすそれは精霊か何かのようだった。その手には折り畳まれた紙片が握られていた。
一体なんだろう。エルデナが首を傾げながら窓を開ける。窓の隙間からするりと室内に入った精霊はしばらく部屋を飛び回ったあと、エルデナの手に紙片を落とした。エルデナがそれを受け取ったのを確かめ、ばちん、と音を立てて閃光の間に消えた。
「なに…?」
知識が正しければ、あれは雷の精霊だ。雷神に連なる眷属。それが一体何なのだ。手紙を届けた、のだろうか。
雷神は気高い。それに連なる精霊もまた相応にプライドが高い。それが伝書鳩の真似事をしたというのか。到底信じられないが、目の前で起きたことを説明付けるならそうなのだろう。
ぱちぱちと目を瞬かせるエルデナはとりあえずその手紙を検めてみることにした。手のひら程度の紙を小さく小さく折り畳んだもの。封を示す〆印にエルデナは見覚えがあった。
「お師匠様から…?」
それは師グウィネスが用いる封蝋だった。グウィネスの信仰を示す雷と職人の象徴である火を用いた刻印は間違いなく"マギ・シス"グウィネスのものだ。
特に報せがなければ手紙などよこさない。それなのに。嫌な予感がした。慌てて封を切る。小さな紙にぎっしりと書き込まれた小さな文字を目で追う。それは、師弟の間で用いる暗号をふんだんに使った文章だった。それを中ほどまで読んだエルデナは立ち上がった。
「…大変!」
手紙の内容はクレイラ島の現状であった。パンデモニウムが現れ、雷神の眷属であるクレイラ・セティを害し我が物顔で居座っている。季節の砂嵐に乗じて外部との連絡を絶ち、孤立したクレイラ島を箱庭にして。
ばたばたと荒い足音でエルデナはユグギルのもとへ走った。このことを伝えねばならない。この時間ならユグギルはもう目を覚ましている。ばたんとドアを開けて駆け込んだ。
「おぉ、珍しいの。明日は槍でも降……」
部屋に駆け込んできたエルデナの表情を見てユグギルは冗談を引っ込めた。これは何か、重大な報せを持ってきた。察したユグギルにエルデナは届いた手紙のことを説明する。
「クレイラ島から、パンデモニウムが、えっと」
「落ち着け」
焦るエルデナをなだめ、ゆっくりと喋らせる。手紙の内容を聞いたユグギルは目をすがめた。予想以上に状況は悪かったのか、と。
「それで、手紙はまだ半分ほどしか読んでいないとのことだがの、続きはどうなった?」
「あ、えっと……"以上がクレイラ島の"…"現状です"…それで…」
エルジュから派遣されてきた者たちと合流を果たしていること。それらと組んでクレイラ・セティの救出にあたること。読み進めていたエルデナの言葉が不意に詰まった。どうした、と続きをユグギルが促しても首を振るだけで読もうとしない。
ぼろぼろと涙をこぼしその場に崩れ落ちたエルデナの手から、小さな紙片が落ちた。それを拾ったユグギルは続きを目で追った。
偉大なる我が知識の種を託された赤い花へ。わたくしにはもう直接それを目にすることはできないけれど、赤い花が世に咲き誇ることを願っています。雷鳴が如くその赤い花の名を響かせよ。
雲の上で見守っている。




